見出し画像

太陽のアロマ

「足が太い。」
 姿見の前で、鏡の中の自分を罵倒した。転校を目前に海野うみの波癒なみゅは自分自身に落胆した。
以前の学校では私服だったのに、転校先ではブレザーの制服を着ることになったのだ。
 えんじ色の胸リボンが良く映える脳紺色の上下の制服は、胸元の襟が通常のスーツに比べ、気持ち長めで作られており、スカートはプリーツが32本も入っていおり、そのプリーツのラインが微妙に横広がりになり、スカートの形をくっきり末広型にしている。歩くとスカートが軽やかに膨らみしぼむ。柔らかな動きのあるデザインだ。
 とても可愛いデザインだ。きっと制服目当てで入学する子も多いだろう。
「でも、私なんかには似合わないよ。」
 疎まし気に自分の体型を眺める。胸が大きいのも、足が太いのもこの制服では隠せない。148センチで50キロある自分のむちむち体系には不相応に思えた。


 実際の体脂肪率は高いわけじゃ無いのに、どうにも全体的に丸いのだ。むくみやすいモンゴロイドの血が濃いのかも知れない。目がくっきりした二重で丸く愛嬌のある顔をしているので、それなりに可愛らしくはあるのだが、思春期の本人には自分のコンプレックスしか目に入らない。ひたすら鏡の中の自分を覗き込んでは、不安げに体を押さえた。
 ワンサイズ大きいものを頼んだはずなのに、胸のボタンが微妙にキツイ。これもこのままだとからかわれるネタになってしまう気がした。
 「どうしてこんな事になったのか。」
 どうしてこんな事になったのか。それは彼女の転校が急に決まった為、転校先の事情など加味していられなかったのだ。転校手続きの為、実際構内に事前に訪れて入るものの、その日は日曜日で、グラウンドの生徒たちも運動着姿だった。もしかしたら、先生が説明してくれてたかも知れないが、生憎、祖父の事が気がかりだったり、母の機嫌が気がかりだったりと心ここに有らずであった為だ。
 「なみゅ、ご飯にするよ。」
 『なみゅ』は波癒の愛称だ。
 彼女の落胆をよそに、祖父が声をかけて来た。
 数か月前に倒れたとは思えない朗らかな声がする。なみゅは一人暮らしの祖父を以前から心配していた。
 そして思い切って今年から祖父の家で暮らすことにしたのだ。
 「うん、着替えるから待ってて、すぐ行くよ。」
 落ち込んでいても仕方ないと、なみゅは切り替えた。
 (取合えず、今はお正月休みだ、その前に何とか出来るかも。)
 初登校日は一週間後に迫っている。なみゅはその晩徹夜でネットサーフィンをした。
「何か、どれも如何わしく思えるな。」
なみゅはネットで色んな口コミを見ていたが、どれも捉えどころのない情報に思えた。例えば、ダイエット食品の詳細に書かれた成分が、実際に自分に合うか合わないか、全く分からないので、買う気にはなれなかったのだ。
(取合えず足だけ細くしたいのだ、ダイエット商品は当てにならない。)
なみゅは一旦パソコンの画面上から顔を上げ、まだ片付けてない自分の引っ越し荷物の段ボールを漁った。何か手持ちの本の中に、良い資料は無いかと思ったのだ。すると小学校時の配布物のファイルが出てきた。パラパラとめくり小学一年生の時のプリントが目に留まる。テーマは将来の夢。名前順にクラスみんなの夢が描いてある。自分は何と書いただろうか、今は記憶にない。
 見てみると『美魔女になりたい。』と書いてあった。思わず声を出して笑う。
そもそも、美魔女とは中年以降も若々しく美しい女性の事を指す。
 当時の自分は分かっていたのだろうか?
