【小説】『もうすぐ、光の玉が爆ぜる』第24話

「あーっ無理! もう無理!」
「あーあ。だからお昼食べ過ぎるなって言ったじゃない」
「そんな今さら言ってもさあ……あーっちょっと本当に無理! 良子おばさんっ」
 ユキから冷ややかな視線を投げかけられながら、必死で近くの柱にしがみついた。手でどこか握ってないと、この苦しさにとてもじゃないけれど耐えられない。良子さんはものすごい力で帯を締め付けている。お昼に食べた、たらこのおにぎりでしっかり膨らんだアサのお腹をこれでもかというぐらい締め付け、圧迫する。今は苦しいだけだけれど、そのうち気持ちが悪くなりそうだ。
「我慢して、安沙奈ちゃん! 安沙奈ちゃん、必ず動き回るんだもの。絶対浴衣着崩れしちゃうと思うのよねえ。そしたら、みっともないから、今できるだけきつくしとくからね」
 そう言いながら、さらに良子さんの手に力がこもる。時々締め付けたままの状態で着付けの本を確認するから、ずいぶん長い間締め付けられたままだ。苦しくて息がしにくい。暇そうに窓辺に座って外を見ているユキは、もうきちんと着替え終わっている。アサよりも先に浴衣を着せてもらったのだ。といっても、ユキは何年か前にお母さんに着付けを習っていたから、ほとんど自分で着ることができる。後ろの帯を見栄えをよくしてもらうため、良子さんに手伝ってもらった程度だ。
 ユキの着物は藍色に真っ白な蝶が飛んでいる柄だ。黒にも近い闇のように暗くて綺麗な藍色に、煌めく銀色のすじがところどころ引いてある。その上を真っ白な蝶が飛んでいる。蝶がいないところには、紅い小さな花が蝶よりも目立たない程度に咲いていて、華やかさをプラスしている。帯もルビーのような紅い色で、とにかくユキに似合う。それに、全く苦しくなさそうだ。浴衣はユキの線の細さだけを際立たせている。
「んっえい!」
「うっ?!」
 最後に思いっきり良子さんにきつく締め上げられ、喉の奥から変な声が漏れた。それから後ろをぽんぽんと叩かれる。
「はい、終わり。綺麗にできたわあ。鏡の前に立ってみたら?」
「あ…うん、じゃあ、行ってみる」
 締められている時はあんなに苦しかったのに、きちんとことが終わってみると不思議とそれほどつらくはない。毎年のことだから、体が慣れているのかもしれない。もうこれ以上締められることが無いことにほっとしながら、アサは良子さんが奥から持ってきてくれた全身が映る鏡の前まで行った。鏡に映ったアサは、着物だけ見ればとても綺麗だった。水色の下地に、ユキと同じような銀色の線が薄っすら引いてあり、その上に柔らかいピンクに似た紫の藤の花と、白い小さな花が流れるように咲いている。
「おー! 綺麗! ねね、ユキどう?」
 大声で叫んで振り向くと、ふすまのところからユキの顔だけ見えた。上半身を最大限逸らしてアサのことを見ているらしい。
「可愛い可愛い。去年は丈がちょっと長かったから、今年は調度いいんじゃない?」
「そうだよねえ! 背伸びたんだね! よかった伸びてー」
 鏡の前に立ちながら、にんまり笑う。浴衣は好きだ。いつもは着れないものを着るのは楽しいし、お祭りという楽しいものを味わう準備をしているようで自然とモチベーションが上がってくる。うん、似合ってる、かわいい!
