【ライズ・アンド・フォール、レイジ・アンド・グレイス】 #6

◇1  ◇2  ◇3  ◇4  ◇5  ◇6  ◇エピローグ

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少女はゆっくりと瞼を開けた。意識が不明瞭なまま、寝惚けているように上体を起こし、空色の眼で辺りを見渡した。

ドクロめいた月が浮かぶ夜の空。空から降り注ぐ光。至る所から火の手が上がっている。地面に広がるコールタールめいた液体。ケオスの坩堝。動画の一部を切り取ったような静止画の世界。古事記に記されたマッポーの如き様相。整然とした街路を逃げ惑う人々。その顔や輪郭は不明瞭で、抽象的だった。

人々だけでなく、このヘル・オン・アースの風景に映る全てが曖昧で……その中で、唯一ハッキリと姿が映っている者がある。虚空に浮かび、サブマシンガンを群衆に向けて撃つ、濁った空色の瞳の少女。裾を毟り取ったドレス、履き潰したスニーカー……。


アズールは自分の心臓の鼓動が早まるのを嫌というほど感じた。呼吸が荒くなる。ここがどこかはわかる。問題は、なぜ、今ここにいるのかということ……彼女は無意識のうちにグリップを握った手が宙を空振ったことに気づいた。ホルスターに手を伸ばす。何の手触りもない。腰に視線を向ける。やはり、無い。

背筋が凍りついた。一気に意識が覚醒し、電撃的速度で立ち上がる。周囲を見ても己の得物は……49マグナム・サンシーカーは見当たらない。そして……途方もない喪失感を抱いた。空色の瞳に、神秘的な光は宿らない。不可視の獣の存在を、全く感じられない。クナイ・ダートの生成もできなかった。愕然とし、立ち尽くす。

……「ユウセ・リイヨナは哀れなモータルだった

陰鬱な声が響き、反射的にアズールは声の方を振り返り銃を向けた……何も握られていない手、引き金にかける指は虚空を引っ掻くだけだった。

逃げ惑う不明瞭の人々の影の一人から、声の主がのっそりと進み出てきた。線の細い若い男だった。その者は哀しみと怒りに瞳を染め、アズールを見る。

「孤独をサイバースペースに逃避させ続け、IRC中毒患者として自我科に放り込まれ……大した治療もなく、マニュアル通りの医者のお墨付きでキョートに観光しにいった。自我科の医者なんてみんなそんなものだ。行き先がオキナワか、そうでないか、それだけさ……美しい街並みと伝統で心を癒すために……ユウセ・リイヨナは、キョートへ旅立った。そうしてあのジゴクに巻き込まれた。必死に逃げた。降り注ぐ光から……黒い汚泥から……ニンジャから……お前から」

男の姿が01ノイズを伴って朧げな陽炎となる。彼は虚空に浮かぶサブマシンガン少女の方へと首を巡らせ、それからアズールを見据えた。

「彼は……助けてください、といった。死にたくないと言った。目が合った。だがお前は…….泣き叫びながら……怒りながら……銃弾を浴びせた。彼は絶望と憎悪を抱えて死の闇に沈んだ」

アズールは彼から視線を逸らさず、空色の瞳で見つめる。

「闇の底に堕ちた彼を、ニンジャソウルが拾い上げた。そうして、彼は……俺は、ニンジャになった。天啓だと思った。コロス・ニンジャクランの素晴らしい力は、正に俺の絶望を、憎悪を……復讐を果たすに相応しい力だった。全能感に満ち満ちた俺はケオスの坩堝を生き延びた。そうして、お前の行方を追った……」

男の体が更に曖昧になったかと思うと、そのシルエットに変化が生じた。黒色と灰色のツートンカラーのニンジャ装束が生成され、薄暗い顔の鼻から下はクロームメンポに覆われた。それから酷いノイズが走り、肉体の欠損部を01ノイズで構築された男が……リゼントメントが、そこに立っていた。もはや肉体のほとんどが01ノイズに覆われた不明瞭な中で、胸元のエメツ結晶石とそこから全身に広がる闇の葉脈は確かな存在を示している。