 多分単語のまま、美しい魔女を連想していた様にも思う。
 6歳の自分を微笑ましく思う自分は多少、成長できたのだろうか、そんな疑問を抱えながらも、美魔女という単語は中々魅力的だと今のなみゅにも思えた。
 先天的に受け取った美しさでなく、自分で努力して美しくある人は前向きで好感が持てた。
 なみゅはファイルを床に置き、段ボールの上のパソコンに向き直った。通販サイトのアマゾネスコムに「美魔女」と検索する。予想通り何千件の結果が出て来た。ソープに食品、ダイエット器具。仕方なく検索ワードを追加していく。そうこうしている内に時間は23時44分になっていた。
 なみゅはこんな事してるからニキビが増えてしまうのだと自虐な思いに駆られながらも、あともう少しでいいところに突き当たるのではないかと、ネットサーフィンを止められなかった。
 (いやいや、まだ日付は変わっていない。)
 幾つか検索した中で、「美魔女のオイル」と言うものが目に付く。100ミリリットル三万円。女優Uも御用達の足を細くする美脚用マッサージオイルだ。
 女優Uはモザイクで顔が隠れていて、誰なのかは判別出来なかった。
「こうなったら、犯罪者の連衡風景と変わんないな。」眠気の為か、返答も無い画面に向かって悪態をつくなみゅ。
「三万は流石に高いよぉ。」
 なみゅが画面上に視線を泳がせていると、その他のおすすめの中に、同じものらしき商品を見つける。「お試し価格3セット五千円」と記載がある。お試しと言うと凄く小さいんじゃないかという疑惑に駆られる。しかし、なみゅが確認したところ、3セットの小瓶は一本50ミリリットルとあった。
「あんまり高すぎても手が出せないけど、安すぎて質が悪くても嫌だしな、これでいいかな。」
 なみゅには五千円も結構な出費だが、何もしないまま初登校を迎えるのも嫌だった。
ぽちりと購入ボタンを押す。新しい住所を入れ、支払登録が済むと、なみゅは仰向けで床にのけぞった。
 その時、隣の祖父の部屋から咳が聞こえる。パソコンの時計を見ると時間は既に深夜1時を表示していた。
 祖父に気が付かれたら怒られてしまうと、いそいそと電気を消し布団についた。
 商品が届いたのはそれから、三日後だった。
 なみゅは届いて早速、部屋に大きめのバスタオルを敷き、商品を目の前に座り込んで説明書を読む。
 3セット三種類の中で『太陽のアロマは脱水効果があり、むくみ易い人にお勧めです。』とあったので、なみゅは太陽のアロマを選んだ。
 五滴ほど、手のひらに落とし、左足に付ける。思ったより粘り気は無く、さらりとした付け心地で、柑橘系の爽やかな方向が、なみゅの肺呼吸を深くさせた。
 「私の細い脚。私の細い脚。私の細い脚。」手引きに願い事を口にしながらマッサージすると効果が出やすくなるとあったので、なみゅは素直にそれに従った。
 二時間後 「私の細い脚。私の細い脚。私の細い脚。」マッサージをやり出してから、全く変化は無かった。窓から日が落ちてくのが見える。なみゅのやる気も落ちていった。
 「パチモンを掴まされたのかな?」嫌な疑念が胸に沸く。
 膝上60センチ周りある足は、なみゅ自身の小柄な手にも余りある。
 (そもそも自分の足がこんなに太いのはお父さんの遺伝。私のせいじゃない。)
 なみゅは今は離れて暮らしている父母を思った。
 一人部屋で片付いていない段ボールの輪の中心で、バスタオルを敷いた上にいて、何だかもの悲しくなって来た。ほらやっぱり駄目だったと、無駄だったじゃないかと言う、誰かの聞き慣れた声を頭の中でなみゅは思いだしていた。その声は沈黙する部屋で片付けてない段ボールに反響して木霊するように思えた。
「どうせ私何て、結局変われないんだ。」なみゅは呟いた。
 一筋、涙がマッサージをしていた足の膝にかかる。
 そうすると、どうしたのか。黄色く半透明の光が、オイルを塗った足から現れ、そして次々に涙が独りでに、なみゅの両目からあふれ出した。なみゅの涙が流れるほどに、足がどんどん細くなっていく。 
 足が半分位の太さになったところで、小さな破裂音とともに、光は小さな粒になって、弾けて消えた。後にはただただ清涼なグレープフルーツの香りだけが残る。
 我に返ったなみゅは、急いで裁縫箱を段ボールの中から探し出し、メジャーを取り出した。測ると足は膝上60センチ幅から40センチに変わっていった。
 なみゅは飛び上がって、勝利をつかみ取った喜びに熱狂した。

 「うぉ、寒みいい。」古ノ島このしまに来たゆずるは雄々しく吠える。マフラーをグルグル巻きにし、着込んだ姿で他の参拝客に混じって歩いていた。
 ゆずるがまだコタツに入っていたかった、と思った矢先、坂を上る途中見慣れた制服の女の子を目に留める。「めっちゃ美脚じゃん。」ゆずるは人混みをひょいひょいかわしながら、制服の子に近づいた。そのウェーブのかかった肩の高さまである亜麻色の髪が揺れている。その小柄の愛らしい娘は、自分と同い年であろうか、連れはいない様子であった。
