【小説】『もうすぐ、光の玉が爆ぜる』第12話

「どういうことか、説明してほしい」
 甘口のカレーをせっせと口に運びながら、野菜を一人ひとり取り分けている美紀子をにらんだ。予めこうしておかないと、夜遅くに帰ってくるお父さんの分がなくなってしまうからだ。夕食の準備はもうできていて、テーブルの上にはかわいらしいお皿が三つ。それぞれ言い匂いをさせているカレーが盛ってある。アサのカレーだけやけに色が明るいのは甘口のせいだ。中央にある大きなお皿に入っている野菜はトマトの赤が入ることで、一層瑞々(みずみず)しく色鮮やかになっている。
美紀子はすました顔で野菜を取り分け、席に座った。
「それより、先に見せるものがあるんじゃない?」
 美紀子は手を差し出した。
 そうきたか。だけど、そんなのこっちは余裕だ。アサは堂々と後ろに持っていた全ての科目のテストを食卓に広げる。
「ほら! 全部平均点以上だよっ」
「平均点、何点?」
 横から直樹が口をはさんだ。
「アサと同じ点」
「すげえ、お前全部平均点ぴったりにとったんだ」
「たまにはきちんと平均点以上取りなさいよ」
 美紀子は呆れた顔でテスト用紙をアサへと返す。アサはむくれた顔でそれを受けとった。
「条件だと、平均点以上、だもん。以上ってことは、平均点ぴったりでもいいんだよっ」
「まあ、そりゃ、そうだな」
 直樹は納得したような顔をしてまたカレーを食べ始めた。
「それよりも、豊駕島に行けないってどういうことっ?」
「さっき直樹が安沙奈に言った通りよ。夏休みに会社の仕事の予定が入っちゃったのよ。だから、今年は島には行けないの」
「ユキのお母さんも?」
「ええ、そう言ってたわよ。恭子も仕事が入っちゃってるみたいね」
 ちなみにアサの母、美紀子は旅行雑誌の編集者として働いている。雑誌に載った美紀子が書いた企画をアサは何度か読んだことあったが、毎回いつのまにこんなところに行ったんだろうと疑問に思う。
「今回はどこ行くの?」
「ハワイ」
「ハワイ! お母さんばっかりずるーい!」
「俺、土産はうまい菓子でいいよ」
 のっけから美紀子が島に行けないことに反対していない直樹は、お土産まで注文している。直樹は受験生だから、美紀子がどこに行ってもどうでもいいらしい。そんな直樹をアサはにらみつける。
「直樹は黙ってて! アサ、島に行くためにすっごい頑張ったんだよ。なのに、テスト終わってからやっぱり行けないなんてひどいよ!」
「そんなこと行ってもねえ。急に決まったんだもの」
 野菜をぺろりと平らげた美紀子は、早速もういっぱいおかわりしている。
「ねえ、アサとユキだけで行ってきちゃだめ?」
 今までの強気な態度を改めて、すがるような声で頼んだが、美紀子はぷいっと横を向いた。
「それは、だーめ」
「何でぇ? もう高校生だよ?」
「まだ、高校生でしょうが。しかも一年生よ? 危ないもの」
「でも、船乗って行くだけだよ」
「船に乗るまでが危ないの」
 ぷすっと赤く熟れたミニトマトをさした。そのまま美紀子はぱっくりとトマトを食べる。
 その様子を悔しそうにアサは見つめた。
 何か……何かいい案ないかな。ユキだったらどうするかな。
 今頃ユキの家でも大口論になっているのだろうか。耳を澄ましてみるが、隣のユキの家から何の怒鳴り声も聞こえてこない。
「諦めろよ。島じゃなくても有姫とは会えるだろ」
 どうでもよさそうに、直樹はカレーをスプーンですくって最後の一口を食べ終えた。
「じゃ、俺、勉強してくるから」
 ガタっと席を立って、食器を台所に持っていこうとする。そのとき、アサの頭の中にいいことが思いついた。瞬間的にばっと直樹の袖をつかむ。
「うお?! 何だよ!」
 急なことに驚いたのか、直樹はぎょっとした顔でアサを見下ろした。アサは座ったまま、テーブルに身を乗り出すようにして向かい合わせにして座っていた直樹をしっかりつかんでいた。
「お母さん!」
 直樹の袖を離さないようして、美紀子に話しかける。美紀子は読んでいた新聞から顔を上げた。
「つまり、保護者がいないからだめってことだよね?」
