物語からはじまるショートショート 〜第二回「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」より〜
そこは、日当たりが良くて、窓の大きな部屋だった。日に日に濃さを増す青空に、綿あめのような雲が浮かぶ。桜が満開の季節のある日、私は友人の部屋から、そんな春爛漫の空を眺めていた。
彼女がふいに、話しかけてきた。
「そこに線路があるの、見える?」
指さす方に目をやると、窓の真向かいに、市内を走る電車の線路があった。
「時々ね、ここから電車を眺めるんだ。見てると飽きないものでさ。電車って、中にいるのと外から見るのじゃ、まるで別物なんだよね」
そう言った表情は、いたずらっ子のように明るくて、私もつられて笑ってしまった。
彼女は、一ヶ月前からここで、恋人と同棲を始めた。私が到着するや否や、次々に、部屋の気に入った部分を説明してくれた。収納が広くて、とか、ほらキッチン、可愛いでしょ、などなど。その姿は、まるで下ろしたてのシャツみたいに眩しいものだった。
「それからね」景色の話がひと段落すると、彼女はまた話し始めた。
「この部屋、ちょっと変わったつくりなの」
たしかに、改めて見渡してみると、部屋の角は、玄関と、部屋の二ヶ所の端だけ。つなぐと、二等辺三角形になる。
「本当。まるで、チーズケーキみたい」
「え?何?、、、ああ、分かった。お腹空いたんでしょ」
ちょっと変な顔をしてから、彼女はお茶の用意をしに、キッチンへと向かった。
その間私は、「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」のことを思い出していた。若い夫婦が、線路二本の間の奇妙な格安賃貸で暮らす、短編小説。彼らの家もそういえば、三角形だ。
男女二人に、三角形の家。そして、線路沿い。
そんな共通点により、二組のカップルが、自然と結びついたらしい。でも、私はまだ何か、忘れている気がした。
そのとき、彼女がお盆を抱えて戻ってきた。春の日の光が、窓からうららかに注ぎこんでいる。途端に、あの小説の一節が、頭の中へと転がり落ちてくるのを感じた。
「僕たちは若くて、結婚したばかりで、太陽の光はただだった」
そう、生活を共にし始めたばかりの二人には、太陽の光以上に値打ちのあるものなんてきっと、一つもない。私は小説の言葉を反芻しながら、彼女たちの今を、そしてこれからを、思うのだった。
※「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」––『カンガルー日和』
村上春樹/文 佐々木マキ/絵 講談社文庫
この連載では、皆さんもお手に取ったことのあるような、既存の「物語」をもとに、新たな超短編小説(ショートショート)を作り出していきます。
次回の更新は、4月10日土曜日の予定です。
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