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【小説】『もうすぐ、光の玉が爆ぜる』第29話

 暗くてここがちゃんとした道なのかもよく分からない。ただ、ユキはひたすら丘の上を目指して足を止めないで進んでいた。たくさんの木々の梢がユキの頭上を覆っていて、さっきまで見えていた月の居場所も、どこだかわからなくなっていた。ひたすらに暗い道を下駄で痛い足を引きずりながら進んでいく。
 足場が見えないから、手探りで前に進む。両手を前にだし、幹を見つけたらそこをつかみ、足を一歩踏み出す……ということを繰り返していくと、何とか頂上までたどりつくことができた。
 ここの丘は、島の人には星降る丘と呼ばれている。それぐらい、丘に着くとぽっかりと空が降ってくるように開けた場所なのだ。夏の昼間は暑いだけだが、夜になると絶好の告白スポットになる……まだ実際に夜にその丘に行ったことはなかったが、誰かがそんなことを話していた気がする。
 そろそろ、みんなが集まって良いはずなんだけど……。
 あたりを見渡した。暗がりの中、目を細め、林の中で腰をおろそうとした。
「お、遅かったな」
「ヒッきゃっ……んーっ」
 突然真っ暗闇の中から声が聞こえ、叫ぼうと思ったら口を覆われた。じたばた動きながら、大きな手から逃れようとする。 


 何?! 痴漢?!
 無我夢中で下駄で思いっきり足を踏んづけた。
「いってえっ! おい、こら暴れんな!」
「へ……あ、え、薫?!」
 ようやく声の持つ主が分かる。振り向くと、疲れた顔をした金髪でメガネの薫が立っていた。
「痛いんだけど」
 薫がむすっとした顔のまま足元を指でさした。薫のスニーカーの上にはまだユキの下駄がのっている。
「あ、ごめんっ」
「いいけど。有姫なんて軽い方だし。それよりも、声出すな」
 しっと口に指を立てて薫はしゃがむよう、仕草をした。何が何だか分からないまま、薫の言うことに従う。
「ねえ、何で薫がいるの? 諒とか颯には会わなかった?」
「会ってない。つーか、俺のこと甘く見すぎたな、有姫」
 薫は暗闇の中でにやっと笑った。暗いからはっきりそう見えたわけじゃないが、声色からしてそんな感じだった。むっとして眉をひそめる。
「何よそれ。ていうか、薫がここにいるせいで作戦が無茶苦茶よ」
「その作戦、俺にバレてないって本気で思ってた?」
「え……? え、知ってたの?」
 つい声を大きくすると、また薫の指が口元で立つ。
「しぃっ! 静かにしないと気づかれるだろ」
「気づかれるって誰に?」
 ユキがそう聞くと、薫は無言で茂みの向こうに広がる丘を指した。
「ちょっと立って、覗いて見れば。気づかれんなよ」
 小さくこくっと頷き恐る恐る立ちあがる。
 …………あ。
 丘の上には男女が二人いた。直樹と咲姫だ。二人で何の話をしているのかまでは分からないが、とにかく一緒におしゃべりしている。
「え……なんで? 何でいるの?」
「俺が二人にここで待ってろって言ったから」
 驚いて、しゃがみこんでいる薫を見下ろした。薫はぶいっとピースしている。
「どうせこういう作戦だったんだろ。花火二人にここで見せて、盛り上げるって」
「そ、そうだけど! でもどうして?」
「お前、あれでバレてないつもりかよ」
 薫は呆れた声で呟いた。その言葉で、薫は全て知っていたんだと思い知る。いつまでも立っているわけにも行かないので、浴衣が汚れないように注意深く薫の横にしゃがみこむ。下駄の下で、柔らかな草を踏みしめる感触がする。
「いつから気づいてた?」
「安沙奈が颯と諒を連れてったときから、まあだいたい予想ついてた。有姫が諒に説明してるのもうっすら聞こえたし」