 「よう」
 「わぁ」
 ゆずるのやたらと元気な声に、なみゅは小さな体を飛び上がらせた。
 「それ、金倉かなくら高校の制服だよね?でも、あなたの事は見たことないな、転校生?」
 神社の入り口正面まで来てゆずるはなみゅに声をかけた。
 「ははい、来学期から入学します。海野波癒です。みんなからはなみゅって呼ばれてました。あなたは?」
 「私は金倉高校一年の日野ゆずるだよ。」
 よろしくねっと、人懐っこい笑顔でゆずるは言った。なみゅも小声でよろしくお願いします。と返した。
 「ねぇ、すっごい美脚だね。でもこんな風の強い寒い日に、制服で生足出すのはきつくない?」
 なみゅはゆずるから顔をそらす。心配されてるにも関わらず、なみゅはゆずるがなみゅ自身が生足を出すなんて見てる方がキツイと言われた気がしたのだ。
 「やっぱり、私なんかには似合わないかな?」
 「そんな事言ってないよ、めっちゃ美脚、ただ寒くないって思っただけ。」
 ゆずるはなみゅの返答が思いの他、斜め下からなものだったので、少し焦った。触れてはいけなかったかと思い、話題を変えてみる。
 「ねぇ海野さんはどうして、引っ越して来たの?」
 初対面からぐいぐい話しかけてくるゆずるにたじろぎながらも、なみゅは遠慮がちに答えた。
 「ええと、一人暮らしの祖父が心配で、それに一度海の近くに住んでみたかったんです。」
 「名前も海野さんだしね。」なみゅは名字を呼ばれて声を出して笑った。
 その笑顔にはにかんだ笑顔をゆずるも見せる。
 「家は、お近く何ですか?」自分も何か相手に質問しなければ失礼ではないかと、おずおずと問いを投げかけるなみゅ。失礼にならない程度の質問をしてるつもりだが、いかんせん初対面と言うのは話のタネに悩むものなのだろう。声が上ずってしまう。
 「うん、うちは水族館近くのマンションだよ。」
 ゆずるは1月だと言うのに、日に焼けた肌をしていた。きっと外で動くのが好きなのだろう。明るくて、スポーツが出来そうで、自分とはまるで違うなとなみゅは感じていた。自分はおっとりしていて内向的な方だ。動くのは嫌いじゃないけど、得意とは言えないし、体育会系の人には何だかコンプレックスを感じてしまう。
 「良いな、私知り合い誰もいないし、学校で浮いちゃわ無いかな?」
 「何で?大丈夫だよ。何か丸顔でホワンとしていて可愛いし、美脚だし。」
 自分で自分の不安を煽る癖のあるなみゅ。
 ゆずるは明るくその不安を、宥めようとしてくれた。
 (ああ、本当に良い人なんだな。)
 なみゅは胸の内でゆずるをそのように思った。なみゅはあれこれゆずると会話しながらも、自分もこんな風にスポーティで明るい性格だったらいいのに、と思考は自分の内側に向けられていた。
 古ノ島神社入口にあたる瑞心門の前まで来ると、なみゅは余りの人の多さに、古ノ島山頂まで行くのは断念し、ゆずると別れた。古ノ島神社の境内に続く階段手前の賽銭箱の前で祈願することにした。
 「美脚になったは良いが、めちゃくちゃ寒い。」なみゅは家の最寄り駅に帰り、スーパーで買い物を済ませると、家路に着いた。
 疲れたが、ゆずるに会えて中々良い日だった。なみゅがミニスカートを履いたのは、幼稚園の頃好きな男の子だった、たっ君に、自分の太い足のスカート姿を「お前のスカート姿気持ち悪い。」と言われて以来だった。
 履きなれてないミニスカートは風通しが良すぎて、中身が見えてるんじゃないかと、ひやひやして中々落ち着かなかった。
 でも、張り切って新しい制服に袖を通し、古ノ島まで行ってみると、自分を可愛いと言ってくれる人に会えて、新しい学校の話も出来た。 
 「ここで変わろう。」なみゅはそう決意した。

 初登校の朝、なみゅが目覚めたのは朝7時だった。登校一半時間前だ。
 徹夜でお気に入りのドラマの一気見を楽しんでいたなみゅの脳はまだ睡眠を求めている。
 また昨日の寒さのせいで布団から出る気がしないのであった。
 瞼が開き切らないままのなみゅは、覚束ない動きのままパジャマでテレビを見ながらだらだら朝食を取り、覚束ない動きのまま顔を洗い、覚束ない動きのまま制服のスカートのチャックを締め、覚束ない動きのまま靴下をはこうとした。その時、なみゅは気が付いた。なみゅのほとんど閉じられていた瞼は完全に見開いた。
 思わず、自分の足をさすりながら、現状を確認しようとするなみゅ。
 しかし、どんなに見つめても、どんなに触っても、自分の身に起こったことは現実だと受け止めるしかなかった。
 「足が太い。」しかも、魔女のオイル使う以前より二回りほど太くなっていた。なみゅは丸顔だがこの足の太さはどう見ても全身とのバランスが悪い。これを見た他人はきっと何かの病気だと思うだろう。
 (どうしよう、取り合えず、ジャージを履いていくか?)
