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黒豆湯豆腐 誕生! 生い立ちから現在まで

今でこそ秋の味覚の丹波の黒豆。35年前は黒豆って正月に食べる甘い豆という印象だった。地元食材という事で黒豆を使って豆腐をつくる事から始め、現在では御所坊の朝食の定番メニューとなった。

黒豆豆腐を作るきっかけ

ある時・・・40年ほど前(1980年頃)の事、豆腐料理をつくったら効率が良いのではないかと考えた時がある。魚などは日々価格が変わり、懐石の中でも刺身の原価率の比重は高い。豆腐は“健康的”というイメージが強く、豆腐がメインになるなら効率が良いと考えた。

調理場に相談すると「豆腐料理は材料費は安くなるが、仕込みに時間がかかる。」確かにそうだ、刺身は切って盛るだけだからなあ。

そこから飛んでしまうのが悪い癖。古い蔵を改造して居酒屋をつくってしまった。なぜならば豆腐を使うという事は仕込みに時間がかかるが、実際料理を提供する時は人が余るという事だ。だったら温泉街に居酒屋をつくり、夕食時に余った料理人を居酒屋に回せばよいやん!と考えたからだ。それはそれで何年か続けたが・・・

1980年バブル期、丹波の黒豆の豆腐をスーパーで見つけた。そこで地元食材という事もありメニューに取り入れた。でもすぐに廃盤になった。メーカーに問合せすると「高いから売れない」という。普通の豆腐の2倍~3倍の値段だったが、バブル期といえ一般の人は価値を見出せなかったんだと思う。

「じゃうち専用に作ってよ」と依頼をした。

当時豆腐のロットは80丁。つまり一回注文したら80丁豆腐を購入しなければいけない。充填豆腐なので日持ちはするは使い切れない豆腐はお土産として販売したが、それでも残ったかな?

黒豆豆腐の価値を上げる。

黒豆豆腐の価値を作る為に湯豆腐の器を購入した。ずいぶん昔の話だから覚えていないけど3万円ぐらいしたと思う。でもその器に入れて出すと、だんだん人気が出て来た。

ある日、知らない人から本が送られてきた。なんだろうと思って開けてみると御所坊の事が書いてあり、黒豆の湯豆腐の事が書かれていた。わかる人にはわかるんだなあと感激した。以来その著者、柏井壽氏とは今でも親交が続いている。

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ただその中で“たる源”の器が使われている。と書かれてあった。うちのは“たる源”の器ではない。いつか“たる源”をが目標だった。その後ちゃんと“たる源”の器は購入したよ!

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高級旅館の朝ご飯をキャンセルして、豆腐屋さんの朝食

九州唐津に出かける事があった。唐津というと“洋々閣”という名旅館がある。そこにまことしやかな噂がある。「洋々閣の朝ご飯をキャンセルして街中の豆腐屋さんで朝飯を食べる」これが通中の通らしい。

そういわれると行きたくなる。洋々閣の若主人に予約を取ってもらって出かけたのが、ざる豆腐で有名な唐津の川島豆腐店。

名旅館の主人は地域のコンシェルジュだ!と思ったのはその時で、それ以来いつも言っているし、自分もそうあるべきだと考えている。

※洋々閣の若主人、大河内正康氏とも「日本味の宿」という宿グループの仲間でもある。

川島豆腐のご主人との話が弾み、黒豆豆腐を作ってもらう事になった。

今はどうか知らないけど、天然にがりを使用して、絹こしの様な滑らかな豆腐を作るのには、豆乳を一旦冷やしてから、にがりを入れ、再度加熱して固める。さらに黒豆は大豆より粒が大きいので既存の粉砕機では対応できない。という理由で、どこの豆腐屋さんでも作れない。

丹波の黒豆を唐津に送り、豆腐を送ってもらう。出来た豆腐をクール宅急便で送ってくるので送料もかかる。そういう理由で日本一高価な豆腐が誕生した。

ある時問題が起こり、少し浮気をして豆腐を変えた事があった。常連さんにすぐにバレてしまった。

月日が過ぎた。でもここ数年前、え!この色の黒豆豆腐は良いやん!というのを見つけた。そして購入して食べてみると川島豆腐に勝るとも劣らない。これだったら地元だし、黒豆の生産者の顔も見える。という事で現在は地元の黒豆豆腐を使用している。

本当に豆から生産者の顔が見える黒豆豆腐。

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・・・という流れで、黒豆の栽培から豆腐作り、そしてお客様の手元までお届をしています。

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