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【サークルディベート】「noteで毎日投稿するべきか?」

今日の記事は「サークルディベート」

俺が初めて所属したサークルが「Bambooのnote活応援サー クル」として再始動した。

入ったのはちょうど去年の今頃だったと思うが、そのころの名物企画だったのがサークルディベートだ。

再始動を祝って今日はこれに参加しようと思う。

議題

「noteで毎日投稿はするべきか?しない方が良いのか??」

ディベートとは

ディベート(debate)
一定のテーマについて、賛否二つのグループに分かれて行われる討論。《デジタル大辞泉》

具体的にはこんな感じ。

「肯定側の立論」→「否定側の反対尋問」
「否定側の立論」
→「肯定側の反対尋問」
「否定側の反駁」→「肯定側の反駁」
「否定側の最終弁論」→「肯定側の最終弁論」

バンちゃんのサークルディベートは、お題を決めて、それについてそれぞれの視点から好きに語るというスタイルなので、本来このようなディベート形式は取らないのだが、今回はあえて国語的見地から、本来のスタイルに沿ってやってみたい。とはいえ、そうすると相手側の協力もいるので、今回は俺の側だけでできる「否定側の反対尋問」
と「否定側の立論」だけにしよう。

バンちゃんがもしのってくれたら「肯定側の反対尋問」→「否定側の反駁」→「肯定側の反駁」もあとで公開するかも😏

ディベートをスタートする前に

さて、俺のほんとの意見

「どっちでも好きにしたらええやん」

と、エセ関西弁を駆使して答えるところなのだが、これはディベート。賛否に分かれて行う討論なので、自分を賛否どちらかの立場におかねばならない。

そこで、俺はサークル長バンちゃんの主張に逆張りするスタイルでいくことにした。(みんな片方の意見じゃディベートにならんからね😏)

んじゃ、ディベートの手順に従って、いくよ!

賛成側立論(バンちゃんの意見)

こちらはすでに公開されているバンちゃんの意見を拝借。バンちゃんの意見は以下のものなので「賛成側」になるね。

✔︎Bambooの結論:note毎日投稿はするべき
理由
✔︎理由1:まずは「質」より「量」
✔︎手軽に実績をつけれる
✔︎習慣化を身につける

理由の細かい部分については、バンちゃんの記事を参照してほしい😏

反対側尋問(質疑)

まず、前提としてバンちゃんは「副業目的のnote初心者」を対象に述べているので、私も同様にその方々を対象にしようと思う。ただし、私の周囲には、そのような方はそれほどいないことを付け加えておく。

第一の理由に対する尋問

さて、バンちゃんは第一の理由として

noteを始める人の多くが副業初心者でインターネットで発信することが初めての人が多いため、「質」をあげようとしても中々難しいので
まずは毎日投稿して「量」をこなすべきだ

と述べているが、「まずは量をこなす」ことは本当に重要だろうか。

例えば、スポーツの世界を想像してみよう。

間違ったトレーニング法を毎日こなす人と、質の高いトレーニングを、間に休憩も挟みながら1日おきや2日おきで行う人とでは、どちらが上達が早いだろうか。

後者の方がより上達が早いのは、昨今のスポーツ理論などを紐解くまでもなく自明だろう。

noteを始める人の多く=インターネット初心者か?という点はさておいても、確かに、noteの書き始めでは書き方がわからない部分もある。

しかし、わからないまま記事を毎日書き続けても文章が上達するとは考えにくい。なぜならわからないままだからだ。

それより、例えば他のnoterさんの文章を参考にしながら自分の書き方を確立する時間も取りつつ、記事の質を高めることが先ではないだろうか。

また、「いかに見つけてもらうか」が大切とも述べられていたが、バンちゃん自身が述べているとおり「見てもらえてもひどい文章では読書がつかない」のであれば、記事に信頼性を持たせる意味でも、毎日投稿にこだわることなく記事を精選し、質の高いものにした方がよい。副業を目的とするnoterならなおさらだろう。

第二の理由に対する尋問

次に、第二の理由「手軽に実績をつけられる」という意見だが、これは確かにおっしゃるとおりである。

しかし疑問なのは、毎日投稿という実績は副業に対してどのような価値があるのだろうか、という点である。もし毎日投稿が副業するための付加価値を高めるものだとするなら一考の余地はあるが、重要な要素でなければ、その分の時間を別な実績をつくる時間に回した方がよいのではないだろうか。

第三の理由に対する尋問

最後に、第三の理由「習慣化を身につける」(国語的にはこの言い回しは腹痛が痛いみたいなものなので、正しくは「習慣化する」あるいは「習慣を身につける」ね😏)という意見だ。

その主張を確認すると、

・毎日投稿を続けることは困難

多くの人がnoteは副業や趣味の一つで平日は普通に仕事をしていると思います。そうなると、毎日投稿を続けることは非常に困難です。

・自分の生活スタイルを変える必要性

生活の中でnoteを毎日投稿するというのを組み込もうと思うと生活のスタイルを大きく変えてnoteを生活の習慣の一部にしないといけません。私の場合もnoteを毎日投稿を習慣化するために朝早起きする習慣を新たに習慣化し夜についても早く寝るために飲み会などに参加しなくなりました。