「だが俺は元々ただの一般人だ。ニンジャの行方を追うノウハウはなかったし、裏のツテなどもなかった。手探りで裏社会にのめり込もうとして、ケビーシやらボンズやらにブチのめされた。屈辱的だったさ。ジツを使えば確実に勝てるが……このジツはお前を殺す、その時のためにとっておきたかった……」

「これはあなたのジツ?」アズールは周囲に視線をやりながら……厳しい無表情で声をかけた。彼は頷き、彼女に向かって歩き出した。

「然り。キリングフィールド・ジツ。ここではあのバカらしいリボルバーも、忌々しい不可視のイヌッコロもいない。クク、ハハ、ハハハ……痛いな、痛い。痛覚切除を持ち込めなかったみたいだ」

キリングフィールド・ジツ。恐るべきコロスニンジャ・クランの絶対的カラテ空間たるサップーケイに相手を引き摺り込む危険なジツだ。

しかし……今ここに展開されたるそれはエメツ・エクステンデッド・ブーストによって歪に変質し、オヒガン的な超常の力に寄っており……本来のジツとは乖離している。無論、アズールにそれを知る由はなく、当のリゼントメント自身もその性質を完全に理解はしていない。

二人の足元に広がるコールタールめいた汚泥に01ノイズが浮かんでは消えていく。黒い汚泥は……過去のビジョンに映されたアンコクトンはエメツに共鳴するかのように胎動した。

幽鬼じみた影は一歩ずつ、惜しむように足を踏み出す。「……ウフフ……結局俺はお前を見つけられなかった。そもそも、あのジゴクをお前が生き延びている確証もなかったからな。失意と諦念に折れ、俺はネオサイタマに帰った……住んでたアパートは不在の間に取り壊されてデパートメントの駐車場になっていたよ。たかが1、2年家を空けただけで……笑えるぜ……俺はもう、何もわからなくなっていた。仇敵も見つからず、生きる意味もわからず……だが俺に溶けていった内なるソウルは自死を許さなかった。ジゴクの日々があった」

ワン・インチ距離に踏み込む。後退りそうになるのアズールは堪えた。

「もう二度、再会は叶わぬと……そう諦め、慎ましく生きてきた。磁気嵐が晴れてからは、新たな人生を始めようとも考えた……フフ、エメツとの出会いは神秘的であった。思えばあのとき、あの結晶に導かれたあの瞬間は啓示だったのかもしれん」

その声音が段々と危険な恍惚さに装飾されていく。01成形された腕にエメツ葉脈が凝縮され、不穏にカラテを漲らせる……。

「そして……遂に……遂に!ブッダがお前を連れてきたのだ、この混沌の地に!俺は、俺は……何度この光景を幻視したか!メディテーションで、己のニューロンで!俺はありとあらゆる暴虐を振い、お前を殺してきたのだ!そして今……お前を痛めつけ!徹底的に甚振り、殺す……!イヤーッ!」エメツ腕が右フックを繰り出す。

「ンッ……!」アズールは腕を使ってガードするが、衝撃を殺しきれずよろめいた。「イヤーッ!」「ン、アッ……!」左フック。ガードが間に合わず、横っ面を殴られた。リゼントメントはふらつく彼女の胸ぐらを掴み上げ、引き寄せた。

「ハハ、ハハハ!簡単に爆発四散してくれるなよ……俺が!満足するまで!」「……イヤーッ!」「グワーッ!?」たたらを踏んだのはリゼントメントだ。手の力が弱まり、少女は拘束を脱する。頭突きをかました彼女の額に血が滲む。「おま、え……!!」目を見開き、アズールを睨みつける。空色の瞳が決断的に睨み返す。

「イヤーッ!」アズールは右腕を胸の前で曲げ、足を踏み込んでの肘打ちを繰り出した。「グワーッ!」胴に直撃。そのまま彼女は左の手のひらを右拳に合わせ……「イヤーッ!」更に強引に肘打ちを押し出す!「グワーッ!」曲げた右腕を90度に起こし、「イヤーッ!」手の甲を顔面に叩きつける!「グワーッ!!」三連撃!ワザマエ!

