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1988年から滲み出す、色気の正体に迫ってみると。

Apple Musicの音楽を聴き流しつつ、ある日ドライブをしていた。
ふとかかったのは、岡村靖幸の「Super Girl」。
運転席の夫が楽しげに、「やらしい声だなぁ」と呟く。

うーん、「やらしい」とはこりゃ、言い得て妙だ。
岡村ちゃんの声とリズムは「SEXY」という形容でもまだお行儀よく聞こえるほど、「やらしい」粘り気を持っている。

「やらしさ」とは、非日常への入り口だ。
ルーティンで過ごす毎日の中では出会えない、声や感覚。
だから「やらしい声」って、とんでもない引力を持っている。
もしかしたらシンガーにとって、「やらしい」ほど最高の褒め言葉はないんじゃないか?
無条件に人の耳を惹きつけられるのだから。


岡村ちゃんの「Super Girl」がリリースされたのは、1988年のこと。
私が最近狂ったように聴いているトシちゃんの「抱きしめてTONIGHT」も、同じく1988年の曲だ。

1988年!
こりゃとんでもなくご機嫌な年だ。
そしてもう一人、90年代の世間をそれこそ「やらしい」声で釘付けにしてしまったASKAが、ミュージシャンとして格段に色気を増してくるのもこの1988年だという見立ては、偶然の巡り合わせに過ぎないのだろうか?


一度聴いたら耳にこびりつく、素っ頓狂なスキャットで始まる「ラプソディ」

1988年にリリースされたCHAGE and ASKAのシングル曲だが、歴代のシングルを並べるとこの曲だけ、不思議とちょっと浮いている。
なぜだろうか?

そもそもこの年の2月には先行シングル「恋人はワイン色」、翌3月にアルバム『RHAPSODY』が発売されるのだが、この「ラプソディ」がシングルとして発売されたのは遅れて5月のこと。
元はシングル候補曲でなかったがアルバムを出してみたところノリが妙に良くて、シングルカットしてみるか、なんて軽い流れで決まったらしい。

さらに、よく知られているエピソードであるが、この曲の原型が作られたのはおそらく1987年のこと。
光GENJIのデビュー曲コンペでCHAGEがメインで作曲した「STAR LIGHT」と天秤にかけられ、外れた、なんていう不名誉な経緯もある。
散々こすられているうちに肩の力がすっと抜けたのかもしれない。
歌詞が、ボーカルの調子が、他の曲に比べても実に軽やかである。


詞に注目すると、主観が男女のどちらでもなく、メタ的に世間を描くというASKAお得意の手法。
だがその世間が「いい」のか「悪い」のか、「心地よい」のか「世知辛い」のか、この「ラプソディ」ほど感情のあり場をぼかして描いた曲は、ちょっと他に見当たらない。
だから聴き心地としては、ただただ不思議な感覚を残すばかりだ。

街は夜ごとの 狂想曲(ラプソディ)
まぶたの鏡に映すやさしさなら
流行りのように

登りつめればいつも つかみそこねた想いで
だけど心は繰り返す

いいじゃない Oh-Oh
いいじゃない Oh-Oh
何度も Oh-Oh
冷めることのない 熱い肌

ロマンスは わがままで疲れやすいから
やるせなさが爪を立てて 涙が痛い
愛はもう すれ違い 知らん顔をして
夜明け過ぎの 曲がり角


都会の海は 幻想(ファンタジー)
闇に呑まれてゆられて
夜のとても深いところ

残された夜の隅 何処かで夢が泣いてる
たどり着けない 愛のあたり

いいじゃない Oh-Oh
いいじゃない Oh-Oh
それでも Oh-Oh
眠ることのない 甘いわな

ロマンスは わがままで疲れやすいから
やるせなさが爪を立てて 涙が痛い
漕ぎ出した舟はもう 帰ることもなく
そして次の 朝を待つ


言葉の罪は かろやかに かろやかに
まばたきよりも ひそやかに ひそやかに
ちょっと黄昏て はにかんで きまぐれで
OH YAH YAH YAH YAH

ロマンスは わがままで疲れやすいから
やるせなさが爪を立てて 涙が痛い
漕ぎ出した舟はもう 帰ることもなく
そして次の 朝を待つ


表題の「狂想曲(ラプソディ)」の意味するところは、バブル期の夜毎に繰り広げられる、自由気ままな男女の駆け引きといった意味合いだろう。

1988年は、バブルの入り口だ。
翌年の天皇陛下の崩御から、平成という新たな時代が始まり、誰もが好景気の恩恵を実感するようになる。
その前年である1988年、バブル助走期とはいえすでに世間は浮かれていた。

