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義母の思いを繋ぐ着物

◎はじまりのはじまり

私は高校卒業後、地元の企業に就職したが、職場での人間関係や仕事の将来性に絶望していた。毎日、死にたい、消えてしまいたいと思っていた。

そんなある日、高校時代の友人からの勧めで始めた英会話教室がきっかけで、「もっと勉強がしたい」と思い、大学に行くことを決意。うちは裕福ではない上にまだ学生の妹、碧(みどり)もいたし、そもそも父が私が大学に進学することに乗り気ではなかったので、自分で働いたお金と返済義務なしの奨学金で学費を工面した。

◎着物に出会ったとたん、フラれる

仕事を辞め、入学した大学には茶道部があった。友人に誘われて見学に行ってみると、着物を着て優雅に立ち振舞う姿、茶席で出される見た目も味も美しい上生菓子。憧れる要素しかなかった。

しかし、『年2回の茶会に参加するときの着物は自己負担』と聞き、現実に引き戻された。当然といえば当然の話なのだが。しかも、具体的な金額は忘れてしまったが、部費自体もそれなりに高かった。アルバイトをしても、学費を払うので精一杯だった私にはとても無理な話だった。

そもそも私には縁がない世界だったのだ。私は自分にそう言い聞かせ、憧れをそっと箱に入れて閉じ込めた。

◎思わぬところでの再会

月日が流れ、結婚、出産した私は、お宮参りの時期を迎えようとしていた。すると義母から『お宮参り用の掛け着物を送った』と連絡が来た。完全に事後承諾である。聞けば、件の掛け着物は加賀友禅なのだという。思わず夫と顔を見合わせた。加賀友禅といえば、着物にさほど詳しくなくても、高価なものであることぐらいはわかる。私は恐縮して言葉を失い、夫は「なんてことをしてくれたんだ」と怒り心頭。何を隠そう、夫は無駄が大嫌いで、物を捨てることに快感を覚えるミニマリスト。長い間着られるわけでもない服にそんな大金を払うなんて無駄でしかないと。今回だけだからなと、義母に釘を差す夫。

いざ、お宮参りを迎え、まだ何も話せない娘に掛けられた加賀友禅をじっくりと見てみると、目を見張るほど美しかった。写真スタジオに置いてあったレンタル用の掛け着物とは雲泥の差がある。素人ながら、高くて当然だと納得した。

義母にお礼を言うすがら、「加賀友禅は美しい。着物っていいもんですね」と伝えたあとの義母の返答に唖然とした。

「あら、そう?じゃ、私の着物、着ていないものもたくさんあるし、白豆腐ちゃんに譲りたいんだけど、どう?」

◎義母と着物

義母は、息子2人が成人した後、忙しい仕事の合間をぬって着付け教室に通ったり、着物を買い揃えたりしていたらしい。そんなさなか、生死をさまよう事故に遭ってしまい、そのときの大ケガがもとで、着物を着ようと思えなくなってしまったのだという。

ところが、手放そうにも、一度も着ていない高級な着物ですら二束三文で買い叩かれてしまう現実。義母はそれが悔しかったのだという。「息子2人のお嫁さんたちに着物を着てもらえたらうれしい」と思っていたそうだ。

◎運命の女神、義母の名アシスト

憧れの着物をもらえる…

夢のような話だった。喉から手が出るぐらい欲しかった。ところがその願いを叶えるためには厳しい難関があった。夫である。

前述のとおり、夫はミニマリストであり、お金、スペース的に無駄なものが大嫌い。しかも亭主関白。案の定、「スペース取るし、着物なんてもらうのやめておけよ」ときつめのジャブを打ってきた。

「でもほしい」「いいや、ダメだ」と押し問答する私達に、義母が鶴の一声を発した。

「私の"形見分け"って言ってもダメなの?事故で"一度死んだ"とき、『死んだらあの世には何も持っていけない』と痛感した。だから生きているうちにお嫁さんたちに譲っておきたい」

"一度死んだ"経験のある義母の重い言葉に、さすがに夫も何も言えず、私が義母の着物を譲り受けることに承諾してくれたのだった。

(しかもこのとき、桐箪笥も買う約束も取り付けてしまう義母は大変やり手だと思う。尊敬するしかない)

◎義母の思いを繋ぐ

正直なところ、自分では手に入れられなかった着物を、約10年後に義母から譲り受けることになったことに運命を感じずにはいられない。

私を着物の世界に導いてくれた義母に恩返しをしたい。「着物を楽しむ」という夢を道半ばで閉ざされてしまった義母の代わりに私がその夢を叶えたい。

着物を譲り受けてからもいろいろあったが、着付けを習って自装をマスターし、ランチや趣味のイベントに着物を着ていくようになったばかりか、他装(=人に着物を着せること)の稽古に夢中な日々である。

私の夢はまだまだ続く。


テクニカルライターをするかたわら、趣味の着物やオタ活をしています。