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最初の不思議で悲しい記憶

幼い頃…
わたしの両親はよく喧嘩をしていた。

2DKの小さなアパートで
両親はキッチンで喧嘩をしていた。

激しく言い合う声…
何かが割れる音…
たぶん母が叩かれたであろう音…

わたしは弟と抱き合い
時には布団に潜り込んで
泣きながら早く日常に戻るよう
祈り続けるしかなった…


その頃はまだ不倫や離婚が珍しく
TVドラマでは
大変にショッキングなこととして
描かれていた。


関心がなくとも
母がTVをつけていれば
自然と目に入ってしまう。
平日の昼間なら
メロドラマが主流だ。


未就学児であっても
話の筋はおおかたわかる。
幼いから理解できないのではなく
うまく表現できないだけだったりする。


おもちゃで遊びながら
ドラマを観ているうちに
「うちはいつリコンするのだろう」と
考えるようになった。


寝つきの悪かったわたしに
母は毎夜、物語を読んでくれた。
読む数は決まっていて
終わったら電気を消して就寝。

それでも眠れない時は
背中をトントンと
優しく叩きながら
子守唄を歌ってくれた。


♪ねんねんころりよ
 おころりよ
 坊やはよい子だ
 ねんねしな…


母に抱かれて
安心していたわたしに
異変が起きたのは
幼稚園の頃だっただろうか…


ある時から
母の歌う子守唄で
眠れなくなっていったのだ。


あんなに大好きで
安心して眠れていたのに
いつからか
母が子守唄を歌うと
恐ろしくてたまらなくなっていった。

♪ねんねんころりよ
 おころりよ
 坊やはよい子だ
 ねんねしな…

母は坊やの部分を
わたしの名前に変えて
歌ってくれた。

この歌には続きがある。

♪坊やのお守りは
 どこへ行った
 あの山こえて
 里へ行った…


だが、わたしの記憶では
母はこう歌っていた。


♪坊やのお里は
 どこにある
 あの山こえて
 里にある…


坊やの部分を
わたしの名前に変えて
こう歌っていた。


その歌声を聴くたびに
わたしは暗闇に放り出されたような
気分になった。


いや、頭の中には
暗闇の中で途方に暮れているわたしと
まるでマンガの幽霊みたいに
スーッと遠くへ離れていく
母の姿が浮かんでいた。


そのイメージは
日に日に鮮明になり
母だけが家族の元を
離れてゆくのだという思いも
どんどん強くなっていった。


そんなことはない!
絶対にそんなこと、母はしない!


何度も自分に言い聞かせるものの


それから2年ほど経ち
わたしのイメージは
現実となってしまったのっだった…



ある日、母はわたしと弟の手を引いて
夜行列車に飛び乗った。
詳しいことは聞かなかったが
母の何かを決意したような表情を見て


「ついにリコンだ…!」

わたしは内心ホッとしていた。
ほぅら、母はちゃんと連れていってくれる。
これからもずっと一緒なのだ…


それから離婚調停が始まった。


母の実家で暮らしていたが
やがて母は入院してしまう。


それまでも入退院を繰り返していたが
今度の入院は長引きそうだった。
母が不在でも調停は続き…


わたしと弟の親権は
父が持つことが決定した。


こうして
わたしのイメージ通り
母と離れて暮らすことになったのだった。


幼少期の苦い思い出である。

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