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物語からはじまるショートショート〜第八回 『いつも だれかが…』より〜

暑い暑い夏が、今年もやってきましたね。
久しぶりに長い休みを取れたので、じりじりと照りつける太陽の下、セミの声が響く中を歩いて、あなたの町までやってきました。今日は、今年一番の暑さだそう。少し外にいるだけで、ぽたぽたと、額から汗がたれてきます。
こうなるとわかっていても、八月にこの町を訪ねたくなるのは、あなたに会うのがいつも、夏の盛りの時期だったからでしょう。子どものころ、休みになると、家族でこの町に向かいました。新幹線と私鉄を乗り継ぎ、この町に着くときは、旅の疲れと夏バテ、それに、久しぶりにあなたに会う緊張とで、なんだかきまりの悪い思いをしたものです。
けれど、そんなことは気にも留めず、あなたは会うとすぐに、きまって私たちの食べたがったものをごちそうしてくれましたね。
食事をしながら、あるいは食後のコーヒーをたしなみながら、あなたはいろんな話を聞かせてくれました。子ども時代の、大変な戦争の話。最近行った旅のこと。健康に生きるためのコツ。全部が全部理解できたわけではなかったけれど、ときに熱心に、ときに楽しげに喋るあなたの顔がなんだかよくて、ついつい引きこまれてしまったものです。

だんだん大人になってきて、私もいろんな経験をするようになると、そうした言葉ひとつひとつの中に、あなたの生きてきた時間からしか生まれない思い––––思想となり、精神となってきたものが、見えはじめました。あなたの言葉の中には、もちろん時代に淘汰される考えもたくさんあったけれど、その奥に、いつの時代も変わらぬ、深いものが見えたのです。
「物事のすべてには陰と陽がある。だから短所は長所。長所は短所なんだよ」
そんなことを、会うたびにあなたが語る言葉は、いつしか私の精神そのもののようになっていきました。ときどき、気づくとあなたの話していたようなことを、自分でもすらすらと喋っては、驚いたものです。そしてそのたびに、離れて暮らすあなたの存在を感じ、守られているような心地よさを感じました。

そういえば、あなたとは、握手して別れるのが常でしたが、最後にあなたの手を握った日からもう、二年も経ってしまったのですね。なんだか変な気分です。だって、あなたとの握手は、いつだって「また会おう」の約束でした。それなのに、こんなに長い間会わずにいるだなんて、信じられません。
幼いころ、物心つくよりずっと昔からのお決まりでした。あなたの細くて少しつめたい、皺だらけの手を、「ありがとう」を言い、握り合うこと。それが、もうこんなにも長い間、交わされていないなんて。

わたしはついさっき、あなたが小さくしまわれた、灰色の石の前に立ちました。最後に会ったあの日から、一ヶ月も経たぬうちに、あなたはあっという間にいなくなってしまいましたね。小さな小さな白い壺の中に去っていったあなたの姿を、わたしはうまく思い出せません。それよりも、あなたがまだ、どこかにいると思った方がずっと自然な気がしています。

––––そう思うようになったのは、あなたの分身みたいに、ある本が私の前に現れたからでもあるのです。
あなたが亡くなってから数日経った日のこと。私は落ち込んだ気持ちで、なじみの本屋さんに行きました。すると突然、何かに呼ばれたようにその本が目に入ったのです。棚から取り出して読んでみると、こんな話でした。

少年が、ホスピスで療養する祖父の見舞いに行くと、枕元で、お話をしてもらいます。戦争や差別、貧困を乗り越え、仕事を得たり、結婚したり家を買ったり。そして少年の祖父になるまでの人生の話を。ちょうど、私があなたに、長い長い時間をかけて話してもらったように、少年も祖父に、たいせつなことを教えてもらうのです。いろんな苦難を切り抜けるなかでは、ふしぎと運よく、うまくいくことがある。でもそれは、自分の力だけでなく、お守りのような何かの力によるものかもしれない、と。
その「何か」とは、たんに自分の精神のことかもしれません。はたまた、先祖や家族、周囲の思いのことなのかもしれません。運とかご縁といった、定かではない何かのことなのかも。それは、読む人によって変化するでしょう。しかし、そんなお守りのような「何か」について描かれたこの本を読んだとき、私は真っ先に、あなたのことを思いました。そして大事に胸に抱え、レジへとこの本、『いつも だれかが…』を持って行ったのです。

夏もいよいよ本番を迎えた今日、この本を鞄にしのばせ、私はあなたの住むこの町に来ました。そして汗をふきふき、あまりの暑さにときおりやるせなくなりながら、あなたの骨が眠るこのお寺にたどり着きました。ようやく墓参りを終え、ちょっとそこらの木陰に腰かけ、ひと休み。子どものころ、絵日記に描いたような、夏そのもののように真っ青な空と、むっちりとした入道雲が美しくて、思わずぼうっと眺めました。

何が、と言われると、よくわからないのですが、なんだかそのとき、あなたがそこにいる、というけはいを感じたのです。あなたの楽しげな、ほほほっ、という笑い声が聞こえた、そんな気が。だから、私は何もためらわず、天に向かってまっすぐに、右手を伸ばしました。伸ばせるだけ、高く高く。
気づけば立上がって、力をこめながら、ぐっと目をつむっていました。
そのときでした。なつかしいものが、手のひらににぶつかったのは。少しひやりとした、しわじわとした、やせた手のようなものが。
それは、私がうんと小さな頃から知っている感覚でした。…もちろん、単にそう思いたかったのかもしれません。暑さで、白昼夢を見ていたのかもしれません。それでも良いのです。私にはよくよくわかったから。私のことを守ってくれる存在が、いつだってすぐそこにある、ということが。

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※『いつも だれかが…』ユッタ・バウアー/作 上田真而子/訳 徳間書店刊

この連載では、皆さんもお手に取ったことのあるような、既存の「物語」をもとに、新たな超短編小説(ショートショート)を作り出していきます。次回の更新は、8月20日金曜日の予定です。お楽しみに。

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