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私の着物デビュー記

※話の順番としては
義母の思いを繋ぐ着物
の続きですが、単体でも読めます。

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私が義母から着物を譲り受け、初めて着物を着るまでの記録だ。ずいぶん前の話のため、順番や子細に多少記憶違いがあるかもしれないが大筋は合っていると思う。


◎三人の恩人

私の着物デビューの背中を押してくれた恩人は三人いる。一人目は、私に着物を授けてくれた義母、二人目は、元同僚で15歳年上の友人の直美さん、三人目は呉服屋の若女将だ。

◎いまはまだタイミングじゃない

当時の私は狭い家に住んでいたため、まずは訪問着と袋帯を3枚ずつ義母から譲り受けることになった。いつかはある程度の広さの家に引っ越す予定だったので、残りの着物は後々譲り受けることになった。
しかし、訪問着を譲り受けることになったものの「きっと着物を着るのはだいぶ先だろう」、「自分は着物を着るにはまだ早い」と思っていた。

◎千載一遇のチャンス到来

そんなことを考えていたある日、職場の記念行事でパーティーが開かれることになった。すると、当時職場でランチ仲間だった直美さんが「白豆腐ちゃん、パーティーで着物着ちゃえば?」と言うではないか。「浮かない?大丈夫かなぁ」と言う私に「そんなことない。白豆腐ちゃんの着物姿見たい。きっと素敵だよ」と彼女。

少し彼女の話をしておくと、直美さんは基本的に「やめておきなよ」とは言わない。常に明るくてポジティブ。よくしゃべるのに聞き上手。自分を持ってるのに、それを人に押し付けない。人生何度目かな?と思うほどの素晴らしい女性なのだ。

◎手紙を認める(したためる)義母

直美さんに背中を押され、義母にその話をすると、義母も義母で「あら!素敵じゃない~。いいわね~。早速準備ね」と背中を押してくれた。

義母が真っ先に始めたのは手紙を書くこと。宛先は、当時私が住んでいた家の近所にあった呉服屋である。

手紙の趣旨としては、
・軽い自己紹介
・自分の着物を嫁に譲ることにしたので寸法のお直しをしたい
・小物等を買い揃えたい
・着物の相談に乗ってあげてほしい

義母が言うには、ホームページで見た店構えで良い呉服屋だと判断したのだそうで、その呉服屋を拠点に私を着物デビューさせたいと思ったそうだ。

呉服屋と聞いたとき、「執拗な勧誘」、「買うまで軟禁される」などブラックなアレコレが脳裏をよぎったが、「白豆腐ちゃん、呉服屋さんできっと萎縮してうまく話せないだろうから手紙書くわね。こういう手紙を書いておけば大丈夫だわ」という義母の至れり尽くせりなサポート体制に安心感を覚えた。義母は遠方に住んでいるのに加え、昔負ったケガのせいで外出も制限があったのだが、「ペンは剣よりも強し」を見事に体現した。

◎銀行強盗のような嫁vs老舗呉服屋の若女将

義母に手紙を書いてもらい、私一人で呉服屋へ。なんとタイミングが悪いことに、風邪で喉を潰してしまっていたので、呉服屋のカウンターにいた若女将にマスク姿で「あの、すみません…」とだけ言って手紙を渡すというまるで銀行強盗のようなことをしてしまったのである。しかし、そこは老舗呉服屋の若女将。顔色を一切変えずに「拝見いたします」と手紙を読み、すべてを理解してくれた。

◎若女将の優しい手解きをうける

義母がパーティー用に訪問着と袋帯をコーディネートしてくれた。ちなみに訪問着は、私が初めて魅せられた娘の掛け着物と同じ加賀友禅である。あとの小物は呉服屋で相談して買い揃えることになった。

呉服屋の座敷で、パーティーで着る予定の訪問着と帯を見ながら、帯揚げ、帯締めなどを相談する機会を作っていただいた。若女将が、せっかくのパーティーだからと、伊達襟にカラーのアクセントを入れることを提案してくれた。「秋だから暖色が良さそう」、「もし結婚式とか明らかな主賓が他にいる場合は伊達襟は派手にしないのがオススメ」など、右も左もわからない私に色々と教えてくれた。