アズールは特殊なニンジャソウル憑依者だ。宿りしはイヌガミ・ニンジャ……ニンジャ・アニマルのソウル。異種族間の憑依は通常起こり得ないことだが、アズールを依代にしてイヌガミ・ニンジャが顕現するという特異な形をとって、彼女はニンジャとなった。その特殊性ゆえか、ソウル憑依による身体能力向上の恩恵をアズールは殆ど受けていない。ニンジャとしての腕力等は通常のニンジャに劣っている。

だが彼女はこの世界を生き抜くため、適応能力を、第六感を、カラテを研鑽してきた。49マグナム・サンシーカーを得るまではその身一つで……得た後も、その得物の反動・衝撃の負荷を耐えるため、また使いなすため……カラテは常に彼女と共にあった。

思考を巡らせ、記憶を辿り、これまでにその目で見てきたニンジャのイクサを想起する。無力さとやり場のない怒りに打ちひしがれ、暗闇に居た頃の記憶からも無理やりに引き摺り出していく。皮肉にも、リゼントメントのジツによって作り出された強烈な過去のビジョンが、記憶の引き出しをこじ開けるのを後押ししてくれている。

マグロアンドドラゴン社屋。オブシディアン装束のニンジャ。赤黒装束のニンジャ。アズールを縛りつけたあの男のジツに捻り潰されていった、名もわからぬザイバツの有象無象でもいい。
或いはセンジン。私立探偵。ホーリイブラッド。何でもいい。誰でもいい。その構えを、攻撃を、回避を意識する。理解する。

得物が無かろうが、不可視の獣の力を借りれなかろうが。今更それがなんだというのか。今やれることをする。敵を倒す。そして無くしたものを取り返す。それだけだ。

「グ、グワッ……オノレ……」

リゼントメントは蹌踉めきながら後退し、カラテを構え直し……「イヤーッ!」全速スプリント、チョップ突きを繰り出す。アズールは上体を逸らし回避。逸らした体をそのまま伸ばし、両手を地面へ。ブリッジ体勢……瞬時に逆立ち蹴り。「イヤーッ!」「グワーッ!!」リゼントメントは胸部を打ち上げられる。

「イヤーッ!」狂気の亡霊はその衝撃と反動を使い、弾かれたように後方へ。少女は逆立ち状態から体をしならせ、クラウチングスタートめいた体勢に移行。空色の瞳に敵意を宿し、駆け出す。地面を蹴って跳躍。「イヤーッ!」空中で体を半回転させ、ケリ・キック。「イヤーッ!」リゼントメントはその脚に手を沿わせて抱え込み、衝撃を流しながら彼女を乱暴に投げ飛ばす。

「ンアーッ……!」不明瞭な群衆に向けて放り投げられたが、彼らは実体を持たず干渉はない。アズールの華奢な体が奇妙に人々をすり抜け、地面を転がった。咳き込みながら立ち上がろうとし……直後、彼女のニューロンに不明瞭な怨嗟の声が重苦しくのしかかった。体を起こしきれず、四つん這いのような状態……そこにリゼントメントが襲いくる。「イヤーッ!」「ンアァァ……ッ!」横腹にサッカーボールキックを浴びせられ、血反吐を吐きながら地面を転がるアズール。

「イヤーッ!」追撃のストンピングが迫る……「イヤーッ!」アズールは仰向けになりながら、両の手でリゼントメントの脚に挟み込むようなチョップを浴びせた!「グワーッ!」「イヤーッ!」そして地面に横たえたまま、ワニのローリングめいてその場で体を捻らせ、リゼントメントを無理やり投げ飛ばす!「グワーッ!」