「……地獄耳」
「耳が良いって言えよ」
 薫の言葉を無視してふんっとそっぽを向く。
「でも、何で協力してくれる気になったの? 咲姫ねえ狙いに行ってなかった?」
 薫を見ると、一瞬面食らった顔をした。
「はあ? 有姫、本気にしてたの?」
 今度はこっちが面食らう番だった。
 本気にしてたのって……。
「あれだけ言っといて、本気じゃなかったてっていうの?」
「俺、年上にしか興味無いんだよね」
「……なっ! だ、だってあんなに咲姫ねえ狙いだって自分から言ってたじゃない!」
「その方が、直樹も本気で焦るかなって思ったんだよ。あいつ、なかなか根性出さないからさー。ま、俺が色々見えないところで頑張ったおかげで、今二人はあそこにいるわけだな、うん」
「あ、あたしたちだって……!」
 頑張った、と言おうとして、そんなに何かしたわけでもないに気づいてしまった。言葉が途中で止まって、するすると戻っていく。
 あたしとアサ、少なくとも、あたしは自分のことで精一杯で、くっつけてあげるとか言いながら、何にもできなかった。
「うん? どうした? 途中で言いかけて」
「……何でもないの。ただ、何か、何も出来なかったって気づいちゃって。ごめんね、ありがとう」
 素直にぽつりと呟くと、横で薫が大げさに体を仰け反らせたのを感じた。
「……何よ」
「いや、有姫で謝ることもあるんだって、かなりびっくりした」
「……それ、どんだけ失礼なことか分かって言ってる?」
 むっとして薫に言い返すと、薫が喉の奥で小さくくつくつ笑う声が聞こえた。
「はは、悪い。そんなすぐ怒んなよ。つうか、何で安沙奈いないの? 俺、絶対一緒に来るって踏んでたんだけど」
 そうだ、アサ。
 ぐるりとその場で首を回して見渡してみるが、アサの姿は見えない。夏の夜の湿った風が当たりの木々の葉をさざ波のように揺らしている音だけが聞こえる。さっきまでユキの回りを取り囲んでいた音が嘘のように遠くに聞こえた。
「……離れちゃったの、諒と颯が同盟組んでて」
 これまでのことを、薫に全て話す。薫は驚いた様子でじっとユキの話を聞いていた。
「じゃ、何。あいつ、諒も安沙奈に告ったわけ?」
 自分の弟がそんなことできるとはとても信じられないような言い方である。うつむいて、下に広がる雑草をいじりながら小さく頷いた。
「多分……今、告白されてるのかも。もしかしたら、花火も諒と見るかもしれないわ」
 今頃、まだ時間は間に合うと思って二人で露店を回っているのかもしれない。
「はあ? いや、ちょっと待てよ。いつからそんなに弱気になったんだよ、有姫」
 薫の声に顔を上げる。薫は、ユキの顔を見てさらにぎょっとした顔をした。
「だから、俺の前で泣きそうになんなって。俺そういうの困るんだってば」
「あんたに言われなくたって、あたしだって薫の前でなんか泣きたくないわよ」
 本当は、アサの横で泣いてしまいたい。
 だけど、それはしてはいけないと思っていた。ユキは泣かれる側であって弱々しく泣いてしまう側ではないから。泣くなんて、最もユキらしくない行為だ。いつだって勝気に笑っているのが、ユキだ。アサの横でわざわざ泣かせてもらわなくても、もう十分アサに甘えている。そこまで自分だけ頼ったらダメだ。
 薫はじっと黙りこくってしまったユキを困ったように見ていたがやがて、前と同じようにぽんぽんと頭を叩いた。ただし、今回はかんざしがあるからかなり前の方だ。
「あのな、俺から見れば、安沙奈と有姫は二人とも自分の見てる相手の部分しか信じようとしてない。だから、こんな感じで行き違うんだと思う」
「……あ、あたしは、ちゃんとアサのこと見てるもの」