 気分はもう大和撫子だから、なるべく内股、小幅で静々と歩く。いつもよりも歩くスピードは亀並みに落ちるけど、それでも浴衣を着ているのだから気にすることじゃない。
 ユキが待っているふすまの向こうの部屋に行くと、ユキは髪をアップしてかんざしを挿しているところだった。藍色の浴衣から白くて細いユキの腕が二の腕まで露出している。こっちがため息をついてしまいたいほど、ユキの色の白さに藍色の浴衣は映えていた。
「あ、アサ、そこにいて。これ終わったら、アサの髪もいじるから」
「はあい。わかった」
 ユキの近くで立って待つ。できれば座ってしまいけれど、そんなことしたら奥にいる良子さんに少し着崩れたことがわかってしまって、またぎゅうぎゅう締め付けられることになる。
 ユキが慎重に差し込んでいる紅いかんざしは、多分、この島の特産品の紅いガラスでできたものだ。紅いガラスは色が難しいから値段が青いガラスよりもずっと高い。見たことがある気がするから、多分良子さんが貸してくれたのだろう。去年も、確か何か貸してくれていた。
 ユキの挿しているかんざしは紅くて光を通すほど透明で、ユキのほっそりとした白い指が微妙に動くたびにキラキラしている。もし音があれば、しゃらりと小さなガラスの粒が、たくさん転がっていくような音が鳴るだろう。先の方からは赤い小さな花が集まったものが垂れていて、同じように何本かの銀色のチャームも垂れている。チャームの先にはそれぞれガラスでできた小さな花がくっついていて、かんざしの先っぽにはガラスの蝶が止まっていた。
 ユキは微妙に位置を調節しながら慎重に黒髪に挿し込んだ。鏡を見て横を向いた。しゃらり、とかんざしが煌めく。
「どう?」
「かわいい! 似合うよ、ユキ!」
「そう? ありがとう。なんか壊しちゃいそうでちょっと怖いけど。じゃ、アサこっちおいで」
 ユキが手招きして、鏡台の前に着崩れしないように丁寧に座った。
「アサの髪短いよ」
「大丈夫よ。とりあえずこれ使うから」
 そう言ってまずユキが取り出したものは、どこにでも売っているような黒い何の変哲もないゴムだった。
「え……」
ユキのはそんなに可愛いのに、アサにはこのゴムだけ?
 アサの不満が顔に出ていたのか、ユキはふふっと笑った。


「大丈夫。これだけじゃないから」
 そう言いながら、アサの短い髪は結わかれていく。結うといっても、本当に元々髪が短いため、五センチぐらいの尻尾ができるだけだ。畳に直接ペタンと座り込みながら、じっと待つ。
 結わき終わって、今度はヘアクリップを取り出した。金色のヘアクリップにガラスでできた小さな白い花がいっぱいくっついている。
「あーかわいい!」
「でしょ。これで、ここの結ったところをアップして留めるから」
 ヘアクリップは短いアサの結った髪をアップして留まった。顔を動かして鏡の前で頭の角度を変えて見てみる。日が落ちてきた窓からの夕日でちらちら光った。
「かわいいー。ありがとう、ユキ」
「どういたしまして。あと、このヘアピンするわね。それから、髪余っているところはワックスするから、じっとしてて」
 ユキは黒いヘアピンを取り出した。先にはユキと同じような銀色のチャームが垂れていて、その先に紅いガラスの蝶が揺れている。
「それ、良子おばさんが貸してくれたの?」
「そう。あたしのかんざしもだけど。ここの島の紅いガラスって本当綺麗よねー」
 ユキは話しながらも手を止めることなくアサの髪をセットしていく。持ってきていたワックスで、外巻き気味のアサの髪を内巻きにしていく。髪全体が整え終わったら、髪を一束取って、ヘアピンを挿し込んだ。  
「はい、終わりー。後は男子が迎えに来るのを待つだけね」
「わーっ本当にかわいい!」
 鏡に近寄って何度も顔を動かす。そのたびに、耳元で紅い蝶が舞っている。 
 そのとき、隣の部屋から人の声とは思えないような悲鳴が聞こえた。びっくりして、後ろに座っているユキの方を振り向く。しばらくして、よろよろとした足取りで咲姫がこっちにやってきた。
「あーかわいいよっ」
 かなり疲れた顔をした咲姫は、アサの褒め言葉に何とか微笑んだ。
「ありがとう、安沙奈ちゃん。安沙奈ちゃんも、すごくかわいい」
「その浴衣、どうしたの? 家から浴衣持ってくればよかったって昨日言ってなかった?」
 ユキの質問に、咲姫は疲れた顔で笑った。
「ああ、これね。綺麗でしょ? 良子おばさんが貸してくれたの」
「そうなの? ってことは、昔良子おばさんが着てたのなんだ」
 咲姫の浴衣は薄い桃色が下地となっていて、その上に小さな白い桜がたくさん咲き誇っている。そして、その合間を縫うように紅い金魚が泳いでいる。金魚の周りは銀色の微小の粒が飛ばしてあり、金魚がわずかに光っているように見えた。咲姫は髪もやってもらったようで、髪をアップにして紅い玉がついているガラスのかんざしを挿し、耳の横には大きな桜のコサージュが咲いている。
「もしかして、さっきの悲鳴って咲姫ねえ?」
 訝しげにユキが咲姫の方を見つめると、咲姫は恥ずかしそうにした。
「だって、しょうがなかったのよ。あんまりきつく締めるんだもの。それに、浴衣なんて久しぶりだったし」
「あら、みんなお着替え終わったの?」
 咲姫の後ろから満足げな良子さんが顔を覗かせた。突然後ろに立たれて、咲姫はぎょっとした顔で一歩離れた。
「ちょっと、良子おばさんきつく締めすぎなんじゃない?」
「あんら、ユキちゃんもアサちゃんも綺麗ねえ! だってね、もう、ユキちゃんと咲姫ちゃんはやたら腰が細いから、締めても締めても、まだ締まるのよ。だからついきつくしちゃって」
 ふふふっと良子さんは笑う。
 えー……それって、アサはそこまでウエスト細くないってことー? 