吐血混じりに荒い息を吐きながら立ち上がり、アズールは口から垂れる血を拳で拭った。カラテの応酬……一つの一つのワザの威力に劣るアズールは手数を多く仕掛けるか、敵の攻撃をそのまま転用し対処せねばならない。イクサが長引けば長引くほど、ニンジャ身体能力の差という覆せぬ絶対的なアドバンテージに苦しめられ、ジリー・プアー(徐々に不利)になることは間違い無かった。

リゼントメントがゆったりと起き上がる。彼は血の代わりに01ノイズのエフェクトを吐き出した。少女は決断的に跳躍!「イヤーッ!」空中で回転、回転、回転……カラテを乗せ回転。「イヤーッ!」踵落としを喰らわせる!「グワーッ!」鎖骨を破り砕かれ、リゼントメントの体がぐらりと沈み込む。01ノイズが迸る。アズールは叩きつけた衝撃を使って弾かれたように跳ね上がり、天地逆さの状態になって、伸ばした両手を彼の両肩につけた。「イヤーッ!」振り子めいた流れるような動作でその背にニーキックを放つ!「グワーッ!!」バックフリップと同時にケリ!「イヤーッ!」「グワァァアーッ……!!」アズールは飛び下がり着地。リゼントメントは吹き飛ばされ、地面を、アンコクトンの上を転がっていく。バシャバシャとコールタールめいた黒い汚泥が跳ね飛び、01ノイズを飛散させる……。

SPLAASH……!!!

アズールは訝しんだ。足元に広がるビジョン体アンコクトンが鎌首をもたげ、蔓を伸ばし出したのだ。それらは不明瞭な群衆を呑み込み、そして……虚空に浮かぶ、サブマシンガンをもったドレスの少女に襲いかかった。少女は恐怖に目を見開き、怯え、引きずられていく。リゼントメントの方へと。彼の体に広がるエメツ葉脈が、水を吸い上げるかのようにアンコクトンを喰らっていく。いや、或いは……喰らわれていく。

AAAARGH……!!

呻き声と共に、脈打つ心臓めいてエメツ結晶体が妖しく輝く。ビジョン体のアンコクトンも同期する。彼は足元に転がるドレスの少女を見下ろす。ビジョン体の黒い蔓が彼女の四肢をめちゃくちゃにへし折った。泣き叫ぶ少女のもとへ蔓が集まり溶け合い、球状になり、少女の全身を包み込んだ。暗黒の球が圧縮された。壮絶な悲鳴をあげて少女は潰れた。

リゼントメントは虚無的な笑顔を浮かべた。バシャリ、球状を保てなくなったビジョン体アンコクトンが液体となって足元に広がる。01ノイズが吹き荒れ、潰れたドレスの少女を補修し、再構成した。彼女は濁った空色の瞳を恐怖に染めあげ、命乞いの言葉を叫んだ。

泣き喚く少女の首をリゼントメントがチョップで刎ねた。首を失った少女は黒泥に倒れ込み、呑み込まれた。リゼントメントは狂気的な笑みを浮かべた。01ノイズに再構成された少女はビジョン体アンコクトンに引き摺り込まれ、闇の底へ溺れ沈んでいった。

「……それがあなたの望み?」顔を顰めながらアズールは言う。彼女に向き直る虚無の笑顔。その表情が引き攣り、激しい01ノイズが砂嵐のようになってリゼントメントの顔を覆った。砂嵐が晴れる。陰鬱な青白い顔が露わになる。

「……ああ、そうだよ……調子に乗りやがって……カラテなんかしやがって……!俺に、泣き喚いて、命乞いをしろ!震えろ、怯えろォ……ナンデ……ナンデ……!」

涙を流しながらリゼントメントがアズールに飛びかかる。彼女はバックステップで回避……できない。その脚が掴まれている。01ノイズに装飾されたアンコクトンが絡みついている。