当初心配していた、無理にいらないものまで買わされるということは全くなかった。もともとが良識のある呉服屋だったことに加え、義母の手紙が「抑止力」として功を奏したのだと思っている。

◎パーティー当日

当時は髪が長かったので、美容院でアップスタイルにしてもらったあと、呉服屋に行って着付けをしてもらった。着付け料金は、その呉服屋の友の会に入っていたこともあり、3000円だった。その値段が破格の安さだということに気づくのは後の話。

着付けのあと、若女将が私の着物姿を写真に撮ってメールで送ってくれ、「楽しんできてくださいね」と笑顔で送り出してくれた。

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初めての訪問着

若女将が撮ってくれた写真

この呉服屋との出会いで、呉服屋は怖くない、着物は楽しいと思うことができたのは間違いない。現在は引っ越した都合で、ほとんど着物の寸法直しだけのお付き合いになってしまったのが非常に悔やまれる。

◎誰も私だと気づかない

着物を着てパーティー会場に行くと、実行委員をしていた直美さんが「素敵!」と声を掛けてくれた。しかし、職場の他の人は誰も私だと気づかない。パーティーで着物を着るという話は直美さん以外にはしていなかったし、普段はメガネで当日はコンタクトだったということも関係していたとは思うが、想像以上だった。

いつもは気さくでチャキチャキ話しかけてくる総務の女性ですら、隣にいた人に「あのお着物の方はどなた?」と質問していた。受付係だったその女性に「白豆腐です」と言うと、「え!?白豆腐ちゃん!?嘘、気づかなかった」と露骨に狼狽えていた。しかも、近くからは「日本舞踊の先生が来たのかと思った」という声まで聞こえた。着物の変身効果は凄まじいと思い知った。

(後日談。パーティーでさんざん話したほぼ初対面の他部署の先輩がいた。その翌週に会社で彼と会ったとき「パーティーではお世話になりました」と挨拶したら「え?誰?」と露骨に態度が違っていた。人ってゲンキンだなぁと少し傷ついたのを覚えている。)

◎着物のとりこに

周囲の人が、次第に私の声や態度で着物を着ているのが私だと気づいてくれるようになると、みんながわたしの着物姿を褒めてくれた。特に年配の女性に大好評で、夢のような時間を過ごすことができた。

もともと自己肯定感がかなり低めの私だったが、褒められたことにより「着物を着ている自分」のことを好きになれた。早く誰かの結婚式や娘の七五三、入学式に着物を着て参加したいと頭の中でカレンダーをめくった。

その後、娘の七五三、友人の結婚式、親族の結婚式で着物を着る機会に恵まれた。

今となっては、せっかく着物を持っているのに「今の自分は着物を着るには早すぎる」という考えはもったいないと気づいた。

「着物を着るのにふさわしい人になってから着る」という一方通行ではなく、「着物を着ることで/着るたびに自分を好きになり、もっと似合うように
なりたいというエネルギーを得る」という好循環なのだと確信している。

実際、着物を着ると、不思議といつもよりもどっしりと構えられるし、上品かつ大らかに振舞える。また、うれしい付加効果として、「周囲からの待遇がよくなる」ことを挙げておきたい。

ちなみに、若い女性からたまに聞くのが『おばあちゃんになったら着物を着たい』という言葉だ。要は着物は、おばあちゃんになってからの方が似合うという意味である。個人的な見解だが、これは半分正解で半分間違い。

若い頃はお金や時間の制約で着物を着られないことが多いので、余裕が出てくる年代になった方が始めやすいという点では合っていると思う。

ただ、若いから着物が似合わない、おばあちゃんだから着物が似合う、は一概にそうとは言えない。着物が似合うおばあちゃんが多い(イメージがある)のは、単におばあちゃんだからではなく、『若い頃からおばあちゃんになるまで長く着続けた』から似合うようになったのだと思う。もちろん、おばあちゃんになってから着始めても手遅れということは決してない。着物仲間が増えることは大変喜ばしいので、興味があればぜひ踏み出してほしい。

◎現在

着物の着付け教室に通ったこともあり、自分で着物を着られるようになった。友人との食事や趣味のイベントにも和服で出かけるようになり、とても楽しい日々を送っている。


テクニカルライターをするかたわら、趣味の着物やオタ活をしています。