 見てるから、アサが諒を自分と同じくらい頼っているのも知っているし、アサにきちんと好かれている自分も知っている。
「でも、まわりがどんどん変わってくから……」
 アサはもう、きっとあたししかいないわけじゃないって分かってる。あたしの他にも、ちゃんと大切にしてくれる子がいるって知ってる。
 昔のように、お互いしか見えてなかった頃はどんなによかっただろう。年を重ねていくにつれて、アサとユキを取り囲むセカイもどんどん大きく広がっていった。たくさんの人に出会わないわけにはいかなくなった。
 今はもう、アサはあたししか見てるんじゃない。
「あーだから、違うって。まわりが変わってくのはしょうがないし、そのせいにするのも有姫らしくない。全部分かってるって思うからいけないんだって。自分の知らない部分が見えたら、すぐ拒絶してるからダメなんだよ」
 そこまで言って、薫は一度言葉を切った。ユキの心がどんどん沈んでいくのが分かるように、頭の上でぽんぽん叩いていた手をそっとどけて、直樹と咲姫を茂みの間からこっそり指差した。
「たとえば、だ。あいつら、昔仲良かったけど、大きくなるにつれてギクシャクしただろ? だけど、今、頑張ってそのギクシャクを直そうとしている」
 茂みの間からこっそり覗くと、直樹と咲姫の会話は何とか続いているらしい。直樹が懸命に話しているのが見える。
「咲姫には直樹が何思ってんのか知らないし、直樹も咲姫が何思ってんのか知らない。だけど、俺たちは知ってる。多分、二人とも同じこと思ってるって」
 そうだろ? と言われ小さく頷く。咲姫は直樹が好きだし、直樹も咲姫が好きだ。二人とも同じ気持ちを持っている。
「で、何で二人とも相手の気持ちに気づかないのかって言うと、仲良かった頃の相手しか知らないからだ。昔は恋愛感情無しでお互い仲良かったからな。でも今、もっかい仲良くなろうとしてる。知らない部分をちゃんと知ろうとしてるんだよ。有姫だって、そうすればいいんだよ。安沙奈がちょっとずつ変わっていくのはしょうがない。そりゃ、時間が経てば変わるんだから。でも、変わるたびに有姫が安沙奈のこと知ろうとすればいい」
 薫の言葉がまた途切れる。言われた言葉は痛いほど胸の中に突き刺さった。
 あたしは、アサのこと見てたんじゃなくて……。
「つまり、はっきり言うと、有姫は昔の安沙奈だけ見てて、今の安沙奈をだいぶ前から見ようとしてなかったんだろうな」
 そんなことない、とは言えなかった。
 さっき、アサが自分の横に戻ってきてくれないって一瞬でも思ってしまった。今のアサを初めに見失ってしまったのはユキだ。アサはいつだってユキの横にいようとしてくれていたのに。それを、よく分からないままに疑っていた。自分の知ってるアサだけをほしがっていた。
「……ねえ」
「うん?」
「あたしも何か変わったのかしら」
 ぽつりと呟くと、何となくその声は思っていたよりも心細そうな声だった。薫にこんなこと聞いてる自分が恥ずかしくなる。
「そりゃ、変わったんじゃない? 変わんないやつなんかいないって。ただ、安沙奈は有姫が変わったくらいじゃ動じないと思うけど」
 アサが動じないと言われてほっとしたのか、それとも自分が動じてしまったことに対してみじめに思ったのか分からない。とにかく、いつの間にか入っていた肩の力が抜けてユキはしゃがんだまま顔を腕の中に沈めた。真っ暗になる。浴衣からはほんのりと押入れの匂いと香水の匂いがした。
「あ、あと、そうだ」
 薫が思い出したように話す声が聞こえた。
「有姫さ、自分がよっぽど可愛いって思ってるみたいだけど」
「は? 何よ。別に思ってないわよ」
