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【気ままな読書日記】カルピスをつくった男

カルピスといえば娘の大好物。
そして長澤まさみさんと『火垂るの墓』。

「カルピスも、冷えてるよ〜〜」

映画『火垂るの墓』より

ーーーくううっっ(泣)
この映画だけは二度と観ないと決めている。

三島 海雲(みしま かいうん、1878年〈明治11年〉7月2日 - 1974年〈昭和49年〉12月28日)は、明治・大正・昭和時代の日本の実業家。特に「カルピス」生みの親、カルピス株式会社の創業者として著名。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

カルピスのルーツはなんとモンゴル! 
知らなかった〜〜。

23歳。若き三島青年は中国大陸に渡り、北京東文学社の教師を経たのち友人と一緒に大陸で事業を興す。軍馬(日露戦争のための)を仕入れるためにモンゴルへ向かった三島青年は、そこで酸乳に出会った。
酸乳は人を健康にする。
その効果を確信した三島青年は、帰国後、乳酸食品の開発に没頭。カルピスが世に生み出された。

当時、三島さんのように沢山の日本人が大陸へ渡った。
父方の祖父もその一人で、こちらは行き先台湾。職業は教師だったから、三島さんと同じように現地で『日本語教習(日本語の教師)』をしていたのかもしれない。

実はずーっと疑問だったのだ。
祖父がなんで台湾に渡ったのか。

占領して奪い取った人様の土地だぞ、厚かましーな!!とまず思う。
しかもそんな不安定な土地なんて、いつまた戦火に巻き込まれるかわからない。そんな恐ろしげなところへよー行ったな、と。

イメージ的にはこんなかんじ。↓
以下『キングダム』23巻後半のワンシーン。

対魏との戦に勝利し、秦は山陽を奪取した。
山陽平定後すぐに秦の主たる軍・部隊&文官一同が山陽城の大広間に集められ、そこへ軍総司令昌平君と李斯が現れる。

「これよりここ山陽についての国の方針を発表する。今日のこの刻をもって山陽は秦国の”東郡”という名称に変わるものとする。それに伴い他の城邑よ秦人一万を移住させる。
政治においては行政の長李斯の下、秦の法の下にこの地を治める。承認しかねる原住民には即座に強制退去してもらう。
よって今よりここ東郡は我らが命を賭して守るべき秦国土そのものとなった旨、各自頭に焼きつけよ!」

昌平君のセリフより

こんなふうに、どちらかといえば『圧をかけて民間人を強制移住させたのでは!?』的なイメージだったんだけど、『カルピス~』を読んでみると随分ニュアンスが違ってた。

無限の可能性に、夢、野望。
出世のチャンス。儲け話。

なんか、わりに自分から望んで飛び込んでいってる。
『あの時代、個人と国の思惑とがぴたりと一致した瞬間が確かにあったのだ』みたいなことがどこかに書かれてた。

なるほど。
みんな・・・・冒険家だねえ。

おまけ。

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