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被災地に興味本位やアクセス増、情報収集のために行ってはいけないわけ。自分の教訓から。その2

前回は、宮城県沖地震の私の情けない行動を紹介しました。その後の地震に関しては現地の方々の招待もしくは、田舎に帰るときの通過に限って動きました。しかし、どうしても見たかったもので例外があります。東日本大震災でした。

まず、東日本大震災から約半月後、現地ではなく浦安の液状化を見に行きました。個人的に液状化の被害はほとんど見たことなかったので。また被害は多いものの、特に交通規制もなく、普通に入れることが現地情報からわかったので午前中、通過の感じで訪問しました。

とにかくすごい砂。これだけの砂が噴出しているわけで、影響は甚大です。そして運転もしにくいです。平坦なわけがありません。(2011年3月27日 浦安)

これも油断がありました。液状化ということは、建物の被害が少なくとも、道路の被害は多いのです。それも少々のことは報道されません。なんとか通ることができますから。そのような道路や道がたくさんありました。もちろん液状化で傾いた建物もありました。電柱もです。建物の耐震に関してはある程度知っている私でも、道路などは無知です。歩いたらあまり怖くない段差も車だと怖いです。下手な運転で動けなくなって助けを呼んだら、現地に迷惑をかけてしまいます。事実その危険はありました。幸い何事もなく帰ってきました。

家が沈むのだから、他のものが沈まないとなぜ思わなかったのでしょうか?衝撃を受けたベンチが沈んでいるところ。

同じく東日本大震災から約一ヶ月後、仙台を訪問しました。現地に支社がある構造計算ソフト会社の方も一緒です。余震は相変わらずあるものの、だいぶ収まってきていました。また宿も取っての1泊2日。それなりに綿密にシミュレーションを行ってから3名で軽自動車を飛ばしました。

ちょっと前まではガソリン不足でしたが、今回は何とかなりそうです。1回の給油で済みそうです・・・でも1回給油しているのです。まあ、時期的にそれほど問題になることでもなくなってきてはいたのですが。問題はその後。福島のホテルで、あの震災後最大の余震にあってしまうのです。しかも入浴中!世の中そんな物です。聞いたことのない轟音が近づいてきて、大浴場のお湯が一気に波のように外に出ました。すぐに着替えて部屋に戻ろうと思いましたが・・・エレベーターは・・・止まってますよね。ホテルの従業員も回りにいません。携帯電波もなくなっているのでスマートフォンも役に立たなくなりました。テレビで情報を収集。その地震がかなり大きな余震だったことがわかりました。道路も封鎖されました。このままだと仙台に行けないどころか、東京に帰れない可能性も。

被害はあれど通常の生活が戻りかけている仙台の町(2011年4月8日)

翌日、道路が回復していたので、仙台に行きました。仙台はガスが止まっていて食べ物は食べられませんでした。しかし早朝到着でみたものは、それでもスーツを着た多くのビジネスマンが普通通り出社している姿でした。そしていつものように渋滞・・・。仙台は被害はあれど、それなりに普通の生活をしている方が多くいました。

頑丈そうなSRCの中層マンションも大きく破壊されていましたが、生活出来る状態を保っていました。個人的には住み続けたくないレベルです。
同じマンション。コンクリートが割れて鉄筋が出てるところが多くありました。補修でなんとかなるレベルだそうです。幸いメインの躯体はそれほど損傷はありませんでした。


何気ない段差が本当に怖いです。運転疲れます。やはり行かないほうが良かったです。

どちらも想像以上に疲れました。さすがに震災の見学はそれなりにこなしてきたので、両方とも準備は万端でした。それでも怖いです。どちらも危険性の少ない、通常の生活ができるエリアに絞りました。交通も一部は駄目でしたが、基本は通常に戻っているところでした。それでもです。なのでまだまだその状態にはほど遠い能登半島に行くのがどれほど危険で迷惑になるか?は想像できます。やめましょう。

東日本大震災で十分に懲りたため、それ以降は震災後の見学はしていません。昨年、熊本地震の遺構を見に行きましたが、十分に年数が経ってからです。やはり現地に行かないとわからないことも多いので。時間が経ってからでも十分に行く価値があります。耐震の勉強でもそうです。もし地震の被害などを勉強したい場合は、熊本地震震災ミュージアムをお勧めします。車がないと周回しにくいので、レンタカーなどで回ることをお勧めします。

まだ余震も続いています。早く落ち着き、住人の方々の平穏な生活が早く戻りますように願っております。



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