この年の流行ワードが「リゲイン」「朝シャン」だというのだから、夜通し遊びまくった男女が簡単にエネルギーチャージし、また享楽の世界へ出かけていく様子がちょっと鼻につく。

街は夜ごとの 狂想曲(ラプソディ)
まぶたの鏡に映すやさしさなら
流行りのように

登りつめればいつも つかみそこねた想いで
だけど心は繰り返す

遊び慣れた調子で男女が誘い合い、どこか虚しさも感じながらそれでも中毒のように、同じような夜を繰り返している。
明け方には、

愛はもう すれ違い 知らん顔をして
夜明け過ぎの 曲がり角

とあるように、愛し合ったはずの相手と知らん顔で別れてしまうのを知りつつ。


こんな享楽的な関係は、1993年の「Knock」の中にも描かれていたりするが「ラプソディ」とは全くもって感触が違う。

YESと言いそうな女を選んだ
泣ける話を並べて誘った 抱いた

俺は何処へ行くんだろう
どんな顔をしてんだろう
だめになりそうな気がして 夢中で抱いた

ピースのサインで女と別れた
本当の名前最後に聞いた 別れた

このように男の孤独な心情がくっきり浮き出ているが、「ラプソディ」にそれはない。
むしろ「ラプソディ」と同じ1988年に歌われた「Love Affair」の、

ドキドキは 恋のシンクロ信号
抱きたくて 君を抱きたくて
待ち合わせ決めた ダンスのスロータイム
口もとを二人 読み合って

秘密の月明り浴びないか さよならの後で
手がかり残さずに落ち合おうか
裏切りなさい Darling 街をすりぬけて

なんていう、ハンター的な情欲に近いだろう。
うーん、バブルだなぁ…男と女がデフォルトで持ち合わせるガッツがすごい。


ただ、しかし。
”大人ごっこ”に興じている男女の心の中にも、奥の奥では本当の愛に焦がれた小さな声がシクシク泣いている。

残された夜の隅 何処かで夢が泣いてる
たどり着けない 愛のあたり

この「たどり着けない愛」について語るのが、ミュージシャンの仕事のような気がするぞ…
いやむしろ、ASKAは誰よりも執拗に「愛」をテーマに据えて、他の曲ではそこを丁寧に歌ってきているはず。
だがこの「ラプソディ」の中で、ASKAは続けてこんな風に歌うのだ。

いいじゃない

この挑むような調子で歌われる「いいじゃない」のキャッチーさは最強で、一曲通して聴いた後はなんだかサビよりも強く印象に残ってしまっているから不思議だ。

なにやらワクワクするような調子の、「いいじゃない」。
この肯定フレーズが、実は「ラプソディ」という曲の魅力をグッと集約している。
というのも、サビで繰り返される

ロマンスは わがままで疲れやすいから
やるせなさが爪を立てて 涙が痛い

というフレーズも、世知辛い内容ではあるのだが、言葉に反してASKAは実に楽しげな調子で歌い上げるのだ。
虚しくなるような男女の駆け引きでさえ、

冷めることのない 熱い肌

眠ることのない 甘いわな

ってな感じで、どこか熱く甘い手触りなのである。

バブリーな男女を肯定してあげる軽やかさと、忘れられてる愛に目を向ける繊細さが、絶妙なバランスでこの曲の中には同居している。
この曲に満ち溢れる軽さとは、すなわち色気だ。
「お前らのそれは、愛じゃない!」なんて主張を入れすぎることなく、「まあ、それでもいいじゃない?」と呆れ顔で見守るASKAのあたたかな眼差しが、曲の背後から透けてくるようで、お気軽に何度もリピートできてしまうのである。

