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不便益について考えてみる

少し前に、『不便益』について書かれた本を読みました。

『ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便益をとり入れてみてはどうですか?〜不便益という発想 しごとのわ』
という、長〜いタイトルの本です。(一向に覚えられない…)


本書によると、
不便益とは「不便であるからこそ得られる効用」です。

例えば
・遠足のおやつは、300円以内と制限があるからこそ、『マイお気に入りおやつ』を厳選する楽しみがある。
・あえて段差の多いデイサービスセンターでは、注意深く歩くので怪我が起きにくい。
・ウォーリーを探せ。どこにいるかわかりにくいウォーリーを嬉々として探す。
などなど。


あえて便利にしないことによって、得られる利益がある。

私の身の回りにも、不便益に該当するものが無いかなと考えてみました。


テレビを捨ててプロジェクターを買った


前々から、テレビの配線のごちゃごちゃしたのが嫌で、部屋をスッキリさせるためにプロジェクターでテレビが観れたらなと思っていました。
昨年ようやくテレビを手放し、プロジェクターを購入したところ、思わぬ不便益がありました。

当たり前ですが、プロジェクターなので明るい部屋では画像が綺麗に投影されません。昼間にカーテンを開けていると、画像が薄っすらとしか映りません。夜も、部屋の照明を消さないと、はっきりと観えません。

すると、テレビを観ようとしたら、カーテンを閉めて、完全に「テレビを観るモード」に切り替えないといけないわけです。
テレビのつけっぱなしができなくなり、最初は「失敗したかな…」と思いましたが、不便だからこそ、テレビを観る時間に集中することができるようになりました。

次第に「意味もなくテレビを観る時間」が削ぎ落とされ、ずっとやめたかった「だらだらテレビを観ること」が無くなり、生まれた時間で読書や勉強ができるようになりました。


炊飯器を捨てて鍋でご飯を炊くことにした

テレビと同じく、炊飯器もキッチンに調度良い置き場所がなく手放したいと思っていました。

そこで、もう10年近く使っている炊飯器を捨てて、鍋でご飯を炊くことにしました。火加減や水加減が難しそうと思っていましたが、意外とアバウトでも大丈夫でした!
私の場合「1時間ほど浸水+約10分炊飯+約10分蒸らす」で大体美味しく炊けます。寝る前や出かける前に浸水しておけば、ご飯を炊くのにかかる時間は約20分です。

鍋で炊くことで、
浸水時間が短かった場合は、水を少しだけ足してみたり、
逆に長かった場合は、火加減を強めにしてみたり、と炊飯器ではできない微調整ができます。

炊き終わったら、炊飯器のような保温機能なんてないので、すぐにタッパーに詰めて冷凍保存します。「炊飯器に入れっぱなしでOK」ではない分、ほったらかしにせず冷凍保存まで続けて作業せざるを得ないところが、ズボラな私にとっては良い効果でした。



まとめ

不便益について、ご紹介した本ではこのように述べられています。

…そしてそれは、日々の生活を「不便益」という視点で捉え、発想を転換する思考法にもなります。
「当たり前」だと思っていることを見つめ直すこと。本当に必要かどうかを問いただす目を持つこと。「不便から生まれる益」を考えることは、日常生活における発想の転換にもつながるのです。


私の身の回りにある不便益について考えてみましたが、探せばまだまだあるような気がしますし、改めて見つめ直せば「あえて不便にした方が良いもの」に出会えるかもしれません。

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