【パニック障害生活 #3】昔の話②

皆さんおつかれさまです〜!!

前回の続き書いていきたいと思います。

高校受験が始まる頃の話です。

私は当時、やりたいことがあって、地元の高校の専門科に進学しようと思っていました。
その気持ち自体は中学に入った頃からあり、親にも伝えていました。

でも、反対されました。
親からはもっと偏差値の良いところへ行け、進学校へ行けと言われ、学校の先生にももっと良い高校狙えるけどいいのか、と言われました。

その時思ったのが、私の行きたいところは良くないと思われているんだ。ということ。
勿論そんなつもりで言ってないことはわかってた。でもこの人たちにとって大事なのは偏差値なんだ、と思いました。
私の気持ちとかやりたいことではなく、いかに偏差値が高いところへ行けるかが全てなんだと思いました。


頑張って親を説き伏せ、自分の希望する高校を受けさせてもらえるようになりました。
でもまだまだ問題だらけでした。

年末年始、いつも親戚の家に挨拶にいくのですが、行く先々で普通科にしなさい、なんでそんなところ行くの、やりたいことがあるの?変ね、と言われまくりました。
正直地獄です。なんでそんなに否定されなきゃダメなんだ、と思っていました。
ただひとりだけ、いちばん遠くに住む親戚だけはいいね、頑張ってねと応援してくれました。
その人のことは今でも大好きです。(もうお亡くなりになりましたが、、、)

年始早々、ひとりで声を殺して泣いたのを今でも覚えています。親戚から言いたい放題言われた時にせめて守ってくれる親であれば、、、とも思いました。
(でもその時苦笑いしか出来なかった私もちゃんと家系に染まってたんだなと思います。)


無事に進学が決まり、高校生になりました。


地元はものすごく田舎だったので高校に出て一気に世界が広がりました。

学校が楽しくなりました。
相変わらず友達は少なかったけど、中学の時みたいないじめとか陰口とかが全くないクラスで、しかも3年間持ち上がりで、安心して過ごせました。

ただ、反対に家はどんどん荒れていきました。

高校は専門科で放課後に自主的にいろいろ取り組んだり、また専門科の職員室で先生といろいろな話をしたりかなり自由でした。
家が嫌いだった私はそれに甘えて、いちばん最後のバスが出るまで毎日学校に残っていました。

また高校生になったのでアルバイトもはじめました。
基本は土日だったんだけど、平日も時々入って、相変わらず習い事も続けて。ほんとに家に帰って寝るだけ、みたいな生活をしていました。
そのうちご飯も夜中に食べるようになりました。
みんなが食べたものの残りだったり、自分で作ったり。みんなが寝た後に息を潜めて食べていました。

朝は親がバス停まで送ってくれる日もありました。でも。。。。
その車中は相変わらず愚痴だらけ。


ある時、友達に泊まりに誘われました。
お泊まりなんて幼稚園以来していなかったし、高校生になったしこれぐらい許されるだろう、と思って親にお願いしました。
そしたら即時に否定。ダメだ、と。更にはそんなこと言ってくるのはどこの子なの、と。
そんな言い方をされて友達の名前なんか出せないし、正直何がダメなのか全くわかりませんでした。(今でもわかりません。わかる方教えてください)

親からしたら心配なのは理解できる、でももう高校生。
相手の親に迷惑がかかるかもしれないと思うのもわかる、でもそれがわからなくて迷惑をかけるほど子どもでもない。

ブチ切れて、勝手に家を出て勝手に泊まりに行きました。

夜になったら帰ってこない私を心配して連絡してきました。
でも連絡の内容はなんで勝手に泊まりに行くのか、ありえない、人の気持ちがわからないのか、こんな子だと思わなかった、育て方を間違えたとかばっかり。
心配しているようで自分の心配しかしていないんだ、と思いました。

