天然の装飾品
あなたの髪はクセ毛ですか?
白髪混じりですか?
傷んでいますか?
地肌が見えていますか?
いたわっていますか?
ほったらかしですか?
こだわっていますか?
みすぼらしいですか?
笑われますか?
金食い虫ですか?
時間ばかり費やしますか?
周りと比べていますか?
毎日の悩みの種ですか?
社会貢献のためですか?
自慢したい髪ですか?
若々しいですか?
自信が持てますか?
ネタとして使えますか?
彼が褒めてくれますか?
自分を引き立たせてくれますか?
愛していますか?
あなたの髪は美しいですか?
髪は女の命ですか?
あなたには今、髪の毛がありますか?
髪にも色々と事情はあります。
どんなに大きく広がる髪でも気に入っている人。
どんなにまっすぐサラサラな髪でも悩みの種となっている人。
誰と、何と比べているかは様々ですが、相変わらず髪は美しくなくてはいけないという風潮は続いています。
それもそのはず、髪に関するビジネスでは顧客の悩みは必要不可欠であり"髪をより美しく保つようにさせるため"の企ては、ぬかりありません。
また、俗世間では髪の状態を見てその人の人間性まで判断してしまう人もいます。
ツヤツヤした黒髪がストンと縦になびいていれば美人で気立ての良い女性に見られたり、薄毛で強いクセがあり、傷んだ髪をひとつ縛りにしていれば、貧相で根暗な女性だと判断されたり。
しかしながら、思い込みとして、娯楽(身だしなみ)として、文化として、一人一人が自分の髪に意味を持たせることはあっても、髪はすでに本来の役割を終えているため、現代に生きる私たちにとっては必要不可欠なものでは無くなっています。
帽子やヘルメットやウィッグの方が、外部からの衝撃を軽減できます。
汗をかいたり排泄によって老廃物は身体の外に出すことができます。
たとえ髪が無くとも、いたって健康でいることはできるのです。
現に「ジャマ」という単純明快な理由だけで坊主または剃毛している女性も珍しくありません。
坊主頭のモデルさんだって結構います。
皆さんもそういった女性の潔い姿に対し、心のどこかで憧れを抱いているのではないでしょうか。
仕事をしていて私はお客さんにこんな質問をすることがあります。
「周りにいる女性10人のうち、7人が丸坊主にしたらどうですか?自分も丸坊主にしてみたいですか?」
内容が突飛なために落ち着いて考えられない人の回答を除けば、半数以上が坊主にしたいと答えます。
これには2通り理由がありますが、1つは髪が長いにしても短いにしても少数派では居たくない人、つまり目立つのがイヤな人。
そしてもう1つは髪を毎日洗って乾かすのも、スタイリングするのも、美容室へ行くのも、洋服とコーディネイトするのも、普段から面倒で仕方がないと思っている人。
いずれにしても、髪の毛が自分たちにとって絶対に必要だと説明できる人はいません。
よく「無いよりはあったほうが良い」みたいなことは言いますが、あればあったで悩みの種にもなるものです。
さて、私が何を言いたいかといいますと、、、
髪なんて本当はあってもなくてもいいんだよ
ということです。
少々雑な言い方かも知れませんね、けど私たちの日常生活において、髪はもはや必要不可欠なものでは無くなっているからです。
どんな状態であれ、天然の装飾品のようなもの。
別の言い方をすれば装飾品でしかないのです。
だから別に無くても大丈夫。
それはね、もしかしたら自分の意思じゃないかもしれない。けど髪の毛の状態、有無によってその人の人間性に悪い影響を及ぼしてしまってはいけないんです。
ましてや他人から指をさされたり、意味無く同情されたり、劣等感にさいなまれたりする原因になってはいけないんです。
確かにヘアスタイルで個性を表現することもできるので便利ではありますが、もっとひとりひとりの見えない部分、パーソナリティとの関わりに対して皆が重要視していければいいのになと、そのようにも思っています。
また先程も言いましたが、すでにウィッグを楽しむためのにお手入れ(バリカン)だけで済ませている人もいらっしゃいます。
そうなると髪の悩みなんてどこ吹く風ですよね、ウィッグに関しては残るは夏場問題だけ。この後どんどん進化もしていきますしね、それも時間の問題でしょう。
どうかできるだけ多くの人に、本当は無くても大丈夫という位置づけで、その上で髪を好き勝手に弄(いじく)ってもらえたらいいなと、そのように思っています。
美容師だからこそ、"そっち側"の立場でいたいのです。
さて、10万の声たちはこのまま引き下がってくれるでしょうか?
(おわり)
合わせて読んでいただければ光栄です
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