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【小説】『星をたどるように(七星の場合)』第3話

 玄関の前で何度も深呼吸をして、呼吸を整えた。詩緒のびっくりした顔を頭の奥に押し込み、蓋をする。気持ちが落ち着いてから、玄関の扉をあけた。パパの靴が揃えてある。台所からカレーの匂いがしている。
「……ただいま」
 リビングのドアをあけると、パパがテーブルの上を片付け、食事のセッティングをしていた。
「お、七星おかえり。ママたちまだなんだ。先に食べるよな?」
 黙ってうなずき、洗面所にいく。と、手を洗っているところでちょうと玄関ドアががちゃっと開く音がした。
「ただいまぁ」
 ママの声だ。洗面所から顔をだすとママと灯理が靴を脱いでいた。
「おかえ……」
 灯理の顔をみてぎょっとした。灯理は口をきゅっとひきしめ、目を真っ赤にしていた。灯理は一瞬だけあたしの方を見たが、すぐに目線をそらし、そのまま二階へと駆け上がっていった。
「ああ、七星、帰ってきてたのね。新体操おつかれさま。お風呂は?」
「まだだけど……」
「暑いから先に入っちゃきちゃうのはどう? ママ、ちょっとパパと話があるのよ」
 灯理の様子からなにかあったのだ、と嫌でもわかる。あたしはこくんとうなずくと、おとなしく自室に行ってパジャマを取りに行った。下着とパジャマを取りながら、隣の灯理の部屋に耳をすます。嗚咽が聞こえるかもと思ったが、少なくとも、あたしの耳には何も聞こえてこなかった。
 なんなのよ灯理。詩緒と会って楽しくおしゃべりしてたくせに。毎日学校にも行ってないくせに。泣く意味がわからない。
 階段をおりると、リビングからはパパとママの声が聞こえた。バレないように聞き耳を立てる。ママとパパの声がとぎれとぎれに聞こえてくる。
「……から、約束はできないって。九月からできそうなら通うって」
「まあ、灯理がそういうなら……」
「でも何をするのか、教えてくれないのよ。ただ、それが納得いく形でおわったら、学校にいけると思うって」
「……僕らは、見守るしかできないんだと思うよ」
「そりゃそうよ、でも、本当は学校の夏期講習くらい行ってくれたらって思って……」
「勉強もするって約束はしたんだろ?」
「したわ、それに夏休みの宿題ももらってきた。この間一日だけ学校に行って試験を受けて、その結果をもらった。平均点くらいは全教科取れていたわ」
「じゃあ、もう、言えることはないよ。あとは待とう」
 そのとき、パパとママが歩き始める音がしたから、慌てて忍び足で洗面所に行ってドアをしめる。洋服を脱ぎ捨て熱いシャワーをあびる。
 今日は目まぐるしくいろんなことが一気に起こって、あたしの頭はパンク寸前だ。
部屋で一人で泣いていると思った灯理は、詩緒と会っていた。さっきの真っ赤な灯理の目は絶望ではなく、悔しさを宿らせた強い目だった。
 詩緒は笑顔で引っ越しを宣言した。
あたしは、夏合宿に行けない、九月から新体操がなくなって詩緒とも会えなくなって、学校と塾だけの日々になる。
 夏休みを前にふわりと羽のように軽かった心は、跡形もなく消えていた。

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