見出し画像

崖っぷちピアスホール

ひさしぶりにピアスを着けた。
最後に着けたのはいつだったか。

先日、母と食事に行った。
いつも大切な時に行く隠れ家のような小さなレストラン。
せっかくなのできちんとメイクをして。
ふと。
ピアスもしようかな、と思った。


うつ病というものは厄介で、自分のことがどうでもよくなってしまう。
「どうでもいい」の中でも波はあるのだけれど、服装やメイクがおざなりになり、そのうちお風呂に入るのも面倒くさくなり、そのうち起きて顔を洗うことすら億劫になる。自分への関心が極端に低下して、他人にどう見られるか、自分が清潔かどうかすらどうでもよくなってしまう。

逆に言えば、ピアスもしようかな、と思えた私はきっと調子が良くなってきているのだろう。吉報だ。

とはいえ、ひさしぶりのピアス。
しかも私のピアスホールはなかなかの強敵なのだ。


ピアスホールを開けたのは、大学1年生のちょうど今頃。
別に「大学生になったら絶対ピアスしてやる」と思っていた訳ではない。
たまたま、本当にたまたまだったのだ。

ある日、一緒に買い物をしていた友人がピアスを物色しているのを隣で見ていた。
まだ入学して半年ほどなのに、同い年とは思えないくらい大人びた友人。
髪を眩しいくらいの金色に染め、大人顔負けのオシャレな服に身を包み、毎日メイクもバッチリという、これまでの人生で自分の周りには居なかったタイプの子。

チャキチャキとした性格で、思い立ったら即行動!を地で行く子だった。
一緒にピアスを見ていた時に不意にこぼれた「いいなぁ」という私の呟きを友人は聞き逃さなかった。

『じゃああんこも開けなよ!』『ほらこのピアッサーで簡単に開けられるよ』『あたし開けるの上手いから開けたげる!』

もう一度言う。
友人は、思い立ったら即行動!を地で行く子だった。

私は迷った。大いに迷った。
ピアスは可愛い。メイクもファッションもまだまだな私にしてみれば、手っ取り早くオシャレができるアイテムだ。
でも穴を開ける?耳に?友人が?
こんな軽いノリで決めて良いことなのか?
かといって「やっぱりやめとく」なんて言ってしまって、友人に「ノリが悪い奴だな」と愛想を尽かされるのも嫌だ。

あの頃の私は、今よりももっと人の顔色を伺ってばかりいた。
もともと友達付き合いが極端に下手くそなので、嫌われたくない一心で綱渡りのような思いをして友人関係を保つことに懸命だった。

今だったらピアスホールを開けるのを断ったくらいで壊れる関係ならそれまでだ、と割り切れるのだけれど、あの時の私は「ピアスホールでこの関係が壊れずに続くのなら」そう思ってしまった。

結局押し負けてピアスとピアッサーを買う流れになったが、その前にどうしてもやらなければならないことが1つあった。

ピアスとピアッサーを握りしめ、友人に「ちょっと待ってて」と伝え、お店の隅っこで母に電話をした。

ちょうど仕事終わりの母はすぐに出てくれた。
私は意を決して母に伝えた。

ピアスを開けようと思う。友達が開けてくれるって。
お母さんにもらった体に穴が開くけど、いい?

母はあっけらかんと「そんなのわざわざ聞かなくてもいいのに」と笑い飛ばしてくれた。「あんたの体なんだから、あんたが良いと思ったなら良いんだよ」と。

きっと、母はそう言うだろうと思っていた。
母は私が決めたことは絶対に応援してくれるし、迷っている時には背中を押してくれる。別に「親から貰った体をうんたらかんたら」なんてことを言う人じゃないことは百も承知していた。

でも何となく、自分の中のけじめというか、きちんと伝えてからじゃないと嫌だなと思ったから電話した。その答えを聞いてからじゃないと嫌だった。

ちなみに母はその時の話になると「あんたほんと真面目なんだから。そんなの他の子は聞きもしないで開けるでしょ?」と今でも大笑いしながら話してくれる。一生ネタにされそうな勢いだ。


そんなこんなで、買い物から帰って早々に友人にピアスホールを開けてもらった。氷で冷やしてからの方がいいとか、これで消毒してとか、さすがピアスの先輩どこでそんな知識を、と感心している間にあっさりと両耳にピアスが通ったのだった。

