snozomus

風とaikoがすきです。雪もすきです。

snozomus

風とaikoがすきです。雪もすきです。

最近の記事

9/24の最期 〜とりあえず続けてみたらどうなった?〜

たまたま、ちょうど1ヶ月で毎日投稿が終わりました。 はじめは日付が変わってからすぐに書いていた日記が、ランチしながら書くようになり、夕方歩きながらになって、夜になりました。 そして昨日は24時前、シンデレラのように焦って書いたように思います。 「たまたま」というか、なるべくしてなった、むしろ「ぴったり」遅れた、という感じ。 ズレが少しずつ溜まっていき、1日分ズレました。 続けたことで何か変わったかというと、写真と文章以外の目次機能も使ってないし、ひとつも、ひと単語もBoldに

    • 9/23の運命

      運命の人の次がまた運命の人ってことあるの??

      • 9/22の出発

        ハクビシンがいました。見えないけどハクビシンが3匹合流してにげてゆきました。

        • 9/21の残滓

          魚です。

        9/24の最期 〜とりあえず続けてみたらどうなった?〜

          9/20の夢幻

          これは夢なの?現実なの?と言われた。

          9/20の夢幻

          9/19の帰納

          歯茎切ったので痛くて寝てました。 英語の方が発音しやすいね。英語喉だね。

          9/19の帰納

          9/18の迷子

          心が迷子っぽいです。お母さんを探しているというよりは、もう何をしたらいいのかわからず泣きじゃくっている。 まあ大人なので誰も助けてくれないんで、暫くしたら北を探して歩き出すんですけどね。

          9/18の迷子

          9/17の狼狽

          楽しいことだけやってたらダメな理由を考えたんですよね。 社会の構成員に(自動的に)なっちゃっているからですよね。 前提として、人は自由です。 学校や会社に行かなくてもいい。ただそれに対して叱る人、怒る人がいて、心配する人、ワクワクする人がいるだけ。 自分だけの、「終わりある」人生を自由に使っていい。 世界中を走り回って人生を過ごしたり、あえて牢獄に入ってから脱出したりしてもいい。 ただ、唐突に結論。 社会で暮らすメリットは、産まれる前から大小様々、存分に受けてい

          9/17の狼狽

          9/16の受動

          たまに遊びや仕事に誘ってくれる大切な友達がいる。 人生の大切な時間を一緒に過ごした仲間でもある。 その頃のことは、楽しかったと手放しに言える記憶じゃないんだけど、その人との関係性はとてもよかった。 昨日、ある人に「受け身だから」と言われた。僕のこと、よく見えてるなあと思った。 それがどういう意味であれ、自分のことをよく分かってくれるというのは、すこしドキッとする感覚と嬉しい気持ちが混ざり合って、うん、悪くない。 とはいえだ。来年の目標は「能動」にしようかな。

          9/16の受動

          9/15の夢中

          昨日はジム行けなかった。大事な予定を思い出したから。 「何をしたか」は忘れちゃうけど、忘れたくない気持ちってあるよね。

          9/15の夢中

          9/14の透過

          透き通るじゃなくて、透き通り過ぎる。 近くを通る人間は危険人物だが、通り過ぎることがわかっていれば、家族連れしかいない公園でも、子供に近づく不審者とは思われない。 いや不審者くらいには思われているでしょうけど…。 三宿通り?にある公園が9月中旬までしか使えないということで、思い出を探すように歩き回りました。 初めてきたんだけどね。

          9/14の透過

          9/13の邂逅

          歩くというのは確率を上げる行為だ。 棒にあたる回数を増やす。 実際、あたる確率は変わんないんだけど、たのしみの確率は増える。 また明日会えるといいですね。

          9/13の邂逅

          9/12の現像

          母から聞いた話だ。 僕の幼なじみのお母さんは、息子のコウキが高校卒業の日、式が終わり一段落し、息子を探しに教室へ向かったのだそうだ。 「コウキいるかな?」 するとそこには、息子を中心にクラスメイトが輪になって思い出を語っているという。 「コウキ脱げ脱げ〜!」 コウキはクラスの人気者だ。上半身裸になった彼を囲み、高校生活の思い出話が始まった。 泣く女子。笑う男子。 お母さんは教室に入ることはせず、教室の外から眺めていた。 うん、眺めるしかない。 お母さんは、話

          9/12の現像

          9/11の勇気

          雲が飽きないのは、人生が100年だからか。 変化するからか。 有機的だからか。 きっと人は1000年生きても雲に飽きないだろうし、無機的でも愛するんじゃないかな。変化が乏しくなってしまうかも?しれないけれど。 そう。答えは変化だ。変化するものを見るのは楽しいのだ。無限の形の中に人は理想を見るよ。

          9/11の勇気

          9/10の欺瞞

          歩き出しますか。

          9/10の欺瞞

          9/9の催促

          ストロー噛みながら吸った時に、ドッとぶつかってくるジュースって愛おしいよね。

          9/9の催促