「イヤーッ!!」「ンアッ……!」

放たれたのは頭突きだった。額に衝撃を受け、アズールは意識を失いかけた。ふらつき、倒れ込む……その前に彼女の爪先をリゼントメントが踏みつけた。

「イヤーッ!」「ンアーッ!」鋭い殴打が彼女の意識を叩き起こした。そしてさらなる殴打が振るわれた。

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」

殴打、殴打、殴打、殴打。倒れ込むことも叶わず、顔面を、横腹を、肩を、全身を殴られる。

「ンアアアーッ……!!」激痛に顔を歪めるアズール。「イヤーッ!」「カハッ……!」鋭い拳が抉り込むようにして鳩尾に突き刺さる。ビジョン体アンコクトンがバシャリ、と弾けて地面に広がった。

「ゴボッ……」少女は蹌踉めき、血の塊を吐き出す。そして……おお……ナムアミダブツ……両膝を地面について崩れ落ち、項垂れた。

「ハァーッ……ハァーッ……ハハ、ハハハ。そろ、そろ限……界だろ……アズール=サン……」

息を荒げたリゼントメントがアズールに歩み寄る。足元にビジョン体アンコクトンの水溜りが滲む……。

「……満足、した?」項垂れ、肩で息をしながら……少女は言った。

「アァ……?」訝しむリゼントメント。「何を……何を言っている。お前が言うべきは、情けなくブザマな」「満足した?」

リゼントメントは目を血走らせ、彼女の髪を強引に掴んで無理やり立ちあがらせ、その顔を見た。そして驚愕した。アズールの表情に、怯えや恐怖の色は一切無い。敵意と殺意も、今はない。哀れみも怒りもない。諦めているわけでもない。ただ、達観した少女の顔がそこにあった。その顔を、狂気の亡霊は酷く恐れた。手を離し、狼狽えて後ずさった。

「違う……違う、違01010お前じゃない!お前は、お前は……誰01010お前は、そんな顔を、しな01010101ヤメ010101アズール=サン0101

激しい動揺と共に全身を痙攣させ、リゼントメントは01ノイズを吐き散らした。瞬間、決定的な断絶がキリングフィールドを引き裂き始めた。彼方此方に、紙を手で無理やり千切った時のような出鱈目な亀裂が生じていく。

アズールは地面にかがみこみ、ビジョン体アンコクトンの水溜りに躊躇なく手を突っ込んだ。何かを探るように。そして彼女は掴んだ。白く細い手を。アズールは身を起こしながらその手を、濁った空色の瞳のドレスの少女を闇の底から掬いあげた。そしてリゼントメントを見据え、言葉を紡いだ。

「……私は過去を忘れたことはない。忘れるつもりもない」

亡霊の姿が陽炎めいて揺らぐ。胸元のエメツ結晶体が一層強く輝き、ビジョン体アンコクトンを吸収していく。

「……過去に縛られるつもりもない。罪も枷も全部背負って、生きている」「01010100100101」

リゼントメントが01ノイズに塗れた苦悶の声をあげた。エメツ、キリングフィールド・ジツ、アンコクトン……それらが内包する力が発する危険な相乗効果が、今まさに彼を苛んでいるのだ。オヒガンの力をいたずらに弄んだ者の末路だというのか……。

「忘れることはない。全部ひっくるめて、私だ。そうやって今を生きている。生きていく」アズールは傍の少女を見やる。その装いはドレス姿ではなく、黒いマントを羽織った女学院制服。「……一生懸命にね」

今やビジョンのアッパーガイオンは瓦解の一途を辿り、地には大陸断裂じみた裂け目が生じていた。アズールとリゼントメントの間に走った裂け目が、二人を分かつ。亡霊は泣きながらエメツに、アンコクトンに呑まれ、離れていく。

