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「希望」を持てるという期待

以前、メッセージ的に
書いた記事
ボスニアのこと
クロアチアのこと

控え目すぎたみたいだ

この映画のこと
伝えたかった

※以下、ネタバレです!


主人公ハンナは、バルカン半島から他国へ逃れてきた
ボスニア紛争による拷問・性被害者。

クロアチア人であり、
自国の兵士に拉致・監禁され
助けに来た国連兵士にすらレイプされる。

この世界のあべこべさを表しているように思えた。

弱者がさらに弱者を叩く

親友を、母親とその娘を、
苛烈な拷問、レイプにより、目の前で殺害される。

身体をナイフで切り付けられ
そのなかに塩を塗り込められる
「本当の悲鳴を教えてやる」と


ハンナのカウンセラーは言う
「世界中が知りもしない、忘れ去られた戦争で
なんとか、生き延びていることを
恥じている人たち」

劇中に出てくる
船乗りの料理人は
世界中の国の料理を日々つくる

色を失くしたハンナの世界に、
食べるよろこびを経て
生きる希望が湧き出てくるように感じた。

以前は、ただりんごと米を機械的に食べる日々だった。

「それで、山に連れていかれたんですよね」と私は言った
「誰?知ってる人?」主治医が聞いた

「知人です。」
「それで・・思い出せないですね。」


気が付いたら、子どもを連れて東京外語大に居た
祭りをやっていた

世界中の、難民や、紛争について
真剣に学ばれる学生の方々の姿があった
人が学ばれる姿は何故こんなにも、希望があるのだろう

わたしは癒された
世のなかには、まともな人々も居る

「希望」は、持てる人間を前提としたもの
希望を持ったことが無い
持つことが出来ない人間も居る

どうせ死ぬなら、社会貢献したい
一度でも


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