見出し画像

なりたい自分になる道のり(前編)

こちらのお題企画にギリギリ間に合いそうなので、やってみようと思います。


「もう一度、大学に行くとしたら何学部行く?」

どういった状況で、この話になったかは覚えていませんが大学を卒業後、社会に出て10年近く経ったある日のことです。

「建築学部」

私は迷わず、そう答えました。
当時私は、建築とは無関係(100%無関係ではないかも?3%くらいかすってたかな)な仕事をしていたのですが、ひそかに建築の仕事に憧れていたのでした。
建築に携わる職業には、必ず大学で建築を学ばなければ就くことができない、そう思っていたので、それは夢のまた夢、来世では建築学科に通って建築家になろう、そういう今世では手に入らない世界でした。そう、その時のなりたい自分は「建築家」。でも絶対なれない「建築家」でした。

けれど、何がどう巡ってそうなったのか自分でも驚きなのですが、今、建築関係の仕事をしています。少し詳しく言うと、リノベーションデザイナーとインテリアコーディネーターです。実務経験を積んで、いつか建築士の資格を取りたいとも思っています。

まだ100%なりたい形にはなれていませんが、それでもかなり近い所まで来れていると思っていて、建築士の資格は無くても、クライアントに新しい住まいを提案する仕事に、やりがいと生きがいを感じて、充実した日々を過ごしています。

来世でなれたらいいな!のレベルだったものに、どうして近づくことができたのか?
それについて、長くなると思いますが、書いていこうかなと思います。もし今「やりたいことはあるけど難しそうだから諦めようかな」と思っている方に「人生何があるか分からない。まだまだ可能性はたくさんある」わたしの拙い文章ではありますが、そんな前向きな気持ちになっていただくキッカケになったらいいなと思います。

前回初投稿した自己紹介の、仕事だけを抽出した詳しい版、みたいな感じにもなると思いますので、よかったら最後まで読んでいただけますと幸いです。

新卒で失敗

大学を卒業して社会に出て、仕事をというものを真剣に取り組んでみてからでないと、自分が本当にやりたい仕事って見えてこないんだなと、自身の経験から痛感しています。

大学在学中の二十歳そこそこの私の世界というのは、本当に狭くて。自分の気質や能力、何が好きで、何が不得意なのか?それが仕事を選ぶ上ですごく大事なことだななんて、全く気付いていませんでした。

私が就活していた時は就職氷河期の終わりの頃で、なんとか内定をもらえた会社に就職。それでも、その当時は「やりたい事が出来る会社を選んだ」つもり、でした。狭い世界なりに、一生懸命考えてはいたのです(今の自分から見ると、私には全然合っていない仕事だと分かるのですが…)。

全く持って見極めができていなかったので、案の定、私にはその会社は合わず、1年で辞めることに。けれど、1年の間に気づいたこともありました。
入社してしばらく経った頃、AdobeのIllustratorを使ってPOPを作る業務の担当になりました。メインの業務というよりはサブ的な要素が強かったのですが、使ったことのないアプリケーションで、試行錯誤しながら作成するうちに「こっちが楽しい!こんな風に物を作ることをメインとした仕事ができたらいいな」そう漠然とですが思い始めました。
その時に私が思った「物を作る仕事」って、デザインとかそういった類のことで、デザインについて全く勉強したことがなかった私は、何も知識やスキルがない人間にできる仕事なんてない!そう考え、専門学校に通う決意をし、退職という流れになりました。

設計との出会い

2年間専門学校に通い、本当に運が良かったのだと思いますが、パッケージメーカーのデザイナー職で採用頂きました。
といっても、配属された部署は「設計課」。パッケージの形を考える、形状デザイナーという肩書でした。本当はグラフィックの方がやりたかったのですが、それでも「デザイナー」と名乗れることに私は大満足でした。

どうして「設計」の方になったかというと。専門学校時代にプロダクトデザインの科目で製図の授業がありました。他の学生はとても苦手そうでしたが、なぜだかわかりませんが、私だけ大得意。製図に関してだけは、みんなのお手本的な存在でいられました。そんなわけで、製図が得意という自覚があったので、アピールポイントとして面接の時にそのエピソードを話したら、丁度設計職が人手不足とのことで、採用となりました。
もし最初から、グラフィックを強く推していたとしたら、おそらく採用にはならなかったと思います。後から考えると、この頃から「設計」というのが、私のキーワードのような、ラッキーアイテムのような、そんな存在だったのかもしれません。

この、形状デザインの仕事で、初めてCADに触れます。製図が得意だったので、そんなに苦労することなく操作も覚え、色々な種類のパッケージの形状を覚え、徐々に自分で考えたパッケージも提案できるようになり、うぬぼれていたかもしれませんが、数カ月経った時点で「もしかして私って設計向いてるんじゃ?」と自分でも思ってしまうくらい、のみ込みが早かったです。
入社して1年が過ぎた頃、パッケージコンテストに入賞するくらい偉大な先輩に「白砂さんは設計向いてるよ。天職だと思う、俺の次にね!」と、冗談を交えつつも褒められて、とっても嬉しかった私。自分では向いてるかも?って程度にしか思えなかったけれど、先輩にそう言われて、設計というものに自信を持つようになりました。


家が好き

設計が得意という能力的なものだけではなく、私自身の気持ちとしても、設計という仕事をとても楽しく感じていました。「得意なこと」と「好きなこと」が一致しているなんて、奇跡のようだなとも。その時に「設計を人生の仕事にしていこう」という、私の人生の一つの道筋が出来上がったように感じます。

そして、ふと昔のことを思い出しました。

4歳くらいの頃、両親の仕事の都合で段ボール箱がたくさんあった当時の我が家。お座敷で段ボール箱をたくさん並べて積み重ねて、自分だけの家を作ってたこと(家と呼べるものではないですが、自分では家のつもりでした)。

小学生のころ、お絵描きレベルですが、4階建てくらいの家の断面図を書くのが好きだったこと(もちろん住めるような家ではなくファンタジー的な)。

『渡辺篤史の建もの探訪』が好きで、毎週楽しみにしていたこと。(小田和正氏の「between the word & the heart -言葉と心-」のテーマ曲ごと好きでした)。

他にも色々と、私と家にまつわることが思い出され、「ああ、私って家が好きだったんだ!」とこの時初めて感じて、こんなに設計が得意なんだって10代の頃にわかっていたのなら、絶対に「建築学部」に行って建築家になってただろうな、なんて冒頭に書いたように、建築課に対する憧れが芽生えました。この時、30歳を過ぎていました。


長くなってしまいましたので、前編と後編に分けることにしました。

次回
「設計」が得意と気付いて建築家に憧れるが、なれるわけないと諦めていたのに、どうして建築の仕事へたどり着いたのか?
です。


#なりたい自分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?