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ASKAのVR生配信は、ゼロの有価値化である、という話。

去る10月11日、ASKAがMVの収録現場をVR生配信という、ちょっと珍しいことをした。

この文明の変わり目、出来事を、ぜひ体験してください。

配信前の、彼のブログ中の言葉だ。

「文明の変わり目」

こんな言葉を敢えて使うところが、いかにも彼らしい。
少なからず私がASKAを好きな理由の一つには、彼のそのアイディアマンで好奇心旺盛なところがある。
なので、彼の言うところの「文明の変わり目」を目撃しようと、VRチケットを購入してみたわけだ。

実のところ私は、あまり最新技術に没頭して楽しめないタイプである。
あの、発展途上の技術に踊らされてる感に、なんとなく気持ちが冷めてしまう。
なので正直、VR体験のクオリティについて素直に期待するような気持ちが持てなかったのだが…だが実際にはそれが見事に裏切られ、めちゃめちゃ楽しめた!ということについて、これから書いていきたい。


●VRの醍醐味である「実在感」は半端なかった

これはもう、誰もがVRに対して期待すること。
「会えるはずのない大好きな人が、目の前にいる=最高!」
ということだ。

誰かのファンになったことのある人なら、わかるだろう。
この人が実際に目の前にいたら、どんな感じなんだろうか。背は高いのかな、髪の、肌の質感は?
そんなことを想像力フル回転で妄想し、身近から収集した現実の質感と照らし合わせて、なんとかその実在感を掴む…といういじらしい努力を、ファンというものは日々積んでいる。

だが、VRという飛び道具は偉大だ。
いつもは2次元から想像力を駆使して掴む、愛の対象の実在感。
それが難なく目の前に立ち上がってしまうのである。

それも、現実の中に虚像として立ち上がるホログラムではなく、360度の視界とセットとなれば、人の脳とは不思議なもので、その他の細やかな情報は勝手に補完をし始めるのだからすごい。
目の前に現れたASKAに、私は見事、一瞬も冷める瞬間がなかった。


今回のVR体験は、新曲3曲分のMV収録現場体験。
ロケーションは北海道の支笏湖という広大な湖で、その光景だけでも十分に迫力満点だ。

現場で起きる全てが生配信されるという完全ドキュメンタリーではなく、スタッフとのやり取りやセット移動など生々しい時間は別撮りしたドローン映像と散文詩の朗読に差し替え、という半ば演出された構成になっていたが、それでもVR技術による実在感、生々しさは半端なかった。

私が唯一現実に引き戻されたのは、仮想現実内にASKAを見つけ、テンションの上がった自分の熱でVRレンズが曇った瞬間だけだっただろうか…。
それほど、VRというものはなかなかどうして凄かった。


●一番の体験価値は、ASKAになれること

今回最もVRを堪能したのは、実は「ASKAを見つめて愛おしむ」という体験ではなかったということが、自分にとっては非常に意外なことだった。

むしろ目の前のASKAに背中を向け、意図的に「ASKAの目になってみる」という体験が可能だと気づいた瞬間が、今回最高の体験価値であった。
VRの贅沢な使い方だが、むしろこちらの方に、今までのコンテンツが持ち得なかった価値があるのではないか?と思えたほどだ。

この感覚を覚えるのに最も贅沢なのは、生配信でオンタイムに同じ体験をする、ということだ。
ASKAの視界に今現在映っているのであろう、美しい湖の光景や空から降り注ぐ光、現場を動き回るたくさんの撮影クルー達。
それらが、誰かの手で編集されるわけでもなく、自分の意思で思う存分に見ることができる。
今現在のASKAと視界を重ねられる。
こんな贅沢な体験は、もはやVRでなければ叶わないのではなかろうか?