 心の中で良子さんに向かって聞いてみた。実際口に出して言わないのは、多分、アサが思っている通りだから。わざわざ自分のウエストがユキや咲姫よりも太いことを言われたくない。
「うおーい。来たんだけど! まだかよー」
玄関の方から、諒の声が聞こえた。迎えが来たらしい。嬉しくて走って玄関まで行きたくなるが、浴衣を着ているからなるべく静かに立ち上がる。今は大和撫子なのだ。大和撫子は、廊下など走ってはいけない。
「ユキ、咲姫ちゃん、行こ?」
「ええ。あ、良子おばさん、下駄ある?」
「あー、はいはい。すぐ出すわ。玄関の靴入れの奥にあると思うわ」
 良子さんは忙しそうに先に玄関に向かった。その後を、浴衣を着た三人が静々と歩く。内股で、歩幅は小さく。なるべく背筋は伸ばして、凛として綺麗ではんなりと見えるように。
 ゆっくりと歩いたから時間が少しかかってしまったが、玄関に来ると、ちょうど良子さんが下駄を三人分出したところだった。
「はい、この藍色が有姫ちゃんで、黄色が安沙奈ちゃん。それで、この赤いのが咲姫ちゃんね」
「うん! ありがとう、良子おばさん」
 にっこり笑ってお礼を言ってから、そっと下駄に足を入れる。親指と人差し指の間に違和感を覚えるが、じきに慣れるだろう。
 下駄を履いて、二三回トントンと玄関の石の床に打ち付けて、脱げないようにする。それから、諒たちが待つ玄関の外に出た。
「お待たせー」
「おお! 安沙奈可愛いね! っと、後ろにいる有姫も綺麗だよ。咲姫も浴衣がすごく似合ってる」
 薫は三人が出てきたとたん、全員を一気に褒めた。
「へへー。ありがと。どう? 諒」
 薫の後ろで固まっていた諒の方に駆け寄る。諒はしばらく黙りこくってじっと浴衣だけ見つめている。
 あれ? 結構似合ってると思ってたのに。実はそんなでもないの?
 薫の言葉はアサに対してだけお世辞なのだろうか、と疑い始めると、ユキがアサの前にすっと出てきて諒の頭を叩いた。ぺしっとはたく音が鳴る。
「何やってんのよ。褒めるならさっさと褒めなさいよ」
「う、うるせえ! わかってるよ!」
「あーあ。ったく。お前は本当に分かってないよなあ」
 実の兄である薫からも馬鹿にされ、諒は顔を真っ赤にしながら薫をにらみつけた。
「俺は兄貴みたいに女たらしじゃないんだっ」
「ん? いやいや。そうだとしても、中三にもなって、そこまで恥ずかしがりやさんなのは異常だろ。小学生のガキと同レベルだ」
「僕も、宇波先輩はちょっと度が過ぎると思います。もっとさらっと言えないと、かっこよくないですよ」
 そう言いながら、玄関から颯が出てきた颯は、いつもの黒い長ズボンにカーキで大きく英語のロゴが入っているTシャツを着ている。
「あっ颯ー! やっぱりお祭り来たくなっちゃったの?」
 嬉しくて、顔が自然と笑ってしまうのを感じながら颯に近寄る。颯は一瞬顔をしかめた。
「別に、行きたいわけじゃないですけど、でも、暇なんで」
「あはは。そっか」
 それでもいいや。大勢いた方が楽しいことはもっと楽しくなる。
 諒はそんなアサの様子を見て、顔をぷいっとそむけた。耳がちょっと赤く染まっていた。
 遠くから、太鼓の音と笛の音色が風に乗って流れてきた。お祭りが始まったらしい。
「あ、音鳴ってる! ユキ早く行かないと!」
 アサが後ろにいた細いユキの腕をくいっと引っ張る。ユキは呆れた顔で微笑んだ。
「そんなすぐお祭り終わるわけないじゃない」
「そうだけど! でもわたあめとか無くなったらいやだもん。一生の悔いになりそう」
 カラン、と下駄を鳴らしてユキと神社の方へと歩き始める。耳元でシャラシャラと銀のチャームが揺れ、紅いガラスの蝶がたまに視線を掠めている。下駄がコンクリートの道路をカラカラ鳴らし、空気は太鼓の振動で微かに震え、笛の甲高い音がたくさんの音と音の隙間をぬって耳に届く。この雰囲気は、昔から本当に失くしたくないものなのだ。灯台の明かりがつき始め、夕日も沈んで薄い藍色の海を照らし、雲もほんのりと青く染まって、露店で売っている食べ物の匂いが鼻を掠めてお腹を鳴らす。夢の中を歩いている気がしてくる。でも、隣にはしっかりと誰よりも綺麗に着飾ったユキが歩いてくれている。これは、夢じゃないから、もう二度と味わうことができなくなるかもしれない現実だから、今をしっかりとつかんでいなくちゃと思う。
