粋、だった
私は、おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出はありません。
ただ、私の記憶の中に、おじいちゃんとおばあちゃん、それぞれ写真のように切り取られた場面が残っています。
その時、話をしたのか、何をしていたのか、全く覚えてはいません。
ただなぜか、記憶にとどまっているのです。
おじいちゃんが1枚、
おばあちゃんは2枚。
今日は、そんな私の記憶に残る、おじいちゃんとおばあちゃんのお話。
父は工場を営んでいたため、家族で出かける事はほとんどなく、私はいつもひとりで遊んでいました。
私は昔から人と話をする事が苦手だったため、その頃から絵を描いたり、妄想したりして遊んでいました。
敷地内は工場と食堂、そして事務室がありました。
私はだいたい食堂にいました。工場はもちろん事務室もみんながお仕事しているので、入ってはいけない雰囲気があるためです。
でもその日、普段は近づかない事務室を覗いて見ると、見知らぬおじいさんがソファーに座っているのが見えました。
おじいちゃんでした。
ジャケットを着てハットをかぶり、そしてステッキを持って背筋を伸ばして座っている、その場面だけが私の記憶にあって、今でも思い起こすことができます。
でもただ、その切り取られた一番面だけ。
その人がおじいちゃんだったと言えるのは、お母から今日はおじいいちゃんがくると聞かされていたからか、それとも小さいながらにこの人はおじいちゃんだと、わかっていたのか、
もしかしたらおじいちゃんだと名乗って私に手でもふってくれたのか、全くわかりません。
でもそれがおじいちゃんだと思っているということは、その前後になんらかの根拠があって、その根拠は忘れてしまったけれど、確かにそれはおじいちゃんだったと記憶に残ったのでしょう。
それにしてもなぜ、その姿だけが私の記憶に残っていたのか。
多分、それはカッコ良かったから、かな?っと思うのです。
ジャケットにハットをかぶって、ステッキ。
小さな私にはチャップリンにでも見えたのでしょうか?
おじいちゃんはきっとその自分の姿を孫の私の記憶に留めさせるために、その日、そこに来ていたのかもしれません。
カッコ良い、と言えばおばあちゃんも負けてはいません。
では、おばあちゃんの記憶のお話。
おじいちゃんとおばあちゃんの家は、東京都北区にありました。
小さな木戸をカラカラと開けて10段ほどの石段を上がると母屋がありました。
お家にはいると台所があって、その奥に多分、畳のお部屋が一つ。年に何度かは行っていたのでしょうけど、それでも覚えているおばあちゃんのお家はそこまで。
私の記憶、おばあちゃんの切り取られた1枚目は、その畳のお部屋の一番奥で、片膝を立てたおばあちゃんが持っていたキセルを「カンカン」と火鉢に打ち付けている姿です。
おばあちゃんの匂いも、タバコの匂いも何にも覚えてはいないけれど、その姿が鮮明に残っています。
まさに「粋」です。
そんなカッコ良いおばあちゃんとは、話をした記憶もありません。記憶がないというか、あまり話さなかったのかな?ちょっと怖いイメージは残っているので。
でもそんなちょっと怖めのイメージのおばあちゃんは、私にもう一枚、素敵な記憶を残してくれました。
多分その瞬間は、おばあちゃんと私以外、誰もいなかったのでしょう。
おばあちゃんはおもむろに私をギュッと抱きしめました。
何が起こったかわからない私は、ただ、棒みたいに立ったままでおばあちゃんの首筋を眺めていました。ちょっと、泣いていたかな?でもわかりません。
それはおばあちゃんと私だけの小さな出来事で、おばあちゃんが私の記憶に残してくれた一枚です。
おじちゃんもおばあちゃんも私と過ごした思い出は持っているのでしょうか?
おじいちゃんもおばあちゃんも私と同じように、私との記憶を持っていてくれたらいいな、っと
思います。
おじいちゃんとおばあちゃんへ、感謝を込めて。
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