【小説】『もうすぐ、光の玉が爆ぜる』第13話


 日焼けする、とひるんだのはほんの一瞬で、次の瞬間には海がキラキラと光る様子に目が奪われていた。船特有のゆれを感じながら、つばの大きい白い帽子が風に飛ばされないようにしっかりと片手で抑える。見渡す限り深い青色の波打つ水が広がり、船はその上を白いしぶきを上げながら、力強く進んでいる。
「すごーい! 気持ちいいーっ」
 横でアサが嬉しそうに大声を上げた。そのまま甲板に走って近寄る。アサの短い髪は風でひどい状態になっているが、本人はそんなことどうでもいいらしい。髪を押さえもしないで動き回っている。アサの髪は元々茶色がかっていて、日に当たると普段はチョコレートぐらいの色が、栗色にまで明るい茶色に変化する。
「ユキ! すっごい、綺麗!」
「アサ、毎年来てるのによく船の上だけでそんなにテンション上がるわね」
「何言ってんのー。ユキだって嬉しいくせにっ」
 まんざらでもないので、苦笑してアサの横に並んだ。船の下を見下ろすと、波がぶつかっては白くなって消え、ぶつかっては白くなって消えるのを繰り返している。
「あ、アサ、かっぱえびせん持ってきた?」
「もちろんっ」
 遠くで白いかもめの大群がゆらゆらとこちらに近づいてきているのを見て、アサに聞いた。アサは半ズボンよりももっと短めのズボンのポケットに手を突っ込んだ。この間一緒に買い物に行ったときに買ったものだ。とにかく動きやすいものがいいと言うので、あまり硬くないジーンズの生地の短パンを選んだ。
「あれ?! 無い!」
「ズボンじゃなくて、パーカーのポケットじゃないの?」
 薄い黄色の半そでのパーカーをさす。ポケットが外から見ても膨らんでいるのが見える。
「あ、そっか。このズボンだと入らないからポケットにしたんだ」
 ごそごそとポケットの中からかっぱえびせんの入った小さい赤い袋を取り出す。
「足、日焼け止め塗ったでしょうね?」
 アサから二、三本かっぱえびせんをもらった。一匹一匹がはっきり見えるぐらい、かもめは船に近づいている。
 アサは短いズボンの下は暑いということで、サンダルしか履いてない。こんなに露出していたら、すぐにでも真っ黒になってしまう。
「あ、ちゃんと塗ったよー。ユキしつこく言ってたから」
「当たり前じゃない。でないと、焼けて後で痛がるのはアサなんだから」
 へりに捕まって、かっぱえびせんを一本持った手を精一杯海の方へと伸ばす。とたんに、そのかっぱえびせんをかもめが奪っていく。横にいるアサを見るとアサも上手にかっぱえびせんを、かもめのくちばしのところに持っていってあげていた。かもめの片方の翼が船の方に大きく入り込んでいる。それぐらい、かもめは目と鼻の先にいる。
「あ、ねえ、直樹くんたちどうしてるの?」
「直樹はねー、多分船の中で横になってる。咲姫ちゃんも心配だからついててあげてるみたいだよ」
「え、まさか直樹くん船酔いしやすいの?」
 ぎょっとしてアサを見る。悪いけど、吐かれたらたまったもんじゃない。
 アサは首をかしげた。アサが頭を動かすと、髪にできていた光の輪が移動する。
「んー、そんなことないと思うよ。車酔いしないし。なんかねー、受験生だからって船の中で勉強してたら、それで酔っちゃったみたい。馬鹿だよねー」
 きゃはは、とアサは馬鹿みたいに笑い飛ばした。テンションが上がっているから、何でもかんでも楽しく思えるらしい。
 まあ、アサが楽しいとあたしも楽しいけど。
 思いっきり笑顔なアサを見て、ユキの白い頬も自然と赤みを帯びて緩んだ。
「ねえ、直樹くんってやっぱ咲姫ねえのこと好きなの?」
 島に行くことができたのは、アサがそこにつけこんだからだと思っていた。
「うん、ずっと好きだったみたい。今も同じ大学行くって頑張ってる」
「咲姫ねえ、結構偏差値高いとこ高校で受かっちゃったから、直樹くん頑張らないとだめね」
「ねー。アサから見たら、そんなに頑張っているみたいに見えないけどー」
 またアサがきゃははっと笑った。
 手持ちのかっぱえびせんが全てなくなり、ぼんやりと二人で海を眺める。日差しが強く肌を撫でて、熱くなってきたが気にしないで甲板にい続けた。かもめはいつの間にか船の傍には一匹もいなくなった。少し遠くで白い点の集まりが海と空の間を飛んでいるのが見える。海は空よりも幾分青く染まりながら、遠い向こうで空と一本の線を描いている。水平線が綺麗にまっすぐなのは、今日はきっと海が穏やかな日だからだろう。豊駕島に着くのは大体お昼過ぎの予定だから、あと少しで島が見えてくるはずだ。
「直樹くんと咲姫ねえがくっついたら、どうする?」
 腕の上に顔を乗せながらアサの方を見た。アサは海を目を細めながら見つめたままだ。
