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<アスリート×芸能=美>という話。

いま私の本棚の一番取り出しやすい位置には、岡野誠さんの著書『田原俊彦論: 芸能界アイドル戦記1979-2018』がある。
随分前にラジオで芸人のプチ鹿島さんが猛烈プッシュしていたのを聞き、ずっと読みたいと思いつつ勇気が出ずに見送ってしまっていた本だ。

なぜ勇気が出なかったのか。
それは、読んだら必ず打ちのめされることがわかっていたから。

だって、とある芸能について論じていこうという情熱が、私とこの書籍ではまるまる被っている。
だが私はASKAという超ビッグなお方に、直接インタビューなんてとてもできない一介の市民。
データ量だって他の熱心なファンの方より圧倒的に少ないのに、情熱という名のでしゃばり根性だけで書いてしまっている、という引け目がある。

そんな私がこの本をうっかり読んでしまったら、間違いなく実力とかいた汗の量の違いを突きつけられ、数ヶ月は立ち直れなくなるに決まっている。
こっぱ微塵にされた後に這い上がれるガッツがまだまだ自分には足りない気がしたので、二の足を踏んでいた、というわけ。

だが、この書籍の評としてプチさんの語っていた言葉が、ずっと心に刺さっていた。
確か「評論のつもりが、いつの間にかドキュメンタリーを読まされている」というニュアンスだったと思う。

これを思い出すだに本への想いは募るばかりで、ついに先日購入に至った。

そして読んだ。
泣きながら読んだ。
読みながら泣いた。

よかった、読んでみて本当によかった。
読まないことを選択していた頃の自分が恥ずかしい。
まるで「傷つくのが怖いから恋なんてしません」と言ってる乙女のようじゃないか。
飛び込めばいいのだ、強く惹かれるものがあるなら。

惹かれた分だけ必ず感動がある、そしてその感動は傷つきを軽々と凌駕してくれる。
そんなことを思いがけない場所で学んでしまった。


ところではじめに断っておくが、私はトシちゃんのことを5年に一度思い出すかどうかくらいの人間だ。
それなのにこの本を読んでから、毎日トシちゃんを聴いている。
改めて、評論の底力を感じる。
5年に一度の頻度を毎日に変えられるのだから。

色々なトシちゃん曲を聴いてみたが、やっぱり一番好きなのはこれ。
「抱きしめてTONIGHT」
私が遠い昔、初めてトシちゃんに出会った時の曲だ。


1988年。
この年の記憶は、私の中に色濃い。
以前別の記事にも書いたが、元旦に光GENJIのデビューアルバムが発売され、私が初めてお小遣いを音楽に費やしたのがこの年。

音楽に興味を抱いた私は、「ザ・ベストテン」の放送を毎週楽しみにしていた。
そして4月に発売された「抱きしめてTONIGHT」は何度もランクインされ、私はテレビに映るトシちゃんに初めて出会うことになる。

だが当時の感想を思い出してみると、ちょっとここに書くのはなんだかなぁ、という感じである。
なぜなら、「トシちゃんて、おじさんだなぁ」の一言だったから。
まだ当時27歳のトシちゃんを「おじさん」呼ばわりとはひどいもんだが、光GENJI好きな9歳のこわっぱの実感などそんなもの、ということで許してやって欲しい。

けれども楽曲の魅力は9歳の子供にもしっかり伝わっていたようで、最近になって聴き直したこの曲の歌詞は、なんと記憶の底に一字一句入っていたのだ。
テレビだけがインプット源の曲で、なかなかこんな経験はない。


いま見返せば、この頃のトシちゃんは俄然輝いている
キレッキレのダンス、最高の楽曲、最高、とまでいかないが不安定さが逆に魅力の歌唱力。
まるで芸能というアンバランスの神様が舞い降りたようなステージ映像を、私はYoutubeの波間に夜毎飛び込みサーフィンしているわけだが、何度見てもこれはすごい。

ダンスに入る前、トシちゃんの口から離れたマイクが「ハッ!」という気合の掛け声を拾う。
まるでそれはフィギュアスケートの華麗な演技の最中、マイクが偶然に拾った氷上の刃が固い氷を削る滑走音。
現場の気迫の凄まじさに、こちらこそ「ハッ!」となってしまう。

そうなのだ、なぜ私が88年のトシちゃんにこんなにも惹かれてしまうのか。
それは、この気迫だ。
アスリートの身体性と精神力を持ち合わせた人間が、全力で、スポーツでなく芸能にぶつかっている。
その結果生じた類い稀なる、<美>とでも表現されるような気迫の出現に、ただただこちらは圧倒されてしまうのだ。

そう、この<美>の気迫を出現させられる能力は、私が惹かれてやまないASKAにも、そのまま共通している。
ASKAと田原俊彦という一見遠くにある星を結んでいくと、人の胸を突き動かす<美>の手触りに、必ず落ち合ってしまうように思う。

ああ、追憶の88年。
9歳なんかでなくもっと芸能に対するリテラシーのある年齢で、この当時しか見られないこの二人のパフォーマンスを目撃したかった…などと私は、どうにもならない願望に悶える。

この当時大人だったら、私はこの、バブルと一言で総括されてしまうような時代をどのように受け止めていただろうか?
そんな妄想旅行が勝手に始まってしまっている。

ちょっとこのまま書き続けると記事が長くなり過ぎてしまうので、次回は<1988年という時代とASKA>というテーマで、この年発売されたシングル「ラプソディ」の歌詞分析に取り組んでみたいと思う。
いや、今から取り掛かるのだけどね。
しばしお待ちを。

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