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【小説】『もうすぐ、光の玉が爆ぜる』第27話

 人通りが多いところから離れて、ユキと颯は神社にいた。神社の中は露店こそ多く並ぶが、それゆえに人も集まりため、座れるような簡易なイスとテーブルが準備されている。そこに一人でぼんやりと座りながら、ユキはため息をついた。
 あたしとしたことが。いろいろ考えているのはあたしだけじゃないって思いついてもよかったのに。
 諒がアサの背に追いついて、それを自信に変えようとしていたことも知っていた。アサの今日の浴衣姿に、諒がどきどきしていたこともわかっていた。そして、直樹が咲姫に今日なんらかの行動を起こすことも、諒は知っていた。あの極度に恥ずかしがる直樹でさえも今日行動するというのなら、諒だって行動に出ようとするはずだ。少し考えればわかることだった。諒も恥ずかしがる子だけれど、一度決心するともう後には引かない。
 アサは、どうするのかしら。
 もし諒に告白されたら……。戸惑う? 戸惑ってからどうなるかが問題だ。断る? でも、アサにはきっと断ると、どれだけ諒が傷つくかわかっている。ならばどうするのだろう。ユキ以外にも、大切にしてくれる人がいると知ったとき、アサはいったいどうするのだろうか。
「あの、買ってきましたよ」
 はっと顔を上げると、心配そうな顔をしてカキ氷を持った颯がいた。
「ありがとう」
 買ってきてもらったイチゴのカキ氷を受け取る。イチゴのカキ氷なんて、本当は嫌いだった。人口着色料が見え見えの赤い液体が白く半透明な氷に染み渡っている。ストローのスプーンで一口すくって口に運ぶ。甘ったるい味が広がった。
 これを美味しく食べれたら、アサはどこにもいかなくなる。
 縁起担ぎのようなものだった。自分がこの嫌いなカキ氷を食べ終わることができたら、きっとアサはどこにもいかないと。そうでもしていないと、胸がつまってどうしようもない。
「あの……」
 颯が遠慮がちに声をかける。カキ氷を無言で食べていたユキは初めてまじまじと颯を見た。颯があんまり気弱な声を出すからだ。
「どうしたの? 何か、初めのときとだいぶ態度が違うわよ」
「あ、それは自分が意地張ってたからです。たくさん失礼なこと言って、すいませんでした」
 颯がビニールの敷物が引かれた長机に額をつけるように頭を下げた。その頭を少し驚いて見て、それからカキ氷を置いてぺしんとはたく。
「何言ってんの。そんなものもう過ぎた話じゃない。それに、お祭りの夜にそんなことほじくり返されても困るだけだわ」
「でも……」
「いいから。だいたい、謝る相手が間違ってない? 少なくとも、あたしじゃないでしょう」
 颯がまず謝るべきなのは、颯に失礼なことを言われた諒、それに散々迷惑をかけたアサだ。
「……そうですね。じゃあ、後で合流したときに謝ります」
 颯はうつむいていた顔を上げた。その様子に満足げに微笑んで頷く。
「それでよし。ところで、いつになったら合流するの?」
 どうしてもスプーンを持つ手が進まなくなる。カキ氷をシャリシャリ鳴らしながらスプーンでかき回す。颯は自分が買った缶のコカコーラを飲みながら首をかしげた。
「さあ……多分、ここで待ってれば来るんだと思います。宇波先輩にはここにいるように言われてて」
「多分って……」
 ユキは巾着に入っているスマホを見た。ちょうちんが照らす明かりよりもはるかに明るいディスプレイを見ると、九時までそんなに時間がないことがはっきりとわかる。
「そんなに時間ないわよ。直樹くんと咲姫ねえの作戦には間に合うの?」
「間に合うようにするとは思いますけど……そっちの方は何も言ってません」
「……あっそう」
 諒のことだから、自分の都合だけ考える行動はしないと思うけど。
 カキ氷に視線を落とす。だいぶ水っぽくなってしまっている。スプーンですくってみても、赤い水がたらたらと零れ落ちる。零れるままにして、じっとその水を見つめていた。口に運ぶことがどうしてもできない。味の問題より、胸がいっぱいでそんな気力がでない。