ところでなぜ、1988年のASKAはこんなにも軽く、優しいのか。
世間の様子にたてつかず、自己主張抑え気味の詞を書いているのか。

だって、翌年の1989年に発売した「LOVE SONG」ではいい加減、

聴いた風な流行にまぎれて
僕の歌が やせつづけている

と世の中へのアンチとくすぶる想いを強く打ち出している。
前年とのこの明確なコントラストはなんだろうか。

1989年は、CHAGE and ASKAがミュージシャンとしてワンランク上の表現にたどり着いた年である。
シングル「WALK」で見せつけた誰にも真似できないメロディラインと歌唱法、それにファンの間でオールタイムベストの呼び声高き名盤『PRIDE』も、この年のリリースだ。
その前夜である1988年を、どのように位置付けたらよいのか。

「30代は死ぬほど仕事する」
そう決めてスタートを切った1988年、30歳のASKA。
この年のASKAはおそらく「才能がパンパンに詰まって出口を探っている状態」だった。
そんな見立てが、私の中にはある。

ASKAの才能の熟成は、遡ること1986年から急激に加速していく。
まずは、「モーニングムーン」から始まる歌唱法の大胆な変化
喉を大量の呼気で響かせるパワー系のビブラートが持ち味だった自身の声を、意識的に鼻にかけ始めている。
そして同時に、発音の歌い崩しという自己流のトライ。
これらの自己改造により、歌いこなせるメロディとリズムの幅が格段に増し、音楽性がグングンと垢抜けてくる。

そして翌1987年にASKAはソロデビューを果たすが、そのシングル曲「MY Mr. LONELY HEART」のライナーノーツでは”自身の作曲メソッドをこの頃に確立した”という風に語っている。
確かにこのあたりから、世間に認知されているASKA的な美メロ楽曲が量産され始めるのだ。


声も出る。
世間に愛される曲作りも、自由自在。
そんなミュージシャンとして最高の状態で迎えた1988年は、元旦に光GENJIのデビューアルバムが発売され、ASKAの生み出した「パラダイス銀河」「ガラスの十代」が年間オリコンチャートの1位、2位を占めるようになる。
売れっ子作家としての評価が、自身のミュージシャンとしての活動より上回る印象もあっただろう。

自分の才能は熟されている。
でも、いるべきなのはこの場所じゃない。

そんな葛藤があっただろうと、勝手な想像が働く。

1988年の音楽番組の中で、ASKAはこのようなことを語っている。

一つの音楽を形づけて一生懸命やってくポリシー的なものってとても素晴らしいと思う。でも僕らは音楽生活というのを本当に割り切って考えてて。それが20年、30年ある人はほとんどいないわけ。でも20年、30年とやっていく中で、一つの音楽性で果たして波が何回当たるかっていうと、そうないでしょ。
僕らは流れに沿って自然にやれたらいいなってことで、常に時代と一緒に流れていけばいいなって。悪い言葉なんだけどね、僕らは敢えて流れていけばいいって思っていて。
(Youtube上の「ジャストポップアップ」より、筆者書き起こし)

身につけた能力をもって、20年、30年と音楽を続けていこうとする欲望。
そして、敢えて時代に寄り添い流れていこうという、逆説的な意志。
そう、おそらく大きく世の中が動き始めていた1988年、ASKAは時代を読むことに集中していたのだろう。
時代がどちらに流れていくかを読み、隙あらば賭けてみる。

確かに見えるチャンスをネガに 押し込む
未来が値札を外して そっと そっと
寄り添い掛けて来た
切り札の出し違いで また瞳を閉じる

「WALK」のこの印象的なフレーズのように、そんな勝負のタイミングを、ずっと見計らっていたのだろう。

今にも溢れ出しそうな熱を内に秘めつつ、ポーカーフェイスで時を待つ。
そんな静かなASKAの様子は、ミュージシャンとしてとても色っぽい。

画面を通じて溢れ出すこの頃のASKAの色気は、そんなところから来ているのだろう。

昭和の終焉、1988年。
華やかで享楽的な世の中の最前線に立っているようで、それでいてどこか寂しげなASKAの表情。
その後の爆発的なヒットとアジアまでを巻き込んだ熱狂を知っている今の座標から見つめ直すと、1988年のASKAが含む名伏しがたい色気の正体が、少しは紐解けてくる気がするのだ。

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