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アイスランドのミステリー映画「湿地」遺伝病という運命

アイスランドという国をご存じですか?
北大西洋の北部にある、人口約27万人、国土は北海道と四国を足したくらいの小さな島国で、世界有数の火山島だそうです。
公用語はアイスランド語。
国民の90%がルター派のキリスト教信者。
男性・女性ともに平均寿命が80歳を超える長寿国。
アイスランド人のご先祖は、9世紀ごろに移住してきたスカンジナビア人とケルト人のバイキングと言われています。
以降ほとんど人種的混血がなく、婚姻関係と家系が明確な人が多いらしい。
そんな背景から、国民レベルでのヒトゲノム解析が進み、遺伝子工学研究の最先端を行く国としても知られています。

シンプルな人種的背景を持つお国柄だからか?
名前がファーストネームのみ。
正しくは、姓は父親のファーストネーム+男性がソン、+女性がドッティルを用いるそうです…
世界的に有名なアイスランドの歌姫、「ビョーク」のように、ファーストネームだけでその人を識別する社会だそうな。

そんなアイスランドだからこそ成立したミステリー「湿地」

2006年公開のアイスランド映画「湿地」は、ある老人の他殺事件から始まります。
アイスランドでは年間1件くらいしか殺人事件が起こらないそう。
そんなアイスランドで、いかにも突発的に、後頭部を殴られての死体。
「ずさんで不器用、典型的なアイスランドの殺人」。
50代の熟練刑事が、遺体の背景を探っていきます。

映画の語り口は静かで、淡々としつつも謎解きの面白さに満ちており、俳優陣の演技も凄く上手。アイスランドの荒涼とした背景も、美しく映画的な迫力に満ちています。大人のミステリー映画として非常におススメです。

それだけではなく、この殺人事件の動機が、スピリチュアル的にも凄く興味深いものでした。
人間の運命とは、誰が、何のために決めているのか?

以下、盛大にネタばれしますので、知りたくない方はブラウザバック下さいませ。

父親の保有する遺伝子から、女性だけに発症する、死に至る病。

このずさんな殺人の動機は、父親から遺伝した、死に至る病を恨んでの息子の犯行でした。
しかし、戸籍上は、この父子は赤の他人でした。

犯人の男は、犯行の前、幼い一人娘を脳の病気で亡くしています。
この病は、もしかして遺伝性ではないか?と疑った男は、両親に遺伝子検査をしてくれと懇願しますが、なぜか両親は、応じてくれません。
…船乗りだった父、留守を守っていたはずの母。
母は、街の札付きの不良だった男と、浮気した過去がありました。

犯人の男は、自分が、母の浮気相手との子供だったと突き止めます。
そしてその男が、死に至る脳の遺伝病を持っていたことが判明します。
男性を通して遺伝しますが、発症するのは娘。
犯人の男は発症せず、父からY遺伝子だけ受け継ぎ、自身の娘にその病を遺伝させていたのでした。

国民のゲノム解析が進んでいるアイスランドならではの、怒涛の展開でした。(父が病の保有者で、娘のみ発症するって、どういう遺伝子の働きになるんだろう?とちょっと疑問ではありましたが…)

生まれつきの病について、スピリチュアル的には…

スピリチュアルリーディングでは、身体の痛みや不調は、心の弱い所や間違った考え方を伝える、神様からのお知らせと解釈します。
しかし、生まれつきの病については、運命と考えます。
人種、性別、家系、母国語などと同じように、自分では選べないもの、後天的に変えることが出来ないものは、運命=天命なのですね。
(…という意味では、性別・ジェンダーも、スピリチュアルリーディングでは変更できない運命と考えています。この話は複雑なので、また別の機会にします。)

最愛の娘を奪っていった憎い病魔が、自分の遺伝子を通して、受け継がれているものだった。そうとは知らず、子どもをもうけた自分…
その運命を抱えきれなくなった男は、自分の実父を突き止め、殺害せずにはいられませんでした。

この事件(というか創作)をスピリチュアルリーディングで解釈すると、「たとえ絶望的な運命であれ、人間は、ただそれを受け入れるもの」。
被害者だと思っていた自分が、加害者だったという運命。
知っていれば、子どもを作らなかったのに…
でも作ってしまった…そして苦しんで死んでいった娘。
この運命を、神は、受け入れろというのですか?
非常に切ないですが、人間に出来ることは、己の運命を受け入れるしかないんですよね…

個人の都合や思い、ドラマなどは、全て、大きな運命の波に攫われたら、儚い海の藻屑と消える。
このやりきれなさ、運命の陰鬱な側面を、自然災害の多い過酷な火山島に生きるアイスランド人だからこそ、描けたのでは無いでしょうか?

日本人も、自然災害の前に、色んなことを諦め、受け入れてきた民族です。
婚姻関係や家系がはっきり辿れるような狭い社会で、父系社会を築いてきたのは、日本人にも通じますよね。
大っぴらには言えないけれども、「どこの馬の骨とも知れない」という蔑称が、罷り通って来たクローズドな社会…

そんなの、今の時代に受け入れられない。前時代的。
私もそう思っていました。
男系社会?万世一系?いつの時代の話?…と、思っていました。

しかし、運命は冷酷。
そんな「個人」の都合は、自然の摂理という大原則の前には消し飛びます。
昔の人は、過酷な大自然を何とか生き残っていく為に、色んな社会通念を作り出し、受け継いでいったのでしょう。

神様が人間に望むのは…

映画では、この陰惨な殺人、そして遺伝病による幼い娘たちの死を辿っていく刑事と、その一人娘の対話を、並行的に描きます。
離婚し、男手ひとつで育ててきた娘は、愛情が足りなかったのか、麻薬をやったり誰とも知れぬ男に妊娠させられたり、たまに会う父親には、中絶費用をせびって来ます。

どっちもどっちな親子ですが、最終的に、娘は父と同居し、シングルマザーになる道を選びます。

自然界は厳しいし、いくら社会通念があっても、その通りには生きられない、私たちはしょせん愚かな人間です。
色々しくじった父娘ですが、寄り添い、次世代を育てるために生きて行く。
淡々とした映画のラストは、それで十分じゃないか?という気持ちにさせてくれます。

神様が人間に臨む事は、実は、とてもささやかな事なんじゃないか?
遠い遠いアイスランドのミステリー映画で、そんな事を改めて感じました。




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