「ねえ、アサ」
「ん、なに? あ、ねえ、金魚すくい、やってもいいでしょ? いつもさ、船で帰っちゃうからだめって言うけど。でもやらないとお祭りって感じしないもん。あ、そうだ。良子おばさんのところの池でコイと一緒にするのは?」
「あ、ちょっと待って。お祭りの話じゃなくて」
「え?」
 ユキを見ると、ちらっと首を逸らして後ろを見ている。アサもつられて後ろを見ると、諒と颯がケンカしているように軽く言い争いながら歩いていて、その後ろを薫と咲姫と直樹が並んで歩いている。が、ただ歩いているのではない。薫はしっかり咲姫をマークしている。咲姫を真ん中して、右に薫、左に直樹だ。直樹は一人考え事をしているような顔で歩き、たまに咲姫に話しかけられると、慌てて返事をして会話が生まれる。けれど、その会話を右にいる薫がひょいっと奪い、いつの間にか咲姫と薫二人だけの会話となっている。これが、何度も繰り返されていた。
「わあー……すごい、薫」
「本当にね。これじゃあ、直樹くんじゃ手も足も出せないわよね」
「でもさ、薫は協力してくれるんじゃなかったの?」
 確か、前、ユキは直樹があんまりうじうじしていなければ、薫は協力してくれることになったと言っていた。あれで協力しているつもりなのだろうか。
 顔を前に戻してユキを見ると、ユキは困ったように口元に右手をやっていた。
「ん、あの時は本当にそう言ってたのよ。もしかしたら、もう期限が来たのかも」
「期限って……直樹がうじうじしてたらってやつ?」
「そう、直樹くんのうじうじ。でも咲姫ねえ、頑張っているわよね。前は自分から直樹くんにはそこまで話しかけてなったもの。流されるまま、っていう感じで」
「……うぅー。何か、ごめん、アサの兄だけあんなので……」
 照れやだし、口ベタなのは分かっていたけれど、いざとなればもうちょっと根性を出すと思っていた。直樹にとっては、まだいざとなれば、が来ていないのだろうか。
 ちょっとうつむく。すると、ユキは大丈夫と言うようにアサの手に軽く触れた。
「いいわよ、別に。そんなの、こっちがなんとかするから」
「こっちって?」
「あたしとアサで」
 ユキはふふん、と勝気に笑う。
「いい? あたしは、このお祭りのときに使える作戦を立てたのよ」
「作戦?! 咲姫ちゃんと直樹をくっつけるための?」
 そうよ、とユキは頷いた。
「あのね、これは花火が打ち上げられる前までに終わらせることが肝心なの。まず、これにはみんなの協力がいるわ。ってことだから、諒と颯を呼んで。あ、でも、咲姫ねえと、直樹くんに知られると作戦は無意味になるから、ばれないように」
「はあいっ了解」
 ユキの命令に素直に頷く。
 まだ小言を言い合っている諒と颯のもとへ動きにくい浴衣で小走りに近づく。
「ね、ちょっと二人とも」
「あ? あ、何?」
「ほら、そうやってすぐ赤くなるのも今時ありえませんって」
「んだと! 颯、お前先輩に対して何でももの言っていいと思ってんのかよ!」
「あーはいはい、ちょっとストップストップ」
 両手を広げて二人の会話の止めに入る。
「あのね、ユキが大切な作戦の話があるから来いって。二人の協力が必要なんだって。じゃないと、成功しないの」
「は? 作戦?」
「二人の協力ですよ。宇波先輩だけじゃないですよ」
「っ! 分かってんだよ! いちいちうるせえよ!」
 諒は顔を赤くしながら舌打ちして、アサの横を通り過ぎてユキの方へ駆けていった。アサは走れないから、できる限りの早歩きでユキと諒に追いつこうと急ぐ。隣には颯が一緒に歩いてくれている。
「ごめんね、今走れなくて」
「いえ、別に。ところで、作戦って何の作戦ですか?」
「えっとね」
 後ろをちらっと振り返る。直樹たちは割合近くにいる。多分、小声なら太鼓の音に混じって聞こえないだろうが、もしもの可能性はある。
「ちょっと、ここじゃ言えないんだけど、ある男女二人をこの夏にくっつけようとしててね……」
「ある男女って、あの人じゃないですよね?」
 颯はユキの方をじっと見た。
 ユキ? 何でユキなの?
