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声にならなかった言葉の粒は。


人生が、ワンクリックで終わるゲームだったら、わたしはもうその1回を押してしまっていたかもしれない、と思う。

それくらい、切羽詰まった瞬間は、誰にでもあると思う。

でも別に、起きた出来事がものすごくつらいというわけではなくて、ただただ、その出来事が誰にも言えなかったり、誰にも共感されなかったりすることがこたえる。

だったら、誰かに言えばいいじゃん、と思うのだけれど、そう都合よくなんでも言える人もいない、わけではないのだけど、わたしがなにか壁をつくっている。

大事な人ほど何も言えなくなってしまう

相手のことを考えれば考えるほど、なにも言えなくなるループにはまっている。

相手のことを知れば知るほど、きっとこういう答えかかえってくると思ってしまう。

相手が大切であればあるほど、わたしのどうでもいい暗い話で時間を奪いたくないと思ってしまう。

それに、その人に関係ある話題だったら余計話せない。

こういう思考回路をずっとしている。

一歩踏み出せばきっとなにか変わるのかなと思うけれど、もうずーーーーーーっとなんにも言えないね、ってところで拗らせてる。笑ってしまう。

たぶんちょっと遠いくらいの関係性の方がなんでも言いやすい。

でも、大事な人ほど、わたしの話を聞きたがってくれたりする。
暗い話でもなんでも、話を聞いて、救おうと手を差し伸べてくれる。
だから、遠い人に話すのも、その人を相談相手に選ばなかったと傷つけてしまったりする。

結局、誰にもなにも言えないまま、わたしが言いたかったことは全部涙になって、頬をつたっていく。

その瞬間はすんごく、もう消えたいって思うのに、泣いてるのはまだ生きたいからなんだよなあと思って、自分の矛盾に心がわけわからなくなる。

それで泣いたらスッキリして、でも心の奥底にまだ解消されない悲しさとか怒りが降り積もる。

言わなきゃいけないのに、言って吐き出さないときっと解消されないのに、それは全部涙にしかならない。

涙の浄化力がもう少しだけ高かったらよかったのになあ。なんて。

もう少し勇気を持ちたい。

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