 今日は晴天。昨日の寒さは嘘のように晴れ渡り、気温は10度を下回った。 初日から遅刻は出来ない。取り合えず隠すしかないと思い、ジャージを棚から引っぱりだした。。
 しかし、非常識に太くなった足では、ジャージが履けなかった。
 (どうしよう、初日から登校拒否とか、今後の学校生活にヒビが入るかも。)
 呆然とするなみゅ。時刻は8時を既に過ぎ、登校時間までは後一時間となる。   魔法の副作用を痛感しながらも、なみゅは残された手段を使うしかなかった。
 なみゅは段ボールが占領する自分の部屋の中央の床で、バスタオルを敷く余裕も無く、床に直接しゃがみ込んで自分の足に魔女のオイルを塗った。
「早く、細くして。早く細くして。早く細くして。」
 なみゅの思いに答えたのか、今回はマッサージをして30分もかからない内に、なみゅの足に塗られたオイルが、黄色く光り、眩く散った。直後、また明瞭な柑橘系の香りが部屋に散らばる。今回はグレープフルーツの香りだけでなく、ぽんかんか伊予柑の様な甘い香りも混じっていた気がした。自分の願いが通じたものの、非常識な光景を見ると脳が停止してしまい、願いが届いたのにも関わらず、不安は募るばかりだ。
(いやいや、願いが叶ったんだから、早く学校に行かないと!)
 なみゅは瞬時に髪をとかし、シュシュで浸り方で緩く結び、学生鞄を手に取り、行ってきますと叫びながら家のドアを開いた。
 が、外は凍えるように寒くなっており、更にはらはらと雪が降り始めて来た。
目を丸くして驚くなみゅ。マイナス零度の寒さだろうに、なみゅはおでこに汗をじっとりかいていた。
 なみゅは悟った。これは多分魔法の副作用なのだと。
 (私が太陽のアロマを使うと、太陽の力が弱まって寒くなるんだ。)
 余りの寒さこれでスカートでは凍えて歩けない。仕方なくなみゅは折角細くなった美脚にジャージで覆い隠し、急いで登校したのであった。
 なみゅの短い背丈では歩いてもそう変わりは無いかも知れないが、取り合えずなみゅは駆け出した。と、すると驚いたことに、足が普段より軽く感じられた。
 自転車のタイヤの様に面白い様に足が前へ前へと出る。
 すると本当に自転車を追い越し、なみゅの足は独りで疾走し始めた。どうやら「早く、細くして」の『早く』の部分も叶ってしまったらしい。運動が得意ではないなみゅの動悸が急激に上がる。
 息が苦しいのと同時に、雪が次第に勢いを増して降って来るのが見えた。自分のせいだという重荷が、なみゅの胸の内でかさを増してくようであった。
 やっとの思いで学校に着くと、なみゅはへとへとになって下駄箱でへたり込んだ。
 校内は静まり帰っていた。今頃全校生徒と教師は体育館に集まって新学期の朝礼をしている事だろう。なみゅが自分も急いで、体育館に移動しようとしたその時、布が引きちぎれる音がした。
 なみゅが視線を落とすと、まるたん棒くらいの太さになった自分の足があった。さっきまで急激に上昇していた血流が一気に下がり、自分でも顔が青ざめるのが分かった。
 なみゅは泣きながら、取り合えず靴を履き替え、近くの1階階段下の裏っかわに隠れた。誰にも見つからないように声を殺して泣く。
 まだ一度も体育の授業で使っていないズボンは横の縫い目のところが避けていた。
 どうして、こんな事になったのか、安易なモノに手を出した自分が悪いのか。なみゅは自問自答した。しかし、このような事も出に問題が発展するとは誰も思わないはずだ。もっと商品を吟味すれば良かったんだろうか。後悔の念が止まらないなみゅはただただ声を殺す事しか出来なかった。
 不幸中の幸いと言うか、今はきっと新学期始まって最初の全校朝礼の時間だ。生徒は体育館に集まり、校内にいないハズ。取り敢えずは誰にも見つからないハズだと、なみゅは自分を宥めた。