だから、今日は帰らない、とだけ言い続けました。
連絡を見るだけでイライラして腹立って、連絡できないようにしたいけど、連絡がつかなくなると通報するような親だから、連絡だけは何とか頑張って耐えた。
夜中の2時ぐらいまでそれで喧嘩していた。

次の日、学校に行った。

学校で先生に呼ばれた。
親から連絡があったらしい。帰ってこない、と。

最悪。信じられない。

普通学校に連絡しますか?おかしいですよね、流石に。
私と一切連絡がつかない、とかならまだわかる、でもちゃんと連絡付いてるにも関わらずそんなことをして学校にまで迷惑をかけるとかあり得ない、としか思えませんでした。

当時の担任は私の家庭事情とか気持ちとかいろいろ話していたので、特に責められることはありませんでしたが、先生としてはかなり複雑だったようです。
親からの連絡があった以上、生徒指導にはなるし、反省文は書いてもらわないといけない、でもあなたは悪くない、と。

生徒指導になると、先生5人ぐらいと面談があります。普通科の普段関わらないような先生と、です。
もうどうしたら良いかわかりませんでした。

とにかく逃げても意味ないから指導室へ行きました。
そこには生徒指導の先生。きっと全て否定される、その覚悟でいきました。
ですが、既に担任からある程度の話は聞いていたようで、私が拙い言葉で少しずつ話すのを噛み砕いてちゃんと聞いてくれ、更にはなんでそんなことをしたのかなど気持ちまで確認してくれました。(後から知りましたがその先生も家のことで苦労したみたいです)
今回のことは、やり方こそあまり良くなかったけど、反省はしなくて良い、親ときちんとぶつかって、わかってもらうチャンスだと思ってちゃんと話し合おう、ということになりました。指導は回らなくても良いようにしとくから、と。
本当に感謝しています。

反省文をかけと用紙を渡され、その場で書きました。
思っていること、今まで溜め込んでいたことを沢山。

家に帰った後、反省文を親に渡しました。(親のサイン貰わないとダメなので。)
それを見た親は何だこれは、と。
こんなものは反省文でも何でもない、ふざけてるのかと言われました。
ただ思ったことを書いたのに。先生もそれでいい、間違っていないと言ってくれたのに。
だから親に初めて反論しました。
違う。今回のやり方については反省してる、でも後悔はしてない。わかってほしい、と。
それでも親は、そんなのは間違ってる、おかしい、その先生もおかしい、と言ってきました。
ずっとその押し問答でした。
幸い、そのあと親は妹の迎えがあったので話し合いはそこそこに終了しました。

それでも何とかサインをもらい翌日学校に提出しました。
指導の先生と担任に感謝と家でのことを伝えました。
親はそれで何十年も生きてるからすぐには変われないよ、と。でもきっと伝わったよ、頑張ったねと。
認めてくれる人はどこかにいるんだ、と感じて涙が溢れました。


でも親は納得しなかったみたいです。
その2週間後ぐらいに、親、学校、私で面談が組まれました。学校からは学年主任や科長などかなりな顔ぶれでした。

担任には話し合いにならないから嫌だ、と言いましたが逃れられませんでした。

話し合い開始、学校が進行してくれるのである程度まともに話が進みます。
私の思ったこと、なんでこのようになったのかを伝えました。
親の感じていること、どうしてほしいのかを聞き、、
話し合いは進みます。でも。
親は私が心配だ、心配させないで、ばかり。だから?としか。
親は泣き出しました。
泣きたいのはこっちです。
私がこんなにも我慢してるのに、また言いたいことの1割ぐらいしか言ってないのに、そんなに泣かれたらなにもいえない。何も言えませんでした。
そのまま終わりました。
帰りの車では無言。なにも生まれませんでした。

ギスギスしたまま、毎日が続きました。
ちなみになにも変化はありませんでした。余計にひどくなかったかもです。

その頃から妹が反抗期に入り、余計に環境はひどくなっていきました。


今回も長くなってしまったーーーーーーすみません。
次回続き描きます。

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