「まあ、そういうことね。何? 何か思い当たる保護者でもいた? あ、言っとくけど、お父さんはだめよ。仕事で疲れて忙しいだろうし」
「うんっわかってる! お父さんじゃない保護者思いついた!」
 満面の笑みでアサ美紀子に答える。その様子に、直樹の胸に嫌な予感がよぎったらしい。はたから見ていてもはっきりと分かるぐらい、露骨に嫌そうな顔をした。
「アサ、直樹を保護者すればいいと思うんだけど!」
「よくねえだろうが!」
 慌てて絶叫するように直樹はアサに突っ込んだが、アサはもう行く気だ。美紀子の返事を待っている。
「そうねえ……直樹も次大学生よね」
「いや、ダメだろ、母さん。だって俺、受験生だよ?」
「受験勉強は島でやればいいんだよ! どうせ家でも大して勉強してないし」
 そんなむちゃくちゃだ! と直樹の心の中の叫びがそのまま表れたかのような顔をして、直樹は強引にアサの手を振りほどいた。自室に逃げようとするが、後ろから追いかけてきたアサに簡単に捕まえられた。
「お、おい……!」
「いいのかなー、せっかくのチャンスなのに」
 アサはにやにやと笑うと、桜色のスマホを取り出した。スマホのディスプレイが暗い廊下の中不気味に光る。
「ここに、アサのかわいいスマホがあります」
「……だからなんだよ」
「このスマホには、ユキの電話番号やラインが入ってます」
 アサのしたいことが分からないようで、直樹はぼんやりとアサの行動を見ていた。アサは直樹に見せるように、ユキの番号が書いてあるページを開ける。
「これが、ユキの電話番号です」
「……? それが?」
「そんでもって、こっちのが」
 アサはまたスマホを動かした。
「咲姫ちゃんの電話番号です」
 直樹を見ると、明らかにさっきの表情とは違っていた。よし、つれた!
「もしついてきてくれるなら、ユキに頼んで咲姫ちゃんもつれてきてもらってあげる」
「……向こうは迷惑だろ」
 少し心惹かれた様子だったが、直樹はかぶりを振った。そう簡単に言うことを聞くつもりはないらしい。だが、確実に惹かれてきている。
「迷惑じゃないよ。だって、咲姫ちゃんは受験終わってるも同然だし。この間だって、アサのテスト勉強見てくれたもん」
「…………」
「もしかしたら、直樹に勉強教えてくれるかもよ? しかも仲良くなったらラインを教えてくれる可能性も!」
 大げさにきゃあっと言ってみると、直樹はしばらくうつむいて黙っていた。
「いい案だよね?」
「…………勝手にしろ」
 やった、落とした!
 飛び上がりたいほどの喜びを押さえつけ、廊下に直樹を残して居間に戻る。
「お母さん、直樹は別に島に行ってもいいってよ」
「え、あら本当? 勉強は?」
「家じゃどうせはかどらないから、向こうの海とか見ながらやるって!」
 直樹が言ってないことも織り交ぜ、今度は美紀子を説得にかかる。
「ねえ、いいでしょ? ちゃんと、直樹にも迷惑掛けないようにするよ」
 もう台所で洗い物を始めている美紀子にしつこくまとわりつく。こういうのは、時間を置いて頼んだってあまり効果がない。押すなら今のうちだ。
「んんー……じゃあ、行ってもいいけど、ちゃんと有姫ちゃんとも話しあってみるのよ? それから……あ、ちょっと! 人の話は最後まで聞きなさい!」
 美紀子の怒鳴り声を無視して、アサは短距離を駆け足で進む。床をドタバタと鳴らしながら、玄関を出て、すぐ横の部屋の家のドアをインターフォンも押さずに開いた。
「ユキ! 島に行くことについてなんだけどー!」
 人の家の玄関で大声を出すと、ユキの怒ったような声が飛んできた。
「うるさい! インターフォンぐらい押してから入りなさいよ!」
 ユキの部屋から廊下に顔を出したユキは、そう怒鳴ってからアサに上がるように指示した。ユキの部屋の奥から咲姫ちゃんも顔を出したのを見て、ユキも同じことを試みていたらしいと分かった。
 もう、見渡す限りに壁は見つからない。ただ、白い路と青い空だけがまっすぐに続いている。後は、全力疾走して目的地に行くだけだ。

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