悩みの9割は論理で解決できる!〜保存版〜

人は日々悩み、苦しみ、解決策を見つけ、前に進んでいく生き物です。たぶん。

そして私も絶賛、悩み中です。何に悩んでるかって?
周りが優秀すぎる」ってことだよ。

ノリが軽いのに普通に悩んでました。すみません。
何かに悩んだとき、皆さんはどうしてますか?
友達にひたすら愚痴る、ぬいぐるみ殴る・・・様々ですね。

でも私が今までやってきて一番有効だったのは、
「悩みを論理的に解明する」という方法です。


悩んでしまうことに悩む人へ

人間関係に悩みすぎてツライ・・・!
どうやっても悩みが消えない・・・!
どうしたって解決できないから、耐えるしかないか。。

あるあるですよね。私もすっごい悩みまくる人でした。まだ22年しか生きてないですが。

悩んでいる状態って、すっごく苦しいです。
頭の中の3分の1はそれで占領されてしまい、ため息製造機になる。
もういっそのこと、全部やめちゃおうかな」とか考えますよね。
あーあ、もうあの人どこかにつまづいて転べばいいのに」とか、もっと過激なことも考えますよね。

でも、悩みの根源って、自分の中にあることが多いです。
嫌なアイツがいなくなっても、入れ替わりのようにまた来ることもあるし。

では、私の悩みを例に考えてみます!

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主語は誰か考える

論理・・・考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。(goo国語辞典より)
妥当性・・・哲学で、認識や価値や意味などが普遍的、必然的に是認される場合、それらがもつ性質。(goo国語辞典より)

言葉の整理をしたところで、筋道を立てて考えを組み立てていきます。
まず、主語は誰でしょう?

『周りが優秀すぎる』と思っているのは私です。
つまり、文は『私は周りが優秀すぎると思っている』という風に変化します。

「主語が誰であるのか」は、問題の所在を確かめるために重要なポイントです。

私の悩みは、周囲でなく私の中にあるということがわかります。


抽象的な言葉を具体的に

次に、文に使った言葉を見ていきます。

「私は周り優秀すぎると思っている」
この太線の言葉はとてもあいまいですね。変えてみます。

「私は同学年のゼミ生全員が、教授の難しい質問にも的確に答えられている点で私の学力よりはるかに優秀だと思っている。」

かなり具体的になりました。
ちょっと恥ずかしくなるかもしれません。ちなみに私は恥ずかしくなってきた。

具体化する際の注意点は、「◯◯すぎる」「◯◯より全然」「優秀」「バカ」などの比較がある場合、どこを起点にしているかを明確にすることです。
上の文の場合、『私の学力』が起点になります。(この文において学力という表現が合っているかは謎)


言葉の意味を考える

具体化された文に含まれる、言葉の意味を整理します。

「私は同学年のゼミ生全員が、教授の難しい質問にも的確に答えられている点で私の学力よりはるかに優秀だと思っている。」

難しい質問とはどんな質問でしょうか。(先ほど直せた場合は気にしなくて大丈夫です!)
難しさにも色々あります。ある母集団の正答率などで表現できる場合もあれば、主観(知らなかった、等)で難しいと感じる場合もある。

私の場合は、「知らないことを質問される=難しい」と感じていました。

次に、的確とはなんでしょう。
この場合、的確=教授が求めた答えになります。つまり、起点は教授にあるということ。指定の教科書でもなく、最新の論文でもないのです。

最後に、優秀とはなんでしょう。
ここでは言葉の意味そのままに使っている感じがするので、調べてみます。

優秀・・・非常にすぐれていること。また、そのさま。(goo国語辞典より)

・・・そのまんまやん。
まあいいや。とにかく、私より非常に優れていると思っている。

ひとしきり挙げてみて、感じた感情をメモしましょう。
それぞれの言葉に対して持つイメージは、プラスかマイナスか。だけでもいいです。
ちなみに私は優秀という言葉にマイナスのイメージを感じた。(不思議っ!)

そこにある感情は「悲しさ」です。
具体的には、優秀でない自分に失望している状態。


本当にそうなんか?と疑う

「せっかくここまで文作ったのに・・・!」
ご心配の皆さん、ここが一番重要なポイントです。

先ほどの文を整理すると、
「私は同学年のゼミ生全員が、私が知らない知識から出される教授の質問にも、教授が求めるものを答えられているその点で私の学力よりはるかに優秀だと思っており、優秀でない自分に悲しさを感じている。」

かなり長くなりました。
この太字に注目!テストに出るよ〜!!(嘘)

①私が知らない知識から出される教授の質問にも、教授が求めるものを答えられている

②その点で私の学力よりはるかに優秀だ

疑うのは、①である場合、②なのか?ということです。
つまり、「教授が求めるものを答えられている」=「優秀」なのか?
反対に、「優秀」=「教授が求めるものを答えられている」なのか?
そして、「私の知らない知識を知っている」=「優秀」か?

ここまで整理して、どう考えますか?
私はこう考えます。
「教授が求めるものを答えられる」ことだけが「優秀」だとは限らない
「私が知らない知識を知っている」ことが「優秀」だとは限らない
優秀の基準は色々あるよね。。

次に、上記の理解を踏まえて解剖してみましょう。
③優秀でない自分に悲しさを感じている

前提:「教授が求めるものを答えられる」ことだけが「優秀」だとは限らない
→そもそも私は優秀でないのか?(疑問)
結論:「私が優秀でないとは限らない

これが分かった上で次!

前提:私が優秀でないとは限らない(私は優秀な部分もある)
→そこに悲しさを感じる必要はあるか?(疑問)
結論:ない


今までのものをまとめましょう!

私は同学年のゼミ生全員が、私が知らない知識から出される教授の質問にも、教授が求めるものを答えられている。
その点で私の学力よりはるかに優秀だと思っており、
優秀でない自分に悲しさを感じている。

しかし

私が知らない知識を知っている、教授の求めるものに答えられることが優等生の絶対条件であるとは限らない。
これを前提にすると、私が劣等生だと断定できない。優秀な部分もある。
つまり「自分は優秀でない、劣等生である」と悲しさを感じる必要はない。違うから。


はい!悩みの全貌を理解しましたね!
ここまで広げてみると、自分の考え方の癖や悩みの核がだんだん分かってきます!


なやみは自分を知る重要なカギである

先ほどの文章から、「優秀であるか」が自分の悩みの核の一片だと分かりました。

「優秀」は、主に他人からの判断ですね。
つまり、「人からどう思われるか」という点を私は重要視している。
悩みの根本解決は、「人からどう思われるか」でなく、「自分がどうしたいのか」に考えをシフトしていくことだと思います。

こんな感じで、あの一言からここまで自分を知ることができるんです!!

なやんだら、対処療法で発散することも大事です。
しかし、あえて取っておいて、少しずつ広げていくとまた違う視点が見つかるかも!

人間関係のストレス、悩みのストレスって最終的にどこへいくか。
自分の体です。
体が傷つくことで、無意識にその場から逃れようとします。
加えてその傷は、ずっと中でくすぶり続ける。

そんな風に自分の体が傷ついちゃうのはあまりにも悲しすぎる!
その前に自分と向き合ってほしい。
一緒に生きていく自分のこと、少しでも分かっていてほしい。

そんな思いで私なりの方程式を立てました。
たくさんの人に役立ちますように!


⚠︎今後も加筆修正していきます。定期的にのぞいてくれたら、分かりやすくなってたりとかの変化があるかも!

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