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閾値と心

閾値という言葉を知ったのは、僕が整体の専門学生だった頃。

人が刺激(痛み)を感じる最小限の値を閾値(いきち、しきいち)といい、それは人によってそれぞれ違う事を教わった。

痛みを感じやすい人を“閾値が低い”、感じにくい人を“閾値が高い”といい、僕はどうやら閾値が低い部類に入るらしい。

この言葉を知るまでも、人によってそれぞれ痛みの感じやすさが違う事は分かっていた。むしろ、当然の事すぎて、それを意識する事すらしていなかった。人が酸素を吸って生きているのを、わざわざ意識していないのと同じように。

痛みの感じやすさ。閾値はそれを表す時に使う値。ただそれを教わっただけなのに、この言葉と意味を知った時、僕の中の何処かにあったスイッチが切り替わる音がして、それ以来僕はそれを常に意識するようになった。

僕は子供の頃、よく親に怒られ殴られていた。毎日殴られていた時もあった。痛かったけど、僕にとっては日常の一部だったので、それが正しい事なのか間違っている事なのかは分からない。ただ、それが酸素でない事は感じ取っていた。

ある日、親が僕に言った。

「お前はほんと打たれ強いからなぁ。どんなに殴られても折れへんし、泣いたりもしない。」

それを聞いた時、そうかもなと思った。 

“自分は打たれ強いんだ”

僕は打たれ強い。でも痛みは感じやすい。“痛み”という、脳から送られるサインのひとつでしかないそれは、今、僕の中から決して離れる事のないものとして、深く根付いている。

身体を壊してからの僕は、打たれ強さで生きていた。常に痛みが離れない。痛みを意識して、痛みで比べる。僕の日々は、痛みの日々になった。

それでも周りを妬んだり、八つ当たりする事はしなかった。この身体のせいで周りに負担をかけさせたり、傷つけたりする事はあっても、故意に傷つける事だけは絶対にしたくない。それは、僕自身が傷つく事と同じくらい辛い事だから。少なくとも、自分ではそう思っていた。

でも、この“傷つけたりする事があっても”が、自分にとって“酸素”になってしまっている事に気づいた時、僕が吸っている酸素にわずかな毒が混じった。

子供の頃、親に呆れられながらこんな事も言われた。

「お前はいつも人の顔色ばかり見て。すぐ心を読み取る。」

そんなつもりはなかった。人の事を分かろうとしていただけで、心を読むなんて事は意識すらしていなかった。真剣に聞いている事が、邪な事をしているかのような言い方をされて、悲しくなったのを覚えている。

“心を読む“事に関しては、親だけではなく、先生や友達にも言われていた。「なんでそんな事分かるの?話していないのに。」と、ちょっと気味悪がられながら言われる事もあった。

生まれつきなのか、生きているうちにそうなったのかは分からないけど、どうやら僕は、人の気持ちを必要以上に感じようとしたり、感じ取ったりするらしい。それが、人の言う“心を読み取る”になっているのかもしれない。

生きていく上で当たり前のようにしていた事に“閾値”という言葉がプラスされ、僕の痛みに対する意識はより明確になった。

“酸素に混じった毒”

これが外部からのものなのか、自分から生みでたものなのか、それとも必要以上に酸素を意識した結果なのかは分からない。それでも、僕にとって毒である事には変わりなく、苦しみを味わわせるもの以外のなにものでもなかった。

ある日、その“毒”がより色濃く、鮮明に映る出来事が起こった。

“僕”に限界を感じた父親が、僕を殴った。母親はそれを見ていた。2人とも同じ目をしていた。

その時の僕は、少しの刺激でも激痛に感じるくらい敏感な身体だった。それだけではなく、後々その痛みが何日にもわたり続く。そしてその身体の動きはより悪くなる。

自分でも理解しきれているわけではない。でも分かって欲しい。僕は、うずくまり泣きながら懇願した。それでも殴られ続けた。

2人の目の色は変わらなかった。それは憎しみだとか、苦しみだとか、そんな簡単な言葉で表現出来るものではなかった。

それを見た時、僕の心の動きはより小さくなった。

それ以来僕は、その人たちから離れ、出来るだけ人と関わらない生活をするようになった。自分と関わる事で、誰かが傷つく姿をもう見たくはなかった。それは、身体の痛みと同じくらいの苦しみだった。

今、僕がどこでどんな生活をしているのか、明確に把握している人は、身内を含め両親以外ほとんどいない。きっといつの間にかその場を離れ、それなりにのほほんと過ごしていると思っているだろう。そもそも興味すら持たれていないかもしれない。

あの時の行動が、正解なのかどうかは分からない。でもそれ以来、それまで関わっていた人たちは少しずつ明るくなっていった。

もちろん悲しい気持ちもあった。より孤独を感じるようにもなった。でも僕はうれしかった。

誰かが〇〇へ出かけたとか、〇〇を食べたとかいう話を聞くと、気分がすっと軽くなったし、他にもこんな事したらきっと楽しいだろうなぁと思うようになった。それがあの2人であったとしても、その気持ちは変わらない。

それは紛れもない本心で、そこに邪な気持ちはなかった。それがたとえ、“自分が関わらなくなる事”であったとしても、誰かが喜んでいる姿を見るのはうれしい。

僕は少しずつ、自分の中の暗いものを、表に出さなくなっていった。

人には“閾値”があって、それはそれぞれ違う。苦しみや痛みを望んでいる人なんていない。それを推し量り、比べる事が出来たとしても、決めつける事は出来ない。それは、自分がそうされた時の、あの時の心の痛みまでも否定してしまう事になるから。

“閾値”は、僕を守ってくれる言葉の一つになった。

人の気持ちや痛みを汲み取れる人になりたい。

この身体になった限りはとか、それが自分の運命だからとか、そのような事をいうつもりはない。

僕の中の“痛み”が、いつか薄れる事があったとしても。

きっとそれは、死ぬまで変わらない。




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