アズールの傍で少女は01の光となり、中空に浮かび上がった。光はアズールの手元に集まっていき……無骨なリボルバーを、49マグナムを象った。二挺あるうちの一挺だ。彼女は微かに微笑み、眼を閉じてかぶりを振った。そして決断的に眼を開く。厳しい無表情で手に握るそれは、彼女がライトウッドの奥地で手に入れた、今の彼女自身の得物。サンシーカー。

アズールはその銃口を向けた。揺らめく01ノイズの陽炎に……彼女はその空色の瞳でキッとそれを、否、彼を見据えた。「あなたのことも、忘れない」言葉を紡ぎ、引き金を引く。

BLAMN !!!

放たれた光の弾丸はリゼントメントの胸元のエメツ結晶体、その中心部を……その『芯』を正確に狙い撃った。エメツの結晶体が粉々に砕け散る。光は貫かず、彼の胸に空いた風穴に留まり、淡く輝いた。エメツの葉脈に光が走っていく。ビジョン体のアンコクトンが枯れ果て、萎びれ、崩れていく。光は01の風となってヘル・オン・アースの幻影を突き抜けていく。

リゼントメント01010はアズールを見010110010101光に包まれ01010101視界が白く染ま0101010101


……0101010101010100110101010……


……アズールは薄暗い室内で眼を覚ました。手にはサンシーカー。身体を起こし、眼前に佇む人型のシルエットを見つめる。それは01ノイズとなって巻き上がり、光となって霧散していった。

彼女は49マグナムのシリンダーを開き、弾丸を装填してからホルスターに納めた。そして瞳を閉じ、深く調息した。

それは祈りのようなザンシンであった。

空色の瞳が開かれる。彼女のすぐ傍で揺らぐ空気、微かに浮かぶその輪郭に手を添え、撫でる。

「大丈夫。私は生きてる」

……いずれ、インガオホーが訪れる時があるのかもしれない。だが少なくとも、それは今ではなかった。それだけだ。

ZZoooM……振動に建物が揺れ、天井からパラパラと小粒の破片が落ちてきた。外からけたたましい欺瞞文言と砲撃音が響いてくる。ナローズ・ピットのアジトの異変を察知した企業連合が部隊を急編成し、掃討作戦を開始したのだ。

長居は無用。アズールは不可視の獣の背に飛び乗った。獣が吠え、バルコニーを突き破り、建物を跳び渡って駆けていく。谷間を、山地の斜面を駆け上がり、荒野へと飛び出す。

地平線の彼方から恭しく顔を覗かせた朝日の光が、一人と一匹を出迎えた。

────────────────

……数週間後。中立非戦市街地の一区画にて。

武装キャラバン『BESTIE』がバンやカンオケ・トレーラーから商品を陳列し、販売クローンヤクザが訪れる客に対応していく。

その様を見ながら、ブラックルインとワンダリングフリッパーは車両近くに設置したパラソルテーブル・チェアで向かい合い座していた。テーブルの上にはティーポット。二人の前のマグカップには、ハイビスカス色のハーブティー。

アズールにペンダントを託された後、彼らは当初の予定……北上するはずであった進行ルートを急遽変更し、西へ、マリブへと舵を取った。予定に全くない行動だが、ワンダリングフリッパーは気に留めずに躊躇なく行動した。彼に曰く、「なんつったって、ここは自由の国だからな」

ブラックルインが感心すると、彼は「こういうのは忘れないうちにやってないと忘れる」「俺はネオサイタマでヤクザをやってたから義理が大事」などと戯けた調子で言ってみせた。そうして彼らはマリブへ赴き、ショーン・ハウイットの元を訪ねた。ワンダリングフリッパーは店番があるといって離れず、ブラックルイン一人に行かせたが。

