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【俳句ポスト】鳥雲に入る

鳥雲にピンクテープの巻かれし樹

俳句ポスト365 兼題『鳥雲に入る』並選

結果発表ウィーク

 今週は、俳句ポストの兼題「鳥雲に入る」(仲春)の結果発表ウィークである。
 俺は、この月曜日を楽しみにしている。
 それは、季語の本意をより深く受けとめられる日だからだ。少々、夏井いつき組長の言を引用する。

「鳥雲に入る」は、動物の季語です。ひょっとして、天文の季語あるいは時候の季語と勘違いしているのかも……と思われる句も散見されました。
動物のジャンルの季語である以上、帰っていく「鳥」の姿が内包されていると考えるものですから、真夜中の鳥雲に入るという句には、(うーむ、その光景が見えるのだろうか、との)違和感を覚えてしまいます。
また「鳥雲や」という使い方をしている句も幾つかありましたが、 「鳥雲に」の「に」という助詞は、季語の本意に対して重要な要素であろうと考えます。この「に」の意味をしっかりと捉えて作るべきではないのかと、思うのです。 

俳句ポスト365 中級者以上結果発表 夏井先生評より
太字は俺が強調してあります

まず、ひとつ目の太字にした部分
動物の季語、天文、時候の季語という言葉がある。
これは、歳時記を見るとわかりやすい。
歳時記は、春夏秋冬新年の五つで分類されているが、さらにその中でも細分化されている。

角川の『合本俳句歳時記』だと
時候・天文・地理・生活・行事・動物・植物
主婦の友社の『いちばんわかりやすい俳句歳時記』だと
時候・天文・地理・人事・行事・忌日・動物・植物

こんな感じで分かれている。
二つの歳時記の違いの部分は生活=人事、行事(忌日含む)=行事、忌日 なので、呼び名が違ったり、より小分けしていたりするかどうかというだけで、ほとんど違いはない。
「鳥雲に入る」という季語は、この中の「動物」の季語なのだよということだ。
 だから、俳句を詠むにあたっては、そこに渡り鳥が飛んで雲に入る様子がイメージされてもおかしくない状況が設定される必要がある。
室内であったり、夜中だったりするならば、よっぽどの必然性が必要になるということだ。

もう一つの太字にした部分
「鳥雲に」という、「鳥雲に入る」の傍題の「に」に対する言及。この傍題は「鳥雲に(入る)」の(入る)の部分を省略して、余情、余韻を感じさせる傍題と考えられるので、「に」は外せない助詞だ。
例に挙げられている「鳥雲や」だと「鳥雲」+「や」になってしまうわけで、「鳥が雲に入っていく」という様子を季語とした「鳥雲に入る」とは全く別物になってしまう。
ちなみに、鳥雲という名詞は「ちょううん」と読んで、鳥が群れとなって一斉に飛んでいるような様子を指す、全く別のものである。

…と、こういうふうに季語に対して深掘りすることができるのが、この月曜日なのだ。よくわからん季語をこうやって解説してもらえるのは本当にありがたい。

類想の壁

同時に、この月曜で「あー、やっぱりね」とか、「ええ?それも?」とかなるところもある。
類想についての解説部分だ。
こちらも引用する。

◆今回の類想で多かったのは、
「鳥雲に入る」=人が亡くなる。
この発想でした。「人は死んだら星になる」の朝昼バージョンのような使い方が非常に多く、少々驚きました。
中には、「鳥雲に入る=人が死ぬ喩え」と受け止めているのかという句もあり、困惑もいたしました。
(例)三時二分鳥雲に入る弟よ
   また一人鳥雲に入る吾残し
  
◆さらに、以下のような類想例も多くみられました。
[心情を託す]
・ 亡くなった人を想う
・ 未来への希望と不安 → 入学 進学 転勤 転職 引越 結婚 帰郷 など
・ 平和 停戦への願い 祈り
・ 別れを想う
[雲に入る鳥の様子、それを見送る人の様子を詠む]
・ V字型
・ 一羽だけ遅れる 置いていかれる
・ 手を振る、見送る エールを送る
・ その一瞬を撮る
[鳥たちが去って]
・ 池や沼の水面が静か
・ また来年を待つ
・ 自分はここに残される
・ 置き去りの〇〇 おいてけぼりの〇〇
◆取合わせられがちな言葉は、以下のようなラインナップ。
・ 閉店 閉校
・ 廃校 廃屋
・ 退職 引退
・ 葬儀 墓碑 〇〇回忌
・ 地図 国境
・ 船 汽笛 列車
・ 畑仕事 農事 
・ 夕日
・ 卒業 学帽
・ 入学準備 ランドセル 制服(の裾を上げたり)
◆ありがちな場所としては
・ 海 岬
・ 峰  〇〇山を越えて
・ 子どもが去って空っぽの部屋
・ 屋上
・ 車窓 機窓 病窓
・ ロシア 北国 ウクライナ

俳句ポスト365 中級者以上結果発表 夏井先生評より

ね、すごいでしょ笑
今回でいうと、投句数4012句だったそう。
ちなみに、俺はみんなの俳句大会の審査をしているので、たくさんの俳句を読ませてもらう機会があるんだが、その数およそ350〜400くらい。
俳句ポストでは、その10倍以上の人数が、みんな鳥雲に入るという季語で詠むのだから、発想にある傾向が読み取れるのも納得できる。
今回の兼題では類想から離れられたが、いつもはここの類想に自分の発想したものを見つけて驚く。

でも、類想だから悪いということではない。
むしろ多くの人の持つイメージであるし、共感も得られやすいのは確かだからだ。夏井組長も類想を否定しているわけではない。
その証拠に、類想でありながら特選や秀作に選ばれている句も多く存在する。

同じ発想なのに、類想の壁を越えられるのはなぜなのか。
そこには、一片のオリジナリティが必要なのだそうだ。そう言われてもって感じだよね笑

類想の壁の先に

さて、今回の俺の句は並選。
三句出したが、その中で自選していた句だ。まあ、他の二句に比べて具体的な景が浮かびやすかった。
元々は

鳥雲にピンクテープの巻かるる樹

と詠んでいたが、実際は今巻かれているのを見たわけではなく、巻かれた後を見たので、過去形にしたのである。

さて、この句が並選を越えて佳作以上にいくには何が足りないのだろうか。
今のところ、俺は季語の必然性ではないかと思っている。季語を主役に立てる分量といってもかいいか。
この句では季語が背景となって、ピンクテープが強く出過ぎたのかな。
結果を受けてさらに推敲

ピンクテープ巻かれし樹々よ鳥雲に

軽く詠嘆で切って、そこから目線を空へ。うーん、こっちがカメラワークとしてはいいかなあ。


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