・他のことの習慣化が容易になる

このように、noteを毎日更新することで連鎖するように様々な事を習慣にすることができます。また、noteを毎日更新することを習慣に組み込むことができてしまえば容易に他の様々なことを習慣化できます。

・「継続」の大切さに気づくきっかけ

初心者が1番苦戦することはこの「継続」してコツコツ頑張れるかどうかです。そこに気づくためのきっかけとしてnote毎日投稿は行った方が良いと思っています。

・毎日投稿を続けることは困難
・自分の生活スタイルを変える必要性
・他のことの習慣化が容易になる
・「継続」の大切さに気づくきっかけ

この四つの文脈にようやくできそうだ。確かに、バンちゃんの言う通り、毎日投稿を続けることは難しく、自分の生活スタイルさえ見直す必要がある。現に、毎日投稿をされている方の記事を読むと、自分の生活においてnoteが占める割合が大きい様子が見て取れる。

だから、noteの毎日投稿をきっかけに生活スタイルを見直すことにつながるのは同意見だが、だからといってそれが他の習慣化を容易にするという点は論理の飛躍がある

バンちゃんの例で言えば、

もともと早起きしていなかったから「朝早起きする習慣を新たに習慣化」でき、もともと飲み会などをしていたから「早く寝るために飲み会などに参加しなく」なった。

つまり、自分にとって優先度の低い(なくてもよい)時間を持っていたから、その時間をnoteの時間に当てられたというだけだ。

別の角度で例を挙げよう。

朝早くから出勤し、家に帰れば家族と過ごしながら家事をしているような人物がいるとする。

もし、この方が毎日投稿を習慣化したならば、何か他の習慣化も連鎖するかといえば答えはNOである。自分だけで使っていた時間、例えば「余暇の時間」や「睡眠時間」、またはいわゆる「すきま時間」などを削って、note投稿に当てているだけだろう。そこに新しい習慣が生まれる余地はない。

このように、毎日投稿をすることが「習慣を身につける」ことにつながるというのは、極めて限定的であり、結果論にすぎないと考える。

以上で、反対側尋問を終わる。

反対側立論

私は、noteの毎日投稿に反対の立場である。

理由は三つある。

一つ目の理由は「noteの投稿に義務感や強制力を持たせる必要はない」ということだ。

毎日投稿をすべきだと考えると、そのこと自体がストレスの原因になること、また、万が一何かの理由で毎日投稿が途絶えてしまった場合、自分を卑下したり、責めてしまったりすることもある。

副業や趣味、つまり生活を豊かにするためのnoteを自分の新たなストレス源にするのは本末転倒である。

二つ目の理由は「noteは生活の一部ではあっても生活の全てではない」ということだ。

毎日投稿を自分に課すことで、記事を書く時間のみならず、生活の中でも記事のネタを探すことが優先になったり、情報収集をしたりと、生活の多くをnoteに割くことになるのではないだろうか。そうすると、これまでの生活を一変させることにつながり、場合によっては、睡眠不足等リアルの生活への悪影響を及ぼすことさえ出てくる。

自分の生活に悪影響を及ぼしてまで毎日投稿すべきだろうか。

三つ目の理由は「記事のクオリティが下がる懸念がある」ということだ。

二つ目の理由にも関連するが、noteに割くことのできる時間は有限だ。ところが毎日投稿を自分に課すことで、限られた時間で記事をアップしなければいけなくなる。その結果、文章の推敲もなくアップしたり、精査をすることもなく記事にしたりすることも出てくると考えられる。そうなると、記事に対する信頼を失うことにもつながる。

趣味であれば、それも味となって問題ないと思うが、副業のためにnoteを活用するのであれば、結果としてマイナスにつながるのではないか。

noteの投稿に義務感や強制力を持たせる必要はない
noteは生活の一部ではあっても生活の全てではない
記事のクオリティが下がる懸念がある

noteを副業あるいは趣味として活用するのであれば、当然その人にはもっと大切な本業があり、生活がある。その意味で、毎日投稿は、自分にとって大切なものを見失うことになりかねないやり方だと考える。よって以上の三点を理由とし、noteの毎日投稿に反対する。

これで、反対側の立論を終わります。

※※※

さて、どうだった?

実は「ディベート」でみんフォト検索をすると、お互いがいがみ合うような形で議論を戦わせているものがほとんどだったので、トップ画は話し合いで検索した。

こうやって反対側の立場で尋問(ディベート用語でほんとに尋問っていうの)すると、ほんと相手の弱いところを突くことになるので、日本だとケンカになりそうだよね😅ディベートの画像がそうなるのもわかる笑

国語の授業でも取り組むことはあるが、まだまだ日本が良しとする対人関係には馴染まない方法かもしれないね。

今日はディベートの記事でした!





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