目が見えない人の感じる美しさ

昨日、いつものように考えごとをしていたら、突然ある事が気になった。

ちょっと誤解を招く言い方かも知れないけど、

目が見えない人はどうやって人を好きになるのか?

また美しさをどう感じ取っているのか?

僕は目を閉じながら時間をかけて考えてみることにした。

そういえば昔流行った「メル友」

最初から下心満載の男は多かったと思うけど、なんとなく意気投合し、一日に十数回、何十回と、マメにメール交換するようになり、盛り上がったところでいざ会ってみたら、メールがピタリと来なくなる。

そんなことって、けっこうアルアルだったかな。

きっと、メールのやり取りから集めた情報を結局は都合よく、容姿に結びつけてしまった結果だったのかも知れない。

とにかくそうやって容姿に対する妄想をかき立てる。

それって会って相手を"確認"する事ができると信じているから、必死にイメージするのか?

それとも目が見えない人の場合でも、好意を抱く相手には同じように"容姿"を求めたりするのか?

知見の狭い僕は、ついそんな事を考えてしまいます。


メル友よりもう少しさかのぼってみると、僕は学生の頃、静岡に住む女の子と文通をしていたことがある。

罫線の幅いっぱいに書く彼女の文字は、とても元気だという印象を与えてくれて、いつもこちらの生活の事を気遣う文が含まれていた。

彼女からすれば僕はただの文通相手だと思うけど、僕の方はそれだけで"なんとなく好き"になっていた。

僕は手紙を書きながら、彼女のシルエットを、読んでくれている時の姿を、思い浮かべた。

背は僕より少しだけ高く、なんとなく髪の短い、ハキハキと声を出して話す少女を想い浮かんだ。

二年ほどのやり取りだったけど、写真などの交換もなく、それでも会うことは無いというのは前提だった。



男たちが美しい女性にめっぽう弱いのは言うまでもないけど、目が見えない人はその美しさをどう感じているのか?

また、何をもって美しいと判断するのか?

というのも私たちは通常五感を用いて情報収集しているわけだけど、視覚野はその8割を占めている。

だから当然、女性の笑顔、情動を伴うあの強力なサブリミナルは残らない、あれは良くも悪くもやっかいな印象づけだ。

ということは目が見えない人は、匂いや声、感触、そして優しさに集中できるようになる。

つまり、あくまでも容姿は後から付いて来るものであって、会話による親密なコミュニケーションがなされ、相性の良さに魅力を感じることができる。

きっと、じきに心が見えるようになる。

目が見えない人にとって容姿とは、その人の心が具現化したものであり、

・・もしかしたらそれが美しさの本質、なのかも知れない。

僕たちが見ているものの多くは、きっとまがい物なのだろう。

誰かと一緒にいる時間、たまには目を閉じて過ごしてみるのも、いいかも知れませんね。


美しい心は
心の目だけが捉えることができる…

ということか。



#エッセイ #容姿 #美しさ

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