天国


タバコの煙を吐き、空を見る。
ここはこんなに星が見えないのか。
火を消してもう一度見上げた。
僕は終電に間に合うよう、すこし早歩きで駅に向かう。地下鉄の階段を降りる前、星がひとつ。

次の日の朝、あいつが死んだことを知った。
死んでしまうだろうと思っていた。
不幸の自慢が好きで、かわいそうな自分のことがかわいいあいつが好きだった。
どこに行ってしまったのか、あの星になったのかもしれない。

僕らに足りないものはお酒でもなく、ニコチンでもなく、スマホの充電でもなく、給料でもなく、時間でもない。指先の温かさだ。
冬になってより空気の透明度があがり、空は高くなった。あいつは前髪を伸ばしていた。上をみなくていいように。

きっと僕も近いうち死ぬと思う。もう死んでしまった。
愛を感じなくなった。服を選べなくなった。寒い。
食べたらいいものがわからなくなった。ご飯の味もしなくなった。スーパーやコンビニを何周もして泣いて帰った。温まらない。
誰とも連絡をとらなくなった。指先は冷えた。
お風呂に入れなくなった。涙を流しながら這いつくばってたどり着く脱衣所で寝てしまった。指先は冷えるばかり。

明日遠くへ行こうと思った。
1番好きだった服を着た。どうなってもいいように。
久しぶりにカバンを持った。中身はそのまま、お金もあった。
海に来た。風はべたつき、空は曇っていた。
川と海が交わる場所の波をずっとみていた。
テトラポットが濃い色の海水に沈んでいるのが怖く感じた。たまに感じる漠然とした恐怖は、こんな感覚だったことを思い出した。この先にも誰かいるのだろう。

山に来た。音がざわつき、水滴が落ちてきた。
霧でギリギリ見えるところ、真っ白なところ、そこをずっとみていた。どんどん視界がクリアになっていく。
頭が痛くなった。匂いのある酸素が脳をまわる。
薬を飲み、山を下った。

ゆく宛などなく、家に帰ってきてしまった。
久々にスマホの電源を入れると通知ばかりだった。会社になんて謝ろうか。1週間無断欠勤だ。
明日、気が向いたら会社へ行こう。
人々が笑わずに、泣かずに、ただ平凡に渡る横断歩道を、僕一人だけ不自然に不気味に進む。
上空のカメラで、僕だけぬかれる…そんな気分がする朝の通勤だ。

もう指先は温まらない。
あいつはもうホットの缶コーヒーを渡してくれない
手、いつも冷たいね。と握ってくれない。
あいつはいない。心も冷えきってしまった。

どうか、あいつが天国で幸せでありますように。
待ち合わせしよう、

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