開けてしまえばピアスホール・ハイとでも言うのか、無駄にテンションが高くなり、夜も遅いのに何故か他の友人も誘ってこのまま温泉行こうぜ!となり、友人の車で寝ずの温泉旅行に旅立ったのは良い思い出だ。

若いって素晴らしい。

そんな紆余曲折を経て両耳に開いたピアスホール。
友人は『開けるの上手いから』と言っていたが、所詮は素人。
左耳の穴は真っ直ぐとはいかず、中途半端な角度で開いてしまった。

学生の間は毎日着けていたので良かったのだけど、問題は社会人になってから。

看護師という仕事は、見た目に関して色々と制約が多い。
病院によってまちまちだが「ピアスは揺れないタイプを両耳に1つずつ」「ネックレスは小ぶりでシルバーなら可」「結婚指輪は可/結婚指輪も不可」「ネイルは不可」などなど、逆に誰が何を基準にこれを決めたんだと言いたくなるくらい細かいところまで規定されている。

なので、そこまでして着けなくてもという思いと、小児科なので万が一ベッドサイドで落としたり、抱っこしたときに子どもが触って怪我したりといったことがあっては困るという気持ちから、仕事の日はピアスを外すようになった。

それでも休日は着けて楽しんでいたが、仕事が多忙になり休日に出かけることも減り、気がつけばうつ病になり、ピアスのことなど考えることも出来なくなり、あれほど大騒ぎして開けたピアスホールはいつの間にか塞がりかけていた。


別にそのまま塞がってもそれまでかなぁ、くらいに思っていた私がもう一度ピアスを手に取ることになったのは母と一緒に旅行に出かけた先だった。

とある街のフリーマーケットでふと目に留まったアクセサリーショップ。
どれも控えめだけれど繊細で美しく、ずっと眺めていたくなる物ばかり。
その中でも目が離せなくなり、心を奪われてしまったのがこのピアス。

画像1

その頃にはもう昔のピアスは処分してしまっていたし、ピアスが通るかどうかも怪しかったけれど、それでも欲しいと思ってしまったのだからどうしようもない。

店先で手に取ったままうんうんと唸り悩む私の背中を押してくれたのは、やっぱり母だった。
「買えばいいじゃない。好きなんでしょ?こんなに綺麗なもの、次いつ会えるか分からないわよ?着けれなくても、飾るだけでも十分綺麗じゃない」

本当にこの人には敵わない。

そんなこんなで手に入れたピアス。
一か八かで通してみたら、右耳は思いの外すんなり通すことができた。
問題は左耳だ。

入るには入る。
ただし出口がほとんど塞がっているので、なかなか通せない。
探るために動かすせいで、痛いし傷つくし赤くなるしで散々だ。

それでも一応通るには通ったので、出掛ける時にピアスを着けることも増え、ちょこちょこと買い足したピアスの数も増えてきた頃。


うつ病が再発した。

最初に言ったように身だしなみに関心が無くなるので、自ずとピアスも着けなくなった。それまでなんとか苦労しながらも開いていた左耳のピアスホールは、いよいよ塞がってしまう崖っぷちに立たされてしまった。


ここで冒頭に戻る。

母と食事に行く。
ふと。
ピアスもしようかな、と思った。

そこからはもう大変だった。
強敵、左耳のピアスホール。
やっぱり出口が見つからない。やっと見つかっても中から通せない。
小一時間格闘してようやく通った頃には、もう汗だくだった。

それでも耳にキラキラと輝くピアスはやっぱり綺麗で。
母も「ピアスするのひさしぶりじゃない?」と言い、2人で笑いながらピアスホールを開けたあの日の話をして。

たかがピアスホール、されどピアスホール。
この思い出たっぷりのピアスホールはもはや宝物だ。
ちょうど仕事も辞めて時間なら山ほどある。
せっかくだからもう一度ちゃんと通るようにしたい。

という訳で、あれから左耳には毎日小さなピアスがキラキラと輝いている。
最初の何日かはひさしぶりに通したせいでジクジクと疼いていたが、今は落ち着いたみたいだ。

頑張れ、崖っぷちピアスホール。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?