大学一年生のころのおはなし~毒親を添えて~

高校生

 こんにちは。私が、いわゆる毒親に見合われた話をしましょう。あれは僕が大学生になったころです。一応自分は医学部というお医者さんを育成する高難易度の課程を志して勉強していました。しかし、このままでは受からないぞとセンター試験(現 共通試験)の結果をみて思われたので、比較的好きだった化学(筑波大)へと前期試験の出願を変更しました。母は次の年の医学部への予行演習として、どっか受かった成功体験をもっといた方がよいという理屈で納得していました。

 きたる我が誕生日、国立試験日ですが、まあとりあえずは受けて次に備えます。なんだかあまり集中してなかった気がします。

 結果発表~!!高校の卒業式は確か国立後期の結果発表の数日前にあったので、まだ虚勢を張れるのでした。いや絶対確率的に受かってるからと友人に話してた気がします。産業医というお医者さんを育てる産業医科大という九州の大学、最終まで行きましたがだめでした。筑波大学化学類、駄目でした。

大学生

 さて浪人編へと入りたいと思うのですが、ここで筑波大学化学類様から補欠合格の報せが届きます。僕はもう嫌だった。僕の性格的に浪人なんて絶対続かないことを知っていたから。なんとか母を説得しつくばまで車を走らせます。とりあえず入学しようなんていいながら。入学書類を書きながら母は大学の人にやっぱり筑波大学を蹴る人は多いんですかね~なんて聞いて、半数ぐらいでしょうかなんて大学の人は答えてたと思います。ちょっとして、産業医科大からあと5点だったねと通知が来ました。

 いや~!待ちに待った大学生活が始まります!いいえ始まりません。武漢から始まった原因不明の肺炎の影響があったものですから。いまとなっては考えられませんが発症者が数十人とかでみんな大変だ大変だ言っていたと思います。何はともあれ大学生活すなわち非対面式の授業が始まります。対面は週に1回ある体育だけでした。僕はもうなんだか見ないといけない授業なんてものはだいたい見ずに後回しになって、ノートも第3回までしかとらずに、先生への課題おくれ謝罪&受け取れメールは20回程度送っていました(先生はやさしく大体受け取っていただけました)。こんなんが秋学期(10月)の前まで続いたわけです。体育の終わりにそこで知り合った人と喋るぐらいが対面での娯楽でした。なんだかおんなじ学類の人が体育で急に話しかけてきて、帰るまで1時間くらい喋りかけてきて、なんなんだこいつはと最初思っていたのがだんだん面白いやつだなとなったのでした。

 さておうちでは僕は何をしてたのでしょう。のんびりしていました。では母は?母はまだ僕の筑波大学入学に実は納得していなかったのでした。そこで、母は僕に長期間にわたる説得をなさる訳です。たしか5月頃には僕はもう筑波大への入学を決定しもう浪人はしないと宣言していたのですが、母はそれは絶対に許さない筑波大学は退学させる、筑波大学程度ではなく"いい大学"(どうやら早慶・旧帝大・医学部とかそこらへんの事を指しているようでした)へ行かねばならない!という話しを常にされていました。

 さてこれまでどうも曖昧な話しをしてしまっているのはひとえに自分の記憶力の問題で、どうも僕は忘れっぽいのです。ここで僕は一次文献を見つけます。当時の数件の説得の録音と、家出(後で話します)をしたときの書き置きです。それによればどうやら、朝起きて、筑波大学は屑だ、昼頃、もうやめてくれ、夜中枕元で、(悲壮な感じで)筑波大学はもうやめるんだよ、といっていたようです。(精神の)調子が悪いときには、お前のせいで苦しい、いままでにかかった1千万返せ、とかおっしゃっていたと書いています。母の目の届くところでは受験勉強をしていないと怒られてしまっていました。象徴的な出来事としては自室に僕が勝手に取り付けた鍵を破壊するとか、あんまり家にいたくない僕が自転車でどっかいってしまわないように外出を推奨しなかった事とかでしょうか。ちょっともう読者にはおなかいっぱいかもしれないのでここら辺にしておきましょう。まあぼくも母もノイローゼ気味になっていたんだと思います。それだけだったと思います。  たぶん。

 浪人が仮決定したとき(補欠合格が届くまでの期間)には、母は、お前を医学部に入れるために有名な中高一貫校に入れたと言っていた事からも分かるように、おそらく今まで貯めてきた期待が現実とあまりに乖離してしまって精神が不調になってしまったのだと思います。母があまり他の趣味や団体に参加してなかったのも要因の一つであったと思ったので、テニスをすることを進めたのですがだめでしたね。