 少し驚きながら首を横に振る。
「違うよ、ユキじゃない。もうちょっと、ユキに追いついたら言うね。でも何でユキだと思ったの?」
「……いえ、別に。ただ、ちょっと気になっただけです」
 颯はそっぽを向いた。 
 あれ……あれ? あらら。颯がそっぽを向くときって照れたときとか、だったよね。
 これってもしかして。
「もしかして、ユキのこと好きになっちゃった?」
 ぽつりと小声で呟くと、ものすごいスピードでグルンと颯がこちら側を向いた。真っ赤だ。否定したいけど、できないような、恥ずかしいけれど、強がっているような、そんな顔をしながら口をパクパク動かした。
「…………っ!」
 さっき散々諒のことを馬鹿にしていたから、何も言えないらしい。その様子がおかしくて口の中から笑いがこぼれた。
「あはっ。大丈夫だよ。誰にも言わないから。っていっても、まあ、よくあることなんだよねー」
 慣れたように言うと、颯は幾分トーンダウンした声で言った。
「やっぱり、モテますか?」
「そりゃあもう。クラス替えとか、入学したばっかりのときは大変だよー告白ラッシュで。そのせいで、一緒にお昼食べられないときあるもん。でもね、だんだん学年が上がるごとにヒートダウンしてくのね。ユキって可憐に見えるけど、実は可憐じゃないから。だんだん、素のユキが見えてくるわけ。まあ、そもそも勘違いしたのは、ユキを好きになった側なんだけどねえ。ユキはずっとあんな感じだし」
「……そうですか」
 颯は疲れたような顔をして呟いた。
 この子は何人目なのかな。
 颯を見下ろし、その真っ黒な髪の中心にある白いうなじをちらっと見て思った。
 ユキのことを好きになった男の子の、何人目なんだろう。
 それから、ユキの方をじっと見つめた。いつの間にか、早歩きだったのがいつも通りの歩きになっている。ユキは後ろの方に声が漏れることを避けるように、諒と話しながらどんどん先に行ってしまう。
 ユキは、いいよね。ユキは絶対独りにならない。
 ユキのことを好きな人なんて、うんとたくさんいる。それこそ、星の数くらい。きっと少し微笑んで、少し優しくするだけで、ユキは大勢の人に囲まれる。
 もしアサがいなくなっちゃうようなことになっても、絶対独りにはならないんだ。
 アサは、独りになってしまうのに。
 夜の商店街が一際明るく紅く見える。ちょうちんの明かりが暗い島を照らし出す。今日は、人間が夜を愉しむお祭りの日だから。闇をできるかぎり追い払うように。
 ユキの漆黒の髪の上で光っている紅いガラスのかんざしだけが、今のユキの目印だった。深い藍色の浴衣も、そこに舞う白い蝶も、何故だか闇に紛れて見失いそうになる。紅いガラスのかんざしだけが、チラチラ煌めきシャランと音を奏でている。
 アサにはユキで、ユキにはアサだけだ。今は、きっとそう。だけど、もしアサの横からユキがいなくなってしまったら、アサは独りになるだろう。手を高く突き上げて、金切り声で寂しいと叫んでも、振り向いてくれる人はいないだろう。
 ユキならば、ちょっと回りのセカイに優しくすれば、誰もが振り返ってくれる。
「行こう」
 颯の手首をつかんで引っ張った。着崩れするのも気にしないで、少し小走りする。
 この暗闇のせいだと思った。こんなことを考えてしまうのは、まとわりつくように漂っている、この真っ黒な闇のせいだと。だから、それから早く逃れたくて、紅いガラスのかんざしを見失う前につかみたかった。その思いがアサをユキへと突き動かした。

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