過去、ASKAにはいくつもの素晴らしいMV作品があるが、そのいずれを撮影する時にも、きっと彼はこんな光景を見ていたんだろうな…などと、ファンとしては過去振り返りモードのセンチメンタルな気分になったりもできる。
それもまた一つの贅沢。

実際に振り返ってみれば、ASKAがいつもの見慣れた身振りでパフォーマンス中だ。
この静かな緊張感の中で、全身を使って歌い上げるパフォーマンスをしっかり演じきれる、ASKAの年季の入ったエンターテイナー性に、これまた感じ入ってしまう。
観客らしい観客のいない撮影現場では、そんな姿すらとても新鮮に目に映ったりする。

これがライブ配信だったらどうなるのだろう。
ライブ中のASKAの視点になれるという贅沢は、確実にチケット代相応の価値を生む。
なぜなら実際のライブ中には、ASKAの視点を確認しようと振り返れば他の観客の邪魔になるだけだからだ。

プライバシー配慮の問題で実際に観客を入れたライブのVR生配信は難しいだろうが、無編集の四次元空間をそのまま自宅にお届けできるこのVRの体験価値は、確実にこれからのエンタメ業界に速度を増して広まっていくだろうなと、その価値を知った者としては確信してしまった。
VR技術とファン心理が融合すれば、その爆発力は計り知れないのだ。


●ゼロを有価値化するということ

今回のASKAの試みが画期的だったのは、MV収録現場という、いわば「調理現場で切り出される野菜の端っこ」のように今までゼロ価値だったものに、しっかりと観客を満足させ対価を受け取れるような価値を付けられた、ということだ。

無観客ライブを配信するアーティストも多くなり、これからのスタンダードとなっていくであろう今時点で、ASKAはその選択肢を取る姿勢を見せてこなかった。
きっと彼なりの考えがあるのだろう。
ライブと同等の体験価値を果たして提供できるのか?というような。

配信ライブのチケットにあまり食指が動かない感覚は、きっと大多数の人が持っている
会場に足を運ぶ時間の削減や、必ず最前列の環境で視聴できるなど、メリットらしいことは歌われてはいるけれど、会場の空気を同じように体感できるものなのか?という観客側の思いについては、明確な答えは出ていない。

ライブというのは体験価値そのものである。
バーチャルな画面越しの体験に、今までと同じチケット代を払えるのか?
むしろエンタメを配信する側の事情としては、「むしろコストは膨らんでいるのだからチケット代はより高くしていきたい」という実感があるようだが、観客側としては生理的に理解が追いつかない一線がある。

そう、チケットを買おうというその瞬間に、今まで体験してきた快楽とこれから手に入れようという体験とを比較するアタマが、どうしても生じてしまうのだ。
なので配信ライブが世に浸透するのに、これからもまだ茨の道が続くのだろうことは、容易に想像できる。

そうやって現実に折り合いをつけるための実験期間が長引けば長引くほど、エンタメ界は痩せ細っていってしまうだろう。


その点、ASKAが今回提示した手法は賢い。
彼が配信するのはライブでなく、今まで価値化されていなかった「MV収録現場の生体験」である。
つまり、0だったものに価値を与えてみようという試みなのである。

MV収録現場のコンテンツ化、という意味では、特に目新しさはない。
いわゆるメイキング映像というやつである。
だがなぜ今まで、メイキング映像がしっかりとした収入源になっていなかったのか。
それは、エンタメ性が低い(と思われていた)からなんだろう、と思う。

調理場で切り出された野菜の端っこよりも、しっかりと皿に盛り付けられ豪華なソースまでかけられたメインディッシュの方に絶対的な価値があるはず。
ネット動画が全盛になる前は誰もがそう思っていたし、この期に及んでもそう考えているクリエイター達もいっぱいいると思う。

だが、このメインディッシュの消費が確実に下がっていくことが見越される今、調理場で捨てられかけている食材にこそ価値がある、と胸を張って言える仕組みの提示は、業界全体を力強く底上げてくれるだろう

そしてASKAは先日、それを見事にやってのけた。
2020.10.11。
この日は後から振り返れば、大変なメモリアル・デーであったのだ…となるに違いない。
大げさでなく、私にはそう思えてしまうのである。

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