「あ、見つけた。」
 なみゅが顔を上げるとそこには昨日出会ったゆずるがいた。
 ゆずるはなみゅをみつけて微笑んでいるものの、なみゅの脚の異変に気が付くと目を白黒させていた。
 なみゅは自分の上半身で隠し切れない脚を隠そうとする。
「どうしたのその足、私で良かったら話聞くけど。」
なみゅは誤魔化す術もないので一部始終をゆずるに伝えた。
「なるほどね。」
「信じてくれるの?」
「まあ、始めて会った時と今を比べるとね。疑ったり出来ないよ。」
 なみゅは何だかゆずるの言葉に心が解ける思いだった。
「昔から体系の事でみんなからかわれる事が多かったんだ。ダイエットしようとしても、何かストレス溜まって余計、太っちゃうんだ。愚鈍な癖に楽して痩せようとしたから、バチが当たったのかな?私、新しい、学校でやり直したかったな。」
 自分自身の事をゆずるに聞いてもらってる間に次第になみゅは冷静さを取り戻していった。
「でも、顔を見ても、なみゅちゃん別にデブじゃないよね。言ってもぽっちゃり位って言うか。確かに丸顔だけど、二重顎じゃないし、寧ろ可愛がられるタイプでしょ?」ゆずるはゆずるなりに必死に励ました。そして素直な意見だった。
 「そうかな、からかわれる事が多いよ。」隙を見ては落ち込む癖がついているなみゅ。そんな態度にゆずるはだんだん腹立たしくなってくる。
 「だけど、そういう風にされてさ、「嫌」って言えないからダメなんじゃないの?気にしなきゃ相手だって言ってこないのに、気にしすぎる自分が一番悪いんだよ。」
 なみゅはその言葉に面食らった。ゆずるの言った事が真実だったから。
 ゆずるはゆずるで自分の言葉に「しまった。」と思っていた。普段から重箱の隅を刺す様な口調を叱られていたからだ。
 なみゅは自分でも本当はわかっていた。変えたいのは体型じゃなくて、自分自身の存在の有り方だと。人に言われたことを気にしすぎる割に、「嫌」の一言が何時も言えないのだ。だからって、人から離れる事も出来ない。
 そして男の子にからかわれる時も、母に父に似て愚鈍で自己管理が足りないと言われる時も、ただ何も言わず耐えるしか出来ない。言い返したとしても、ムキになってしまい、それをからかわれるのがまた非常に恥ずかしかったのだ。
 「何にも知らない癖に、どうしてあんた何かに、そんな事言われなきゃ行けないのよ!」
 なみゅはお産中の妊婦みたいな声で叫んだ、それは校舎の1階中に木霊した。
 傍らで大泣きするなみゅに、啞然とするゆずるは、口を魚の様に開閉させた。
 朝礼が終わったのだろうかチャイム音が聞えた。それと同時に、なみゅの敗れたジャージの隙間からオレンジ色の温かい光がこぼれ、柚子の香りが立ち上る。次にはなみゅの脚は、元の細さに戻っていた。

「足が戻った。」なみゅは突然の事に泣き止んだ。
 はっとして、隣を見ると、今度はゆずるが膝を抱えながら、さざめく様に「どうして私ばっかり」と、泣いていた。
 「嫌、だって私がからかわれ易いとしても、それはからかう方も如何かと思うし、それを嫌って言えない私が悪いって言う、あなたも如何かと思うし、うん、でもごめん私も言い方が悪かったよ。」
 まだまだ躊躇ない指摘をされた事に、なみゅは憤慨していたが、ゆずるの気持ちを鑑みて謝った。
(思えば、日野さんはきっと私の事を探してくれていたのだ。多少口がきつかったとして、その美点を見逃していいのだろうか。)なみゅは泣き疲れた事と、怒鳴って叫んだ事で、感情が流れるだけ流れて、頭がまた落ち着きを取り戻していた。
「あなた達そこで、何してるの?」
 あれだけ、大きな声で騒いだのだ、誰にも気が付かれない方が可笑しいだろう。二人の目の前に現れたのは、白衣姿の女性の先生だった。細長い指で眼鏡を押し上げる姿が理知的だ。