「そうだねえ……妹としては嬉しいし、普通に、よかったねえ、直樹って感じかなあ。でも、直樹は告白とかよっぽど切羽詰ってないとしないと思うなあ」
「そんなに引っ込み思案なタイプだったっけ?」
「引っ込み思案っていうかぁ……意外とシャイボーイだよ、直樹は」
 アサは知った顔でうんうんと頷いている。 
 シャイボーイって自分の兄なのに。
 そう思うと、笑えてきて喉の奥でくつくつ笑った。
「そうだ。だったらさ、あたしたちが協力してあげない?」
「協力?」
 アサがこっちに振り向いた。ぱっちりした茶色がかった瞳の中に、ユキの顔が映っている。
「そ、協力。島に来れたのだって、直樹くんのおかげでしょ? だったら、二人のためになんかしてあげてもいいんじゃない? 高一の夏休みだし」
 最後の言葉は意味不明かな。
 そう思ってアサを見ていると、アサは嬉しそうににっこりと笑った。ひまわりの花が風に揺れているときと何となく似ていた。
「うん! いいよ! せっかく高一の夏休みなんだから、何か今までやったことがないことやりたいもんねっ」
 あ、分かってた。
 ほわんと心の深いところに直接太陽の光がピンポイントに届いた気がした。
「じゃあ、具体的に何しよっか? あ、でも咲姫ちゃんは直樹のことそう思ってんの?」
「咲姫ねえも多分、好きよ。少なくとも嫌いってことは絶対ない。本人が自分の気持ちに気づいてるかどうかは微妙だけど。だから、お互いなるべく長く一緒にいさせたらいいと思う」
「そうなの? そうすれば付き合ったりできるの?」
「え、そこまではわかんないわよ。でも、どっちにしても、直樹くんは大喜びだと思うわ」
「あぁ、なるほど。なんかアサの兄ばっか悪いね」
 いひひ、とアサが頭をかいた。それを見て、苦笑しながらそっぽを向く。
「別に、直樹くんの肩ばっかり持ってるわけじゃないわよ。その方が咲姫ねえもいいと思うし」
「そっかあ……アサたち真夏の恋のキューピッドだっ」
 何か興奮してきたのか、アサはいきなり海に向かってそう叫んだ。
 馬鹿っぽくなってきて呆れたが、呆れても楽しい気持ちに変わりは無い。顔は相変わらず緩んだままだ。
「おい。誰がキューピッドだよ」
 声がした方を振り返ると、青い顔をした直樹が立っていた。黒っぽいジーンズに灰色のTシャツを着ている。長ズボンが余計暑苦しい。
「うっわ……ちょっと顔真っ青よ、直樹くん」
 吐かれても困るし、吐いたところを見るのも嫌だから、ユキは一歩直樹から離れる。
「うわ、ひっど有姫。大丈夫、吐かないから。ちょっと風に当たりに来ただけ」
 そう言って、甲板のへりにもたれかかった。
「もうすぐ島らしいから、船の中戻って。水川さん待ってるし」
「あ、もしかして……咲姫ちゃんと二人でいるの耐えられなくなったから逃げてきたんでしょ?」
 アサが横からそう指摘して、直樹を突っついた。
「うわ、止めろ安沙奈。まじでつらいんだから……」
「でも二人きりになるのにそんなに照れるなんて、予想をはるかに超えたシャイボーイね、直樹くん」
「いや、だから別に逃げてきたわけじゃないって……っ」
 弁解しているが、具合が悪いのにもかかわらず、焦っている。誰がどう見ても、直樹は咲姫が好きだとわかる。みんなにバレているのに、なおもそれを隠すような、いじらしいタイプのようだ。
「大丈夫だよ、直樹! アサとユキが絶対幸せにしてあげるっ」
「はあ……? 何言ってんの、お前……」
「ええ。アサの言うとおり。ちゃんと協力してあげるわ」
 胸を張って二人で言うと、直樹はがっくりとうなだれた。
「何だかよくわかんねえけど、とりあえず何もしなくていいから……つうか何もすんな」
「大丈夫だってばー」
 アサが直樹の方を見ながらにやにやしていると、放送がかかった。
『まもなく、豊駕島に到着でございます……お忘れ物がないよう、ご準備ください。繰り返します……』
「あ、もうすぐ着くって! 諒たちに会える!」
 アサは飛び上がるように船の中に入って行った。ユキも浮いた足取りでアサのあとを追う。
「あ、おいちょっと待てよ! 俺気分悪いのに……」
 直樹がそう二人の背中に向かってできる限りの大声で言った。
「先行って荷物まとめといてあげるーっ」
 振り向きもしないでアサはそう返事をして、暗い船の中に入っていった。ユキも目が暗さに十分慣れてから、意気揚々とアサの後を追う。これから起こる出来事が、全て楽しいことだらけだと信じながら。どんなことをしよう。何をして楽しもう。そんなことしか考えられなくなって、ユキとアサの間で、光の玉が、これ以上にない大きさでキラキラしながら、パン、パンと爆ぜるのだろう。そのために、今はきっと光が精一杯に膨らんでいる。

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