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ビールと水〜⑯香気(臭気)成分と水

前回からの続き
前回は現代の神話Sulfate-Chloride Ratioについて、その限界を中心に触れました。今回は話題が一転して香気成分が水に溶ける仕組みについてです。


香気(臭気)成分とは

ビールに豊かな香りがあるのは、ビールに溶け込んでいる香気成分のおかげです。香りの性質を決めるのは分子と言われており、分子レベルで見る必要があります。無機化合物にも匂いがあるものはありますが、人間にとって心地良い香りの大部分は分子量30から300の間の有機化合物です。
一方不快な臭いは臭気といいます。ビール業界ではオフフレーバーと呼ばれます。こちらも分子レベルで見る必要があります。なぜなら人間が匂いを感知する仕組みがそうなっているからです。

匂いを感じる仕組み

非常にざっくり説明すると、人間の鼻の奥の上側(嗅上皮)に嗅覚受容体というタンパク質があります。空気中に漂う分子をこの嗅覚受容体が補足することで匂いを感じる仕組みになっています。人間には嗅覚受容体が400種類程度あるのですが、一つの嗅覚受容体で複数の分子と結合することができるので、組み合わせによって数十万個といわれる匂い物質を識別しています。

ビールに溶ける分子かどうかが重要

従来ホップの香気成分と言われていたミルセン、フムレン、ファルネセン、カリオフレンなどのテルペン類は、ホップに含まれる量は多くても、揮発したり発酵過程で消失したりしてほとんどビールに残らないということが分かってきました。ビールは9割ほどが水なので、極性のある親水性の高い分子ほどよく溶け込みます。(「②水は変わり者(水の基本性質)」参照)

テルペン類

反対にミルセンやフムレンなどのように炭化水素だけで構成される疎水性が高いテルペン類は馴染みにくい傾向があります。上の図を見るだけで、「うわー油!」って感じで疎水性高そうですね。さらに、鎖状構造が長くなったり、環状構造が多くなったりすると疎水性が増すそうです。なので、ミルセンよりファルネセンのほうが疎水性が高そうで、ファルネセンよりカリオフィレンやフムレンのほうが疎水性が高そうですね。
ちなみに、二重結合を2つイソプレン(C5H8)を構成単位として、2つのイソプレン単位で構成されるものをモノテルペン、3つで構成されるものをセスキテルペンといいます。

水に溶けやすいいい匂いの分子=Survivables

官能閾値が低く、ビールに溶け込みやすく、醸造工程を経てもビールに残存しやすい香気成分をSurvivablesといいます。Yakima Chief Hopsが提唱しているホップの香気成分理論です。

Survivables

パッと見、先ほどのモノテルペン、セスキテルペンと比べてどうでしょうか?ヒドロキシ基、ケトン基、エステル結合がくっついただけで、どれくらい親水性が高まるのかどうかは疑問ですが、炭化水素よりは極性があってちょっとは水に溶けそうですよね。
香気成分には炭素数や官能基が影響してくると言われます。炭素数でいうと8-10個くらいに心地よい香りの分子が多く、官能基ではヒドロキシ基(アルコール)、エステル基などが芳香をもたらすことが多いです。

臭気成分=オフフレーバー

ビールにとって好ましくない香りである臭気成分は、オフフレーバーとも呼ばれています。以下の6つは代表的なオフフレーバーです。

代表的なオフフレーバー

カルボニル基(ケトン基、アルデヒド基)やカルボキシ基を持つもの、硫黄化合物などいろいろあります。炭化水素ではないので、比較的水に溶けそうな見た目をしています。また、炭素数が少ないものが多く、香気成分とは見た目が違いますね。

水に溶けるかどうかの見極め

水に溶ける物質とそうでない物質を決定するのは、極性があるかどうかです。詳しくは②水は変わり者(水の基本性質)③水は変わり者(水の形と水素結合)に書いたとおりです。水分子においては酸素原子の電気陰性度が高く、電子が酸素原子に引っ張り込まれる現象が起きています。そのため水分子自体が極性を持ち、水分子同士が水素結合するとともに、極性のある分子を溶かす(水和)ことができるのです。反対に水には油(炭化水素)などの無極性分子は非常に溶けにくいです。
インチキマトリックスみたいな簡便な表で表すと下記のようになります。

溶媒と溶質の相性

エタノールは極性分子なのですが、溶媒としては実は極性と無極性の両方の性質を持っています。どちらかというと極性溶媒なのですが、無極性分子もちょっと溶かすことができるという感じです。このため、アルコール度数の高いビールはホップの香気成分をより多く取り込むことができます。

エタノールの分子内電子分布

エタノールの電子分布を見てみると、ヒドロキシ基周辺は赤くなっていて電子が確率的に強めに存在しており、エチル基(CH2-CH3)周辺が緑や青なのと対称的です。赤い部分は極性を持ち、緑の部分は無極性的な特徴を持っていることがみてとれます。
ミルセンなどのモノテルペン(炭化水素)もエタノールには水よりは少し多めに溶けます。また、ゲラニオールやリナロールなどのモノテルペンアルコールもヒドロキシ基を持っているとはいえ、他の部分は炭化水素なので、そんな水和性が高いわけではありません。アルコール度数(エタノール濃度)が高ければ、そういう水和性の低い香気成分も多めに溶け込ませることができるわけです。インペリアルIPAやダブルIPAのアロマインパクトが大きくなる理由の一つと考えられる。

次回へと続く

今回は香気成分と水についてでした。香気成分そのものや嗅覚の仕組みについては、ざっくりとしか触れていません。まあ水の話ですからね。
次回はまたまた話題が大きく転換して、コロイドです。コロイドを制するものはビールの濁りを制すると言えるほどの重大テーマと思います。

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