 直樹くんと咲姫ねえたちはどうしているかしら。直樹くん、きちんとやっているといいけど。
 アサのことを考えると、胸が詰まってどうしようもなくなるから、なるべく頭からその考えを排除する。いつかは起こると思っていたことだ。だから、あたしは大丈夫。ただ、覚悟を決めていたのかと聞かれると、それは頷くことができないかもしれないけれど。
「あの、水川さんって」
「あー有姫でいいわよ。諒もそう呼んでるから」
 颯の言葉を耳の端で聞き取りながら適当に返事をする。今は目の前にいる颯なんて、そこまで重要な人物じゃない。颯と話を盛り上げようと思うほど、気持ちに余裕はなかった。
「あ、じゃあ、有姫さんは、彼氏いますか?」


「…………は?」
 カキ氷から視線を上に上げる。颯は暗がりでも分かるほど顔を赤くしていた。 
 ……はあ。もう一つ、問題発生。
 心の中で呟いて、どうしたものかと考える。
「いないけど……」
 ほしいとも思わない。
 はっきり言えば、そうだった。ユキは、アサ以外を必要と思わない。
 ただ、それが言えなかった。颯は、もう見知らぬ人ではない。今までは、大して話したこともない人ばかりだったから、相手が傷つくようなことでも平気で言えた。だけど、颯にはさすがにそれは出来ない。知り合ってしまった颯をすっぱり切れるほど、ユキは冷徹ではない。
 颯の顔を見ると、まだほんのり暑そうに、顔を赤くしていた。だが、明らかにほっとした顔をしている。第一関門突破、とでもいうように。その顔が、少し癇に障る。
 どうせ、あたしの容姿しか見ていないくせに。まだ望みがあるような顔しないで。あたしは、自分を好きになってくれるならば誰でもいいって思うほど、寂しいとは思ってない。
「あの、ライン教えてもらえませんか」
 赤く火照った顔のままで、颯がはっきりと口にする。黒い髪と、その色が透けるほど白い頬が赤く染まっているのは、何だかひどく違和感を覚えた。
「どうして?」
 意地悪だと知りながら、わざとユキはそう問いかけた。問いかけなければ、もっとひどい言葉を言ってしまう気がした。自分のどこから沸きあがってくるか分からないような怒りが、喉元まで競りあがってくる。
「えっと、あの……」
「いつ、好きになったのよ?」
 息を呑んで颯がユキを見る。ユキ自身から、そんな言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。ユキはじっとカキ氷だったものを見つめていた。視線を下に落とし、今はもう赤い水たまりとなったものをストローでかき回す。
「初めて部屋の前で話したときから? 海岸でアサとの会話に割り込んだとき? それとも君が自分のことを初めてあたしたちに話したとき?」
 君と言われたことに颯は凍りついたように動かなくなった。それから、ユキの言葉の余韻すらも感じなくなるほどの時間がたって、ようやく口を開く。氷が解けるまでそれほど時間がかかったらしい。
「……えっと、わかりません。ただ、」
「気づいたら好きになってた?」
 ユキの無表情な声に颯は赤い顔で頷いた。
 視線をあげてちらりと颯を見る。何回言われてきたかわからないセリフ。何て陳腐に聞こえるのだろう。
 あたしの見た目しか好きじゃないくせに。
「ごめんね、できない」
 にっこりと笑ってユキははっきりと宣言した。怒っているはずなのに、うっすらと笑みを浮かべてしまう。違う、怒っているから、笑ってしまった。自分がまたひどい孤独感を感じることが怖くて、そんな弱い自分を外の自分が馬鹿らしくて、笑う。いったい、なんど同じことが起これば自分はこういった自体に慣れることができるんだろう。傷つかなくなるのだろう。
「え……あ、別にすぐに付き合いたいとか言ってるんじゃないです」
 颯は慌ててそう付け加えた。
「ただ、その……」
「あぁー……好きでいさせてくれたらそれでいいってこと?」
 颯の言いたいことが手に取るように分かってしまう。これも、ずっと昔に名前も顔もおぼえていない誰かから言われた言葉だ。
 颯はユキの言葉に頷いた。
「その、絶対迷惑になるようなことはしませんから」
 迷惑?
