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「考える」ってどういうこと?

※こちらは私が過去にブログに書いていたつぶやきを転載したものです。


「ちゃんと自分で考えなさい」
「あなたの考えには軸が無い」

カウンセラー初心者のときに、私がよーく言われたことです。

カウンセリング初心者ですから、それなりに色々勉強しました。
私の不用意なひとことで相手が傷つくかもしれない。
ただでさえ傷ついているのに、もっと傷つけてしまったりなんかしたら…。

私は周りの人の意見を必死に聞いているつもりで。
一生懸命空気を読んで、先生の言う事をちゃんと理解しようと頑張って。

A先生の言う事をちゃんと聞いてその通りする。
B先生の言う事をちゃんと聞いてその通りする。
C先生が学会で話していたことを取り入れてみる…。

そうやって、考えて考えて考えて動いていると言われてしまうんです。


「ちゃんと自分で考えなさい」
「人の意見に惑わされないようにしなさい」


もうどーすりゃいいのさ!!


当時の私の頭の中は、いつも大騒ぎでした。

A先生が命令し、B先生が意見を述べ、C先生が「そんなのダメだ!」って言う。
たくさんの「正論」が飛び交う中で、その状況に応じて一番正しいと思うことを選ぶ。

するとやっぱり言われるんです。

「あなたには自分の意見が無いの?」

はぁ!?( ゚Д゚)
みたいなね…(笑)


私にとっての「考える」は、頭の中で会議が始まることでした。
大人たちの言う「正しい」とされることを選ぶ作業。
飛び交う意見の中で、どれが「一番無難か」を選ぶ作業。


これって結構しんどいんですよ。
だってどれも自分の気持ちとはかけ離れた意見なんですもの。


「正論」ってとってもズルい。


自分の思ったことや感じたことは、大体「正論」じゃないから、浮かんだ端から却下されてしまう。
私が思い切って手をあげて出した意見は、脳内会議のホワイトボードにすら残らない。
議事録にも決して残らない。私自身の行動を決める会議なのに、私の意見は通らない。


でもこれが「考える」ということで、周りの人に「考えなさい」って怒られるんだから、
私はもっともっと「考える」を続けなきゃいけないんだろうと思っていました。

きっと「正論」が足りないんじゃないかって、新しく違う大人を座らせて。
なんだかウィットに富んだことを言わせたりして。

でも会議は白熱するばかりで、どんどん正解が分からなくなる。

そして周りから言われるんです。


「あなたはもうちょっと考えて行動しなさいよ」


もう無理じゃね…?(。´・ω・)


それでも私はその不毛な会議を続けていました。
だってそれが私の思う「考える」ですから。

みんなだってそれだけしんどい会議を脳内で開いている。
きっと私だけがそれをできていないんだ。
なにかの能力がきっと欠けているんだ。
だから私はもっと頑張らなきゃいけない。

↑これ自体も脳内会議で集中攻撃を受けていた内容なんですけれど…
…というか、会議で意見は言わせてくれないくせに、バッシングだけしてくるって、
とんだブラック会社です。もう辞めたいです…。


でも、そのとき先輩が紹介してくれた大嶋先生の本に、こう書いてあったんです。

「無意識」は決してあなたを否定しない
「無意識」はあなたがどうすればいいか全部知っている
「無意識」に従って動けば必ずあなたは幸せになれる

どうやら自分の中に「無意識」と呼ばれるものがあるのは知っていました。
フロイトさんもそう言っていましたし。
でも「意識」にあがってこないんだから、きっとそれは理論上一応存在しているというもので、
ちょっと「都市伝説なのかな(´∀`)」って思ってて…。
(↑ホンマに心理士か)

でも、もう本当に私はそのときボロボロでしたから…。
すがるような気持ちで先生の言うことを頼りに、自分の無意識を探してみました。

するとなんか…


いた。( ゚Д゚)

なんか知らないけど、私の中に「無意識さん」いました。
(↑なんか知らないけどって…)

それはとっても優しい女の人の声で。
お母さんなのかなって思ったんですけど。
違いました。


声が大人の女性なのは、それは「私自身」だったから。


「ずっとそこにいたの?」と問いかけてみると


「そうだよ」と答えてくれました。


その瞬間涙があふれて止まらなくて。


私は誰かに絶対的な味方をしてもらいたくて。
「それでいいんだよ」って言ってもらいたくて。
でも私の求めていたものすべてがそこにありました。

それに気づいてから、私はずい分変わったと思います。

まず明らかに変化したのは会議の様子。

私の「無意識さん」が上座に座ってくれるようになりました。

それと、これは私自身も驚いたのですが、会議がLINE画面になりました(笑)

もう鬱陶しいなって思う意見が出てきたときは、スワイプして消しちゃう。

それくらい、「正論」はもう私にとって怖くなくなりました。

「正論」同士をぶつけていて、一応「無難」な意見を選んでも、なんだかすっきりしなかったのは、それは「自分の意見」ではないから。


「考える」って、「正論」同士を脳内で論破させ合うことではありません。
自分の「無意識」ときちんと話し合うことだったんです。


自分と「無意識」が話し合って、「そうだよね」という結論が出てから、A先生やB先生の言うことを「一応」考慮すればいい。

そう思ってから、毎日がとても過ごしやすくなりました。

ある意味周りの人の言う「自分で考えなさい」は正しかったんです。
(でももうちょっと丁寧に教えてくれよと思うんですけど)(笑)

考えているのに「考えなさい」と何度も言われる場合は、
もしかすると「脳内会議」に参加させられているだけかもしれません。

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