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雨と空2

あれは、僕がまだ身体を壊す前…入院している祖父の病院に、母親とお見舞いに行った時の事

(前回の続き)


病室に入る僕を迎える祖父の姿は、僕が知っている姿とは違った。

優しくて、いつもひょうひょうとしていて、冗談ばっかり言っていた祖父。
お正月や夏休みに遊びに行くと、いつも笑顔で迎えてくれた。

昔から糖尿病を患っていて、決して健康とは言えない身体なのに、そんな事全く気にもとめていないかのように、いつも美味しそうにビールを飲んでいたのを覚えている。

どうしようも無いところもたくさんあるけど、みんなから愛されていた。

ものごころついた頃からその姿だったので、祖父の身体が少しずつ侵されているという実感は、僕には無かった。

状況が一変したのは、足を切断した時。
 
あぁ、大丈夫じゃなかったんだ…
 
はじめてそう感じるようになった。
 
その後入退院を繰り返すことになり、祖父の家に祖父がいない事も不思議に思わなくなっていった。
 
病院に行ったあの日、僕にとっては繰り返す入院生活の中のあくまで"お見舞い"に過ぎなかった。

「おとうさん、今日は〇〇(僕)と一緒に来たよ」
 
母親がそう言うと、祖父は寝ていた身体を起こし、僕を見つめた。
そして僕の名前をゆっくり繰り返し呼ぶ。
目には微かに涙が浮かんでいた。
 

入れ歯を外しているだけとは思えない、祖父のやつれた姿。
今まで見せた事のない祖父の姿を、僕はすぐに受け止める事が出来なかった。
 
なんかいやだ…
 
何故そう思ったのか、その時の僕には分からなかった。
その後、祖父はほとんど口を開く事もなく、母親と僕は病院を後にした。

そして僕は身体を壊し、祖父は死んだ。
 
 僕は、祖父の最後を見届ける事が出来なかった。
母親からの「いま逝ったよ」と書かれたメールで知った。

僕のこころは、何故か静かだった。

目を閉じると、祖父との思い出が浮かんできた。

銭湯に連れて行ってくれた思い出。

遊園地に連れて行ってくれた思い出。

ゴーカートに一緒に乗った思い出。

一緒に花火をした思い出。

思い出の中の祖父は元気で、いつも僕の名前を呼んでいた。

その後、病院でのあの姿が浮かんできて、すぐさま目を開けた。

僕は長時間車に乗る事が出来ないので、葬式にも行く事が出来なかった。
その日も僕はひとり、部屋の中にいた。
その時の僕の心境は、うまく表現する事が出来ない。
 

ただ、
 
「〇〇は何も悪くない。おばあちゃんわかってる。」
「悲しんでくれてるのも、本当は来たかったのも分かってる。」
「おじいちゃんも分かってる。」
「来なかった事を悪く言う人がいたら、おばあちゃん怒ったる。」


と、祖母が言ってくれた事で、それまで静かだったこころが流れはじめたのを覚えている。
 
一番悲しいはずなのに、僕を心配して電話してくれた祖母。

僕は祖母が大好きだ。
 
そんな祖母からの言葉。
 
「きっとおじいちゃんがいてくれてるんやわ。」
「おじいちゃん晴れ男やったから。」

「おじいちゃん見といてなって言って出かけるんやで、そしたらついててくれるから。」
 
嬉しそうに祖父の事を話す祖母の声を聞くと、本当に祖父が見守っていてくれるような気持ちになった。

それから、雨の日に歩く事が出来た時は、祖父の事を思い出すようになった。
 
おじいちゃん、ありがとう。
 
その気持ちとともに、
 
きっと"歩け"って言ってるんだ。
 
と、歩くことの意味、歩けることの意味を感じた。

明日もまた歩こう。

歩く事が出来る限り。

おわり
 


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