 迷惑ってたとえばどんなことを指してるの? 結局は、あたしに好かれたいだけじゃない。あたしに迷惑って思われてもしょうがないほど、好きなわけでもないんじゃない。
 一気に、体の熱が下がっていく。夏の夜で暑いのに、お祭りに来た人々の熱気でむせ返るほど暑い夜なのに、体のしんは冷えていった。脳の中心がしびれるように麻痺していく。頭の隅の方で自分が理論や冷静がかけ始めているのに気づいていた。でも、どうにもならない。いつも横にいる子、ユキを止めてくれる子は、今ここにはいない。
「ねえ、そんな軽い気持ちなら、二度と人に告白なんてしない方がいいわよ」
 自分でも驚くほど違う人のような声が出た。颯を無表情で見下ろす。気がつくと、ユキはアルミ製の簡単な背もたれもない丸イスから立ち上がっていた。颯は驚いて、それから傷ついた顔をした。
「別に、そんな軽い気持ちじゃ」
「嘘。だって、君はあたしのことをどれだけ知ってる?」
 白い指で颯の正面を指した。颯は面食らった顔をして黙り込んだ。
あたしの好きなことも知らないくせに。イチゴのカキ氷を買ってきてと頼んだとき、何も感じずにそのまま買ってきたくせに。
 颯が虚をつかれたように黙ったのを見て、ユキはそのまま颯を置いて歩き始めた。簡易の長机と丸イスが置いてある休憩所から人をぬって抜け出して、当てもなく歩き出そうとする。知らない人々が、楽しそうに笑顔で無秩序に歩き回っている。赤いちょうちんが蒸した夜をもっと温めるように仄かに輝き、露店にそれぞれ取り付いているやたら黄色い電球が辺りを照らす。人々の笑い声が、お客を呼び込む露店の人々の掛け声が、どこかで太鼓を打ち鳴らす体の底を震わせるような音が、甲高い音を出す笛から奏でられる夜を切り裂くような音が、ユキの周りでいっせいにクルクル回り始める。気持ちが悪い。
「ちょ、待ってくださいっ」
 腕をつかまれた。振り向くと、颯だった。走ってきたらしく、少し息が乱れている。飲んでいたコーラはそのまま向こうに置いてきたらしい。
 あたし、カキ氷はどうしたっけ。
 ぼんやりとした頭で考えて下を見ると、手にしっかりと赤い水が入ったカップが握られていた。きちんと持ってきていたらしい。
「僕、初めから思ってたんですけど、何でそんなに執着してるんですか?」
 颯が挑むような目でユキを見上げる。
「どうしてそこまで特別視してるんですか? 一人って決め付けてると、つらくなりますよ。その人が消えたとき」
「…………余計なお世話よ」
 握られた、カップを持っていない方の手を振りほどこうとする。しかし、颯は離さない。意外に、手のひらは大きいようだ。
「離してくれる?」
「だめです。宇波先輩に言われてるし。それに、僕の用件も終わってませんし。有姫さんなら、知り合おうと思えば、もっとたくさん知り合えたと思います。知り合えたし、周りだってそう望んでいたはずです。そういう機会だってあったんじゃないんですか? どうしてアサさんしか駄目なんですか?」
 アサ?
