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空白


 この空白は、埋めないほうがいい。手を触れずに、そのままの状態でそっと箱に詰めてしまっておくか、あまり大事に長いこととっておいても仕方ないのだから、すぐに捨ててしまうかだ。一番良いのは、見て見ぬふりをすること。あなたの目の前にある空白を、力ずくで奪おうとする人間がいるのなら、いっそのことそいつの手にゆだねてしまったほうが、まだしも賢明なのかもしれない。盗人は奪い、そして駆け出すだろう。もう、どこを探しても見あたらない。痕跡ひとつ残さない。逃げ去る後ろ姿を眺めながら、あなたは妙な安心感に包まれる。
 それとも、はじめから空白など存在しなかったのだろうか。柔軟な視点を取り入れる努力さえ怠らなければ、空白だと思っていたものが、実は目に見えない微粒子の密集体にすぎなかったということに気がつくチャンスだってありうるのだ。それならわざわざ埋めてやる必要もない。始めからそれは、もう満たされているのだから。
 さらに言えば、空白の取り扱いが厄介な理由は、空白自体が内部なのか外部なのか、あるまとまりを持った何かなのか、それとも輪郭を持たない拡がりなのかがあやふやな点にある。空白と、空白でないとされる部分との接点や境界線はどこにあるのか。われわれが、あたかも自明な事柄のように分節してみせるそのふたつの部分は、本来は、あるひと続きの「充実」が描く、濃淡の差異の表象にすぎないのではないか。わたしには、空白を見て、それが空白であると断定する自信はない。
 空白は、それを埋めようとすればするほど空白味を帯びていく。砂の山を崩して、平らにまんべんなく延ばしていくみたいに。任意の色で、濃淡のないほどまんべんなく塗りつぶされた平面は、空白と何がちがうのだろうか。それはもはや、もうひとつの空白といって差し支えないのではなかろうか。
 空白はあらゆるもので満たされていて、あらゆるもので充実した世界はすなわち空白である。あなたは空白だし、わたしは空白だ。空白とは、「空白は空白である」という言葉で埋め尽くされた「空」あるいは「白」である。空白は埋め尽くされた。空白は浄化された。空白は殺戮された。空白は空白で満たされている。ここには空白しかない。すべてはまっさらであると同時に、すでに書き終えられている。


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