 怒ったように顔を上げる。そんなこと言われて不愉快じゃないわけなかった。薫と目が合うと、薫はふっと笑った。
「まあ、聞けよ。あのな、そんな見た目だけで告白なんて、できるわけないだろ。どれだけ告白に勇気いると思ってんだよ。内側と外側両方知ってないと、告白なんて普通できない」
 どうして薫がユキのつらい部分を知っているのか分からなかった。颯に告白されたことは言ったが、自分が告白されるとどう思うかなんて、一言だって薫に話したつもりはない。
 薫は驚きすぎて凍り付いてしまったユキの頭をまたぽんぽん叩いた。そのまま、手をのせている。薫の手が温かく感じる。
「現に、俺も諒も、直樹もみんな、有姫と一緒にいても嫌そうな顔しないだろ。颯ってやつは俺あんま話したことないけど、多分かなり悲しかったと思う」
 唇を噛み締めた。暗い夏の夜がじんわりとにじんでいく。多分、暗いから薫には見えてないだろうけれど。
「……ちゃんと、後で謝る」
「おー、えらいえらい」
 頭の上にある手がそのまま左右に撫でられる。撫でられるままになりながら、自分が随分誰にも甘えていなかったことが思い出される。
 頭を撫でられるだけで、こんなに楽になる。
 ふうと息をはくと、頬の上に温かい一筋の水が伝っているのを感じた。それだけで、誰よりも優しくなれている気がする。
 アサ、ごめんね。待っててくれてるのに気づかなかったわ。
 そのとき、すぐそばでガサっと大きな音がした。びっくりして振り向くと、暗闇の中、ゆらゆら揺れる紅いガラスの蝶がきらめいている。
「アサ?」
「あっおい! 安沙奈!」
 薫が直樹と咲姫に聞こえない程度に、声を張り上げて、音がした方に向かって叫ぶ。しばらくカサコソ葉同士がすれる音がしていたが、やがて止んだ。音がした方には真っ暗闇が広がっている。
「ったくもう! おい、早く行け! 有姫!」
 薫に乱暴に背中を押されて、つんのめるように立ち上がる。
「えっ、え、今のって」
「安沙奈に決まってんだろ! 多分、俺と有姫が二人でいるの見て、何か勘違いしたんだ。さっさと行け」
「勘違いって……」
 どうして、と言おうとして、自分がそう思われてもしょうがない状態だったことに気づく。薫におとなしく頭を撫でられていたのだ。さっと血の気が失せる。
「やだっどうしよう!」
「だから、早く行って追いかけろよ! 俺はまたごちゃごちゃなるのは面倒なんだよ」
「そんなの、あたしだって嫌よ!」
 せっかく、気持ちの整理が全部ついたのに。自分が間違っていたところも分かったのに。
 慌てて走り出して、足が急激に痛んだ。一瞬足が止まる。指と指の間がすれて痛い。痛みで顔をしかめながらも、アサがどこに行ったのか考える。痛む足を懸命に動かす。
 早く、追いかけて、追いつかないと。また、アサは一人で悲しむ。追いつけるのは、あたしだけだから、あたしがアサの横に行ってあげないと。
 面倒くさいとも思わなければ、やらなければならない役目のようにも感じなかった。ただ、当たり前のこと。空気を吸ってはくことと同じように、ユキはアサの横にいくのだ。 
急な傾斜を浴衣で動きにくい足で何とか下りきり、人通りが少ない道へと出る。息が切れて、それを抑えるようにコクンと空気を飲み込んだ。何の疑いも持たず、アサの横に飛び込んでいきたいと思えるのが、信じられないほど嬉しかった。やっと心を空っぽにして、アサの横に戻れる。
 カランと乾いた下駄の音が響く。その時足元がパッと明るくなった。空を見上げると音もせずに小さく花火が上がっていた。
 もうじき、花火が夜空に咲く。

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