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Off Flavor入門〜㉓THP

前回からの続き
前回はチオールであるメルカプタンを紹介しました。今回はオフフレーバーとしてはちょっと異質な存在であるTHPです。このシリーズでは通常SiebelとBrewers Associationの「Off Flavor Management」シリーズを参考に書いてますが、THPはSiebelにはないので、今回はMilk The Funkの記事も参考にしました。


化合物としての特徴

THP

THP(テトラヒドロピリジン、Tetrahydropyridine)は、環状(6員環)の構造を持つピリジンが一部水素によって還元されたものです。2つの還元でジヒドロピリジン、3つの還元でテトラピリジンです。ちなみに環状構造に二重結合がない飽和状態のものはピペリジンといいます。ビール業界、醸造業界でTHPというときは、テトラヒドロピリジンがアセチル基に修飾されたATHP、エチル基に修飾されたETHPと、5員環であるピロリンがアセチル基に修飾されたAPYを指します。

ベンゼンとピリジン

THPの関連化合物であるピリジンについても少し説明します。ベンゼンの6つのC-H構造のうち、1つだけCがNに置き換わった構造をしており、複素環式化合物の一種です。複素というのは、環状構造が複数の元素で構成されているという意味で、ピリジンの場合は炭素と窒素で構成されます。ピリジンは、平面環状分子についてπ電子の数が 4n + 2 (n は0を含めた正の整数)であれば芳香族性を有するというヒュッケル則を満たすので、芳香族化合物でもあります。ベンゼンの場合はすべての結合角が120度ですが、ピリジンは結合角や結合距離が少し違ってきます。

THPの芳香族性チェック

芳香族性を持つピリジンに対して、THPは芳香族性を持ちません。芳香族性を持つためには環状構造全体が共鳴構造である必要がありますが、THPは環状構造の中にsp3混成軌道があり、電子が環全体に非局在化することができません。そして正四面体を形成するsp3混成軌道なので、THPはベンゼンなどの芳香族化合物と違って平面構造になっていません。

オフフレーバーとしての特殊性

THPはいくつかの点で、特殊なオフフレーバーと言えます。近代的なワイン・ビール造りではあまり発生することがないオフフレーバーだったのですが、近年亜硫酸塩を使用しないナチュラルワイン、ケトルサワーのビール、スポンテニアスやブレタノマイセス、ミックスカルチャーを使ったサワーエールが盛んに造られるようになって、顕在化してきました。
これらの造りに共通するのは酸素(O2)とブレタノマイセスや乳酸菌の存在です。一般的なビールではTHPが問題視されることはあまり聞いたことがありません。つまりTHPはサワーエールなど一部のスタイルに特化したオフフレーバーと言えます。
また、THPは人によって感受性に大きく違いがあることも知られています。そしてそもそもナチュラルワインやサワーエールは、通常ならオフフレーバーと呼ばれるものを含んだ多様な香気成分のバランスを楽しむものという前提があります。そういうわけでTHPがどのレベルに達するとオフフレーバーになるというコンセンサスはまだ確固たるものがないです。
新しく認知されたオフフレーバーなので生成経路の研究も途上で、現在はビールよりもむしろワイン醸造の観点での研究資料が多いです。ちなみにSeibelのオフフレーバーキットにも入っていません。

臭い

典型的なTHPの官能的な説明は、ネズミっぽい、小便臭です。濃度が変わると臭いの感じ方が変わる臭気成分(香気成分)は多いですが、THPも低濃度だと、朝食用シリアル、クラッカーと形容される匂いになります。

閾値と分析方法

ATHPのワインでの官能閾値は1.5ppb、ETHPは150ppbとされています。ATHPのほうがかなり臭気が強い傾向にあります。ビール中における官能閾値はまだ決定的な研究結果がありません。
分析方法は、大学や研究機関で様々な試みはされているようですが、ASBCなどで規定されたものはありません。そもそも閾値が非常に低いので、GCでの分析も難しそうですね。
30%程度の人は生まれつきTHPの感受性が非常に低いと言われています。官能評価パネルを構成する時は注意が必要です。また、THPはpHが高いほど揮発性が高まり、感じやすくなります。そもそもサワーエールは低pHなのでTHPが感じにくい環境と言えます。したがって、官能評価の時は唾液の分泌によりpHを高めて、レトロネーザルを意識しながら評価する必要があります。逆に官能評価前に強い酸性のもの(フルーツとかコーラとか)を口にすると感度が下がるので避けるべきです。

生成とコントロール

生成

ブレタノマイセス属(Brettanomyces)、ラクトバチルス属(Lactobacillus)、ペディオコッカス属(Pediococcus)、そして一部の酢酸菌でTHPが生成されることが知られています。リシン(またはオルニチン)、単糖類、エタノール、酸素、鉄が代謝に関わっているとされます。新しいオフフレーバーなので生成経路についての研究はまだ少ないようです。

ブレタノマイセス属のTHP生成経路(仮説)

ブレタノマイセスはアミノ酸代謝の中でリシンからATHPを生成し、さらに最終的にはETHPを生成するとされています。ただし代謝経路自体は完全には解明されていないようです。ビール中のTHPは時間の経過とともに低減すると言われています。これはブレタノマイセスがATHPから官能閾値が100倍くらい高いETHPを生成するのが一因。そしてETHPもさらに代謝によって別の化合物に変換される可能性も指摘されています。もちろん殺菌などでブレタノマイセスを失活させるとこの限りではありません。

ラクトバチルス属のTHP生成経路(仮説)

ラクトバチルス属のTHP生成経路も仮説の域をでていませんが、上記のように考えられています。リシンからATHPが生成され、オルニチンからAPYが生成されます。リシンもオルニチンも側鎖にアミノ基を持つアミノ酸です。オルニチンはタンパク質の合成には関与しない遊離アミノ酸として知られています。
ラクトバチルス属の中でも通性嫌気性のヘテロ型の菌がTHPの生成を行うとされています。クラフトビール業界でよく使われるL. brevisもTHPを生成することが報告されています。

コントロール

一般ビールにおいては汚染対策が主なコントロールとなります。サワーエールに関してはこれと言って明確なコントロールが確立されていないようです。酸素のピックアップを最小化するというのはケトルサワーにはできそうですが、木製の容器を使ったビールでは難しそうです。ワインの酸化防止剤に倣って、酸化防止効果のあるタンニンを多く引き出すTurbid mashをしてみるという手もあります。(ランビックのTurbid mashは、デキストリンを多く残すだけじゃなくて、THP低減効果もあるんですね。)
またボトルコンディションして半年以上エイジングさせるとTHPはかなり低減されるので、出荷前に熟成をするブルワリーも多いです。
毎回、コントロールは内容薄くて申し訳ないです…

次回へと続く

一風変わったオフフレーバーTHPいかがでしたでしょうか?次回はフェノーリックです。お楽しみに。

お読みくださりありがとうございます。この記事を読んで面白かったと思った方、なんだか喉が乾いてビールが飲みたくなった方、よろしけばこちらへどうぞ。

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