 二人はこの白衣の先生に顔を洗うように促されてから、保健室に連行された。なみゅのジャージのズボンが引き裂かれていたので、白衣の先生はどうしたのかたずねた。なみゅは咄嗟に転んだと嘘をついた。
「怪我は無いみたいね。でも、酷い筋肉痛だわ。よっぽど走り込んだのね。」
 ベットの上、足を投げ出す形になったなみゅに白衣の先生はシップをくれた。
「足を細くしたくて。」なみゅは疲弊しながら、不慣れな手つきで自分の足にシップを貼っていった。保健室に来るまでさえ山登りの様だった。
 白衣の先生はなみゅが唇を噛みしめているのを目に留めながら、間々あって、「きっと、あなたは良く人の言葉に耳を傾けられる人なんだね。」と言いながら、また眼鏡指で押し上げた。なみゅがシップのシートを剥がしにくそうにしてるのを見守りながら、ベットの横で踵を上下させ二回鳴らすと、白衣のポケットに手を突っ込みながら話し出す。
「自分で行動して変わろうとしてるあなたは強い。自分で何にもしないまま、他人を批判するのは誰にでも出来る。でも自分が自分を批判してたら結果が出辛くなると思わない?自分自身が「こうあるべき」って言う考えに囚われて身動きが取れなくなるでしょ。」
 なみゅはシップを貼る手を止め、白衣の先生に視線を向けた。その背後に後光が射していた。実際は太陽の光が窓から反射していただなのだが、なみゅは光輝く白衣の先生の背後に目を向けると、その背後にあるオレンジの物体に気が付いた。
「先生あれは何ですか?」
「ああ、あれはオレンジポマンダーだよ。西洋のクリスマスの飾りなんだ。」なみゅが指さした方へ振り向きながら先生は答えた。飾りっぱなしだったと、自分のずぼらさを笑い飛ばす。
「まあるい柑橘系の果物は太陽の象徴とされてるんだよ。日本でも冬至には柚子湯に入るでしょ?太陽が出ている時間が短くなるからね。こうやって植物から太陽のエネルギーを貰うんだ。好きな柑橘系って一つや二つあるでしょ?」
 白衣の先生はなみゅとゆずるに首を傾けて尋ねた。
「私はグレープフルーツです。昔良く母が朝食で切ってくれたので。」なみゅはベットを下りながらそう返答すると、泣いた後ずっと黙り込んでいたゆずるに横に立った。
「日野さんは何の柑橘系が好き?」なみゅは震える手を隠しながら、ゆずるに近づいて話しかけた。
「柚。自分大好きみたいで、恥ずかしいけど。」鼻をすすりながらゆずるが赤い目で答えてくれた。
「私も柚は好きだよ。」別に大した会話じゃないのに、なみゅはまた泣きたくなった。
「失礼します。」会話中保健室に入って来たのは、担任の田中先生だった。
 なみゅとゆずるは遅刻した事を担任の山田先生に怒られた。しかし、それ以上の詮索は無く、病気や怪我が無い事を確認されると、そのままなみゅとゆずるを連れて教室に向かった。
 田中先生は何処か間の抜けた喋り方をする。四十代手前の、黒ぶち眼鏡をかけた細身の男性で、風も吹いてないのに、よく左右に体を揺らしている。教室に向かいがてら、なみゅとゆずるが後を追う背中も、さり気無く左右に揺らめいていていた。
 なみゃは最初面談の際、この先生に違和感しか感じなかった。その時は不安を感じたが、今はその揺らめく動きさえ、なみゅを不思議と安堵させる。
 揺れながら歩いてく田中先生に付いて行きながら、なみゅは何だかふわふわした気持ちになって来た。気が付くと教室の前まで来ていた。
 田中先生が特に表情のない顔で振り返り、なみゅとゆずるを一瞥知る。
「海野さん、今日からここが、あなたの教室ですよ。」田中先生は抑揚の無い声でそう告げただけで、さっさとドアを開いた。
少し、出遅れたが、なみゅの新しい学生生活が始まる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?