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被災地に興味本位やアクセス増、情報収集のために行ってはいけないわけ。自分の教訓から。その1

こんにちは。正月明けの三連休、いかがお過ごしでしょうか?私は育児に仕事に通常営業ですが、能登半島地震の影響も出てきています。今回は長文です。

政治家やYouTuberなどが、さっそく能登に乗り込んでいるようです。今回の地震の特殊な部分は、ただでさえ、輪島など能登半島に行くのは遠いし、道路も少ないこと。島じゃないからといって、ちょっと特殊です。

能登半島は、昭和30~50年頃、能登ブームというのがありまして、特に後期は、自動車の大渋滞が問題になりました。そのため、船便なども多く作られました。佐渡と能登半島を結ぶために新造カーフェリーを導入し、定期航路を結んだ時期もあったほどです。しかしブームは沈静化し、その後はそれほど脚光を浴びること無かったです。そのため道路なども必要性が薄く、大きく整備されてこなかったのです。今回の地震で道路が寸断されたら、回り道をすれば良い、と簡単に考える人がいますが、そもそも道路が少ないのです。そこに正月の帰省客もいましたので、渋滞するのは当たり前。物資の輸送が大変なことになっていたようです。

↑能登ブームで、佐渡と能登の定期航路ができた話

それなら海から・・・と思いますが、海も津波の影響が収まっても、沿岸部が大幅に隆起していて、輸送が難しいそうです。また携帯電話網も停電、燃料切れ等で、寸断されています。船から電波を飛ばす臨時基地局なんてものも出ていますが、まだまだです。道路と通信、インフラが整わない限り、大規模な人員・調査員・医療従事者・ボランティアの投入も難しいのです。

そのうえ、余震もあるわけですから・・・やはり控えたほうが良いですね。私も行きません。私も若い頃苦い経験があります。恥ずかしい話ですがここで書かせていただきます。

私が、他の業界から来たことは、以前も書きました。勉強してもなかなか実務能力がつきません。そこでブログを始めて勉強した内容を書きました。特に耐震は当時若干ブームが来ていたので、勉強を重ねていました。なので地震の現場に早く見てみたいと思っていました。

そこに、2003年7月26日、宮城県沖を震源とする震度6弱の地震が発生。繰り返し3回震度6が発生し、最大震度6強を観測しました。これくらいの地震ですし、人口も多い地域ではない、何よりもマグニチュードが小さく、被害エリアも少ないと、勝手な分析から、自動車ですぐに現地へ急行しました。

しかしそこで見たものは、私の想像を超えていました。確かに被害は他の大地震よりも小さいです。被害があったエリアは、本当に限定されていました。山1つ超えると、ほとんど平穏な普段の生活が広がっている・・・なんとも奇妙な気持ちになりました。しかし。違うのです。地震は揺れて建物が壊れて、人が死ななくてもいろんな影響があるのです。

まず驚いたのが余震。車に乗っていても容赦なく感じます。ハンドルが取られることもあります。生半可な気持ちで行ってはいけません。次に余震でものが落ちてくること。街並みに入るならヘルメットは必須です。私はヘルメットも防災シューズも持ち合わせていませんでした。軍手すらも。現地で写真を撮りました。果たして現地の人は、他県ナンバーの車を運転してきて、バシバシと被害状況を撮影している姿を見てどう思ったでしょうか?

当日の様子。復旧作業で渋滞していました。他県で用がない車は、さぞかし邪魔だったと思います。

また渋滞もすごかったです。その一台になってしまったことに考えが至らなかったことに後悔しました。道路がやはり傷んでいて、緊急で工事をしていました。これが、もっと大きな地震だったら、とゾッとします。物資の輸送、援助の人間もなかなか到着できません。

また田舎なので、そもそも店も少ないです。地震後なので営業していなかったりもします。幸い私は食料の持ち合わせもありましたし、日帰りする予定だったので大丈夫でしたが、能登のような遠いところは日帰りも難しく、買い物もできないでしょう。非日常がそこには広がっています。子どもたちは大人達が、地震後の収拾をするために動き回っているため、落ちていた瓦などで遊んでいました。危険です。しかしそれを注意する大人が付近にいないのです。

家が無事でも塀が倒れたり、意外と被害はテレビなどでは伝わらないものが多くありました。

このときの経験は、深く私の心に刻まれています。その後の新潟県中越、中越沖などは時間が経ってから訪問しました。地元(佐渡)に帰るとき通らなければならなかったこともありますが。それでもできれば行かないほうが良かったな、と思っています。

SNSの発展、YouTubeなどの媒体の発展は、多くのにわか専門家を産み、注目やアクセスを稼ぐために、このような震災を利用する方が増えました。しかしそれで迷惑にならなければ、ある程度は許容できるのですが、今回のように影響が懸念される場合は、避けるべきです。もちろんある程度の目処がついて、現地から応援要請があれば、そのときにボランティアとして参加し、現地のために働けばよいと思います。絶対必要になる時期がきます。またその記録はマスコミだけでは足りず、YouTuber等が必要な場面もあるかもしれません。そこはまだ分かりませんが、もう少し待ち、今できることをやっていければ、と思っています。

私は、当面は地元の耐震化に注力します。人口が比較にならないほど多い東京で、このような震災が起こったら、大変です。少しでも被害が少なくなるように地道に活動していきたいと思っています。



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