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雨の日のやさしさ

 あれはたしか、就職活動の説明会の帰り道だった。就活に苦戦していて、落ち込むことも多かった時期だ。そのときは生憎、雨が降り始めて、私は傘がなくて濡れながら道を歩いていた。

 働き始めてからは、常に通勤用の鞄に折り畳み傘を入れるようになったが、その頃は就活で交通費がかかることもあってリボ払いに手を出すほどの金欠だったし、それをできるような心の余裕も計画性もなかった。

 そんな私に対して、同じようなリクルートスーツを着ている女性が道の途中で話しかけてくれた。

「傘、持ち合わせがあるので使ってください」

 私はお礼を言って受けとって、そのあと傘を駅で返したのか、そのまま貰って返ってしまったのか、覚えていない。なんだったら、本当は同じ傘にいれて貰ったのかもしれない。ただ、その細部は問題ではない。大事なのは、10年前後経った今でも、その雨の日に声をかけてくれた女性から受けたやさしさを覚えているということだ。

 私は明確に人から向けられた親切をうまく受け入れられないことがあるのに、こういう、何気ない思いやりや気遣いにはやたら感動してしまうところがある。人間関係の交わらない人からの親切は、利害がないから、その好意を素直に受けとれるのかもしれない。あるいは、道端で親切にされるのが非日常だから、貴重で嬉しいのだろうか。

 何気ないやさしさで心を癒される自分だったという事実に、寂しさを感じる。一方で、雨に濡れているような人間に手をさしのべる人がいるという事実に、美しさを感じてしまう。

 いずれにせよ、私は雨が降るたびに、あのときの女性の優しさを思い出しては、彼女の就活がうまくいったことや、今幸せな生活を送っていることを祈ってしまう。

 あのとき、ありがとうございました。

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