夏休み

 さて夏休みが到来します。大学1年生の夏休み!!!!!ヒャッハーーーー!!!!というわけで我が家を離れ、僕は京都へ旅行(家出)します。

 相変わらず記憶が曖昧なのでそのとき祖母宅に残した書き置きを抜粋します。ごめんねおばあちゃん、証言してくれる人が必要だと当時の僕は思ったんだ。

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 私はこの半年の期間を通じてこのまま筑波大で化学をやりたいという意思が強く固まりました。しかしその意思が尊重されない、かつその意思を貫くのが今の状況では困難であると判断したため、この家を出て行きます。
(中略)
 以下は私が筑波大に在籍したいと主張した後に母がとった行動の例です。
(中略)
 以上に挙げたように母と暮らしながら筑波大学に通いたいという意思を通すのは物理的にも心理的にも大変難しいと思います。よって自分勝手で申し訳ありませんがこの家を出て行くことに決断致しました。
 なお、これらの記述は自分目線の事で、もしかしたら事実とは異なるかもしれませんが、以上が 今自分が感じている率直な考え・思いです。
 今まで母には家事・育児・学費等大変お世話になり感謝してますし、母が私の行動に納得しない事も分かっており、母の期待に添えないことも残念です。それと、今までかかった 1千万円返せという母の要求ものめないのも残念です。

(重要事項)
・自殺は致しません
・自らの意思のみで出て行きます。
・いつか必ず戻ります。

以上  日付 署名 捺印

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 うーん名文ですね。ノイローゼが極まった僕は、母の目を盗み荷造りをして、京都に単身赴任している父の元へ遊びに行きます。まあ父もそのとき精神をやってたのでまだ精神がよさげなときに電話して現状を訴え強行したわけですが。

 みなさんもご存じかもしれませんが、失踪するときには書き置き、特にこの書き置きの最後の方を書いておくことをおすすめします。事件性がないこと・強要性がないことを明示しておくことで警察は動けなくなるそうですよ。署名日付も忘れずにね。

 さて一ヶ月程度京都を満喫した僕は、父にそろそろ帰らないとなと切り出され、驚きます。ぼくはてっきり物語のなかでいじめられた孫が祖父母宅にやってきて、いつまでもいていいからねと言われるような展開を期待していたものですから。まあ父も精神が悪くなってきたので帰らねばならぬということになります。

終わり

 まあなんやかんやあって、1年は頑張って受験勉強をして受験するということになりました。突っぱねても話は平行線ですから。まあなにもやる気はなかったのでなにもやっておりませんでしたが。

 そして迎える受験日、共通試験をやったんですよ、ぼくは浪人もしてないのに。いや仮面浪人か。7割くらいだったと思います。早稲田?たしか受けずに東京の町をふらふらと歩いていた気がします。なんだか人生に行き詰まって帰る家もないときは、夜、隅田川沿いの所を歩くといいと思います。

 我が誕生日、国立試験日、東工大というなんか強そうな所をうけます。途中でもう疲れちゃって、あとで問い合わせたらどこかに不備があって採点されなかったそうです。もうおわったぞということでおわりです。

 大学一年生は本当に孤独でした。ひょうひょうと季節に関係なく後ろに風が吹いていました。ぼくは大学生ではありませんでした。浪人生でもない。なにをやって僕はなにに属していて何者なんだろうと思っていました。本当に本当に訳が分からなかった。もうちょっとで完全に狂うところでした。高校の友達、大学の友達、高校の先生に少しずつ話してなんとか精神を保っていました。そして精神が狂ってしまったらTwiterへと赴き、すべてを、精神のとぐろを放出するのでした。放出した精神は比較的どっかに消えていきました。Twitterがなかったとしたら、やはり僕は狂ってしまっていました。5月にTwitterを始めて新入生へ新生活やら授業やらのアンケートをとるアカウントをつくったのもどこかに所属したいという意思があったからなのかもしれません(https://twitter.com/soysauce001s)。その意味ではTwitterと当時のフォロワーたちに大感謝をしています。ここでそのアカウントたちを読み上げて告白すると流石に気持ち悪すぎますから、ここら辺でもうやめておきたいと思います。

 最後に当時よく聞いていた曲を紹介して終わります。

 最後といったな?それは嘘だ。自分の親のことを毒親だと言ったり思ったりする人はあまりいないようですが、端から見るといや毒親でしょ❗という時がままあります。それはどうも上(下?)をむけば自分の親よりやばい毒親がいるからだと思いますが、毒親をお持ちの皆様は他の事例など気になさらずにちゃんと自信をもって毒親なんだ❗と思って頂きたいです。

 とてもお節介ですが、毒親に苦しんでいる方は物理的に距離をとることが最大の解決法です。なぜなら彼らは変わることは無いからです。地方大学へ入学、地方へ就職などを活かしてぜひ離れて見てください。応援しています。

 現状報告です。僕の受験の後、単身赴任から帰ってきた父はその日中に母と喧嘩して別居し、今は僕は父と健やかにのんびりと過ごしております。いい生活です。時々母からは電話が来ますが時々受験しても良いからねとうわごとを仰ってたりします。まあ元気そうで何よりです。大学生活は2年生から良い感じになり、僕のことを拾ってくださったクソ化学類様には色々とカリキュラムや実験によって苦しめられ楽しいです。皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 まあここまでお読みくださりThank youです。ではみなさま、今生も健やかにお過ごしくださいね。ではでは。


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