 颯がアサの名を口にしたとき、首の辺りを誰かに撫でられた気がした。寒気がするほど、冷たい手で。
 アサって呼んでいいのは、あたしだけよ。
「……離しなさいよ」
 もう、なりふり構っていられなかった。はっきりと、体が拒絶している。
「離してよ! 何も知らないくせに、たくさん分かったふりしないでくれる? あたしは自分のことを分かってほしいなんて、君に頼んだ覚えはないわ」
 こんなことが起こるたびに、自分は容姿だけしか取り柄がないのだと、毎回言われているようなものだった。
 初めは驚きで断っていた。それが、次第に数が重なるうちに無感情で断るようになった。初めて先輩に告白されて、断ったときに、はっきりと言われた。須藤先輩と同じ事を。
――てめえなんか、誰も好きになんねえよ
 明らかに、負け台詞だった。今から考えれば、絶対そうだ。だけど、そのときのユキには頭を殴られたような衝撃だった。
 みんな、あたしが好きなんじゃない。みんな、あたしの容姿が好きなんだ。あたしのこと何も知らないけど、周りに自慢できるから、あたしを好きになるんだ。
 わかったとたん、告白しに来た人の後ろ姿を見ながら呆然とした。涙は出なかったけれど、もっと空しい空虚な思いにとらわれた。
 あたしには、アサしかいないんだ。
 芝生の上でしっかり立っていることを確かめるように、アサしかいないことを確かめた。寂しくはなかった。アサがいたから。こういうことがあるたびに、アサの傍に何とも思っていないふりをして近寄った。アサは、あたしを必要としていてくれていたから。
 アサだけは大事にしないと。あたしのそばに誰もいなくなる。
 そう思って、アサだけは離さないようにした。だけど、つらさは消えなかった。告白される、相手を振る、相手は諦めて帰る。その背中を見ると、必ず、お前なんか誰も好きにならないと言われている気がした。仲間のもとに帰っていく人を見ながら、独りだと思い知らされる。アサがいなくなったらお前なんか独りだと、言われている気がした。
「何も知らないでしょ? あたしのこと。あたしが、こういうふうに言われるたびに、どんな思いしてるかも知らないくせに」
 知らないんだから、関わろうと、分かり合おうとなんてしに来ないで。
「知らないのは、確かです。でもそれは、何も話してくれてないから。いろいろ話してくれたら、僕だって有姫さんのこと知っていきます」
 ユキが早口で話せば話すほど、颯は静かに落ち着いた口調で言った。そんな落ち着いた態度にも腹が立つ。少なくとも、颯になんか分かられたくない。独りでもずっと平気だと勘違いしていた颯になんて。
「じゃあ、どうしてイチゴのカキ氷買ってきたの」
 ずいっとカップを差し出す。赤い水がゆらゆら揺れる。
 颯はカップを差し出されてわけが分からないというような顔をした。
「どうしてって……そう頼みましたよね?」
「あたし、フルーツの味のお菓子とかって好きじゃないの。本物の果物を似せた味って大っ嫌いなの。ニセモノだから。わかる? 言ってること」
 颯に無理やりカップ渡す。
「あたしは、イチゴのカキ氷なんて死ぬほど大嫌いなのよ。ねえ、知らなかったでしょ?」
 何だか泣きそうな顔をして笑っている気がした。カップを受け取って呆然としている颯を残してきびすを返す。浴衣が着崩れするのもかまわずに人ごみの中に走って紛れ込む。
 人混みに紛れ込む直前に、そういう自分のこと、何も話さないからじゃないですか! と叫んだ颯の声が聞こえた気がした。聞こえないふりをして、ひたすら見つからないように人の多いところを進む。
 どうしてあたしが颯になんか、そんなこと言わなくちゃいけないのよ。
 口の中を血の味が広がるかと思うほど強くかみ締めた。
 そんなに自分のことをぺらぺら話すほど、あたしは誰かの手を望んでいるわけじゃない。馬鹿にしないで。 
 気持ちが悪かった。聞こえてくるたくさんの種類の音も気持ち悪い。色鮮やかなたくさんの浴衣も目が回る。雑踏の中に何とか立っている状況だ。人に酔ったのかもしれない。
 ふらふらした足取りで、颯に見つからないように歩き続けながら、どこに行こうか考えた。アサを探しても見つからない気がした。今は、多分いつも以上にアサは遠くにいる。
 ならば、それでもあの子に会いたいならば、アサがきっと来る場所にいよう。アサとあのとき話した場所にいよう。
 くるりと方向転換をして、あの丘を目指そうと決めたとき、ふいに夜空が目に入った。真っ黒な夜空に光る星が無数にきらめいている。その中心に、白く光る三日月が大きな顔して居座っていた。
 月にだって、まわりにあんなに瞬く星がいるのに。
 あたしの回りには何がいる? 
 無色の月の光を感じながら、ユキは真っ直ぐ丘に向かって歩き始めた。月は見守っているとも言えない様子でただユキの真上を追ってきた。それは、見届けてようとしている様子に少し似ていた。

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