ペンダントを渡されたショーンは大粒の涙を流して、感謝の言葉を述べた。ブラックルインは気を利かせようと、アズールへの手紙や伝言を預かろうとしたが、彼は奥ゆかしく断った。「アズール=サンにはもう、年寄りの長話を散々聞いていただきましたから」……彼女は去り際、もう一度、届け物があれば預かるぞ、と念押しした。ショーンは少し考え込んだ後、ハーブティーの箱をブラックルインに手渡した。美味しい淹れ方のメモを添えて。「もしまた彼女に会ったら、私の代わりに淹れてもらえませんか」……。

用事を済ませた『BESTIE』は再び元のルートに軌道修正し、北上。今はその途上だ。

「……アズール=サンは無事でいるだろうか?あれから見ていないが……」

ブラックルインが言うと、ワンダリングフリッパーは飄々とした口調で返す。

「ンー、まぁあれよ。そのうちまた会えるさ。こういうのはな、会いに行こうと思っても会えないんだ。忘れた頃にこう、フラーっと出くわすんだ。それでサイオー・ホースな、って言って乾杯するわけよ」

「そういうものか」

「そういうもんさ」

彼は陽気に笑い、ハイビスカス色のハーブティーを飲み……微妙な表情になってブラックルインを見た。

「……アー、少なくともお前は暫く会わんほうがいいな」「なに?」訝しむ彼女に対し、彼は呆れて肩をすくめた。

「こんなのお前、色付いてるだけのお湯じゃんかよ!蒸らしが足りてねぇんだ実際。メモ貰ったんじゃねぇのかよ!」

「ワンダリングフリッパー=サン、お前は普段からスシピザやら何やら、カロリーの暴力ばかり口にしているから味覚が麻痺しているんだろ……」ブラックルインは呆れて言い、ハーブティーを飲み……微妙な表情になった。それから慌てて周囲を見渡し、聞き耳を立てはじめ、声を顰めて言った。
「……来てないよな?アズール=サン」
「……流石にこのタイミングで現れたらマジで発信機か盗聴器案件だろ」

────────────────

……「ヘイ、お嬢ちゃん!その格好、イカしてんね!タケシコップか何か?」

とある町の往来で、日焼けした屈強そうなグラサン男が、窓ガラスもドアもない開放的なシャトルバスの運転席から身を乗り出し、少女に声をかけた。新調した帽子にタンクトップ、ワークパンツ。腰のホルスターに下げるは無骨な拳銃。肩掛けに背負う袋には旅荷物が詰まっている。彼女は振り返り、空色の瞳でグラサン男を見た。

「一人旅は初めて?映画好きかい?気合い入ってんねぇ、アレでしょ、山形……撮影……なんたらの……アレよ、アレ……あーそう、映画撮影村行くけど乗る?乗るよね?安くするよ!」

歯を見せて笑い、捲し立てる。少女は暫く彼を見つめた後、シャトルバスへと向かった。ドアのない開放的な車両前部の搭乗口から乗り込み、冷たい座席に座り込む。乗客は彼女一人だ。グラサン男は鼻歌を歌いながら、後ろを見ずに金を要求するハンドサインを見せ言った。「前払いね!」

「着いてから払う」淡々とした声が答えた。グラサン男は苦笑しながら振り返る。「お嬢ちゃん、冗談はその格好だけに……」そして息を呑んだ。少女の空色の瞳に、何やら只ならぬ凄みを感じたからだ。彼は小さく舌打ちし、ブツブツと何やら呟いてからバスを発進させた。

町を出たバスに揺られ、少女は外の景色を見つめる。運転手のグラサン男が沈黙に耐えかねてか、時折彼女に話をかけてきたが……一言二言返事を返したり、返さなかったりする少女にやがて閉口し、黙々とハンドルを握るようになった。

UCA北西部のゴーストタウンに築かれた、ジェット・ヤマガタなる人物が設営する『映画撮影村』……ひとまず、そこが彼女の目的地となった。

少女の放浪の旅は、まだ続く。
流れていく景色を、時間を、その空色の瞳に。記憶に刻みつけながら。


エピローグ: ステアリング・アット・ザ・サン

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