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褒められた人は、他者を褒めるようになる。

先日だが、初めてnoteの記事に「サポート」というものを頂いた。

まさか好き勝手書いてる記事でお金を頂けるなんて考えたこともなかったので、どうやって受け取るのか慌てて調べ、諸々手続きをした。
ちゃんと受け取れるのか、いまだに不安である。
投げ銭なんてレベルでなく、ちゃんとした本を買えるような金額だ。
改めて、そのサポートを下さった方の持つ懐の広さというか、他者に向ける愛情の大きさを感じている。

”その方”とはもちろん直接お話ししたことはなかったが、noteを始めたとき、かなり早くから記事を見つけてプッシュして下さったので、それがとても嬉しくSNS上で初めてご挨拶させて頂いた。

それからも、記事を公開するたびにコメントや記事の抜粋付きで広げて下さった。
それがSNSを始めたばかりの私にとっては非常にありがたいことだった。
いつも私は記事の中に「ここさえ伝われば」という一文を忍ばせているのだが、毎回なんとも的確にその部分を拾い上げて拡散してくださり、本当に毎度、拝みたいほどであった。


今回、サポートをいただけたタイミングには私のnote活動にとっての二つの大きな転機があった。
一つは、今までは敢えてASKAさんの楽曲だけに注目し、歌詞分析という形で少し距離をとっていたのを、初めてASKAさん自身について書くというチャレンジをしてみたこと。

そして二つ目は、上記の記事に加えて以前書いた歌詞分析記事をなんとASKAさんご本人が読んでくださり、ブログにその分析内容に対する答えを書いて下さった、ということだ。
かなり恐縮だけれど、リンクを貼らせていただきます。


けっこう短いスパンで起きた二つのことだったので、私の頭の中は今なお洗濯機状態である。
別にコソコソ書いていた訳ではないが、それでも思う。
これからどうやって書いていこうか。
書くことの責任の重さを突きつけられた気持ちだ。
いや、責任の中に自分から突っ込んでいったと言う方が正しいかもしれない。
頂いたサポートは今までの記事へのご祝儀かもしれないが、むしろ「さあ、これからどうする?」への投資なのだと、そんな風に受け止めさせて頂いている。

”その方”に記事を広めて頂いてるうちに、私はある時、一つの真実にハッと気付かされた。
それは「人は、褒められれば嬉しい」ということだ。
おお、超単純。

褒められると、嬉しい。
これからも頑張ろうと思う。
けなされて育つ反骨精神というのもあると思うが、「褒め」は最短距離で相手から良いエネルギーを引き出せる最高の技術だと思う。

私も一応、子育て中の親の身。
「褒める」ということについては、日々気をつけているつもりだ。
「褒め」というのは、簡単なようでいてけっこう難しい。
相手が一番がんばったところを見つけられないと、それはただの「チヤホヤ」とか「おべっか」になり「褒め」の効果が生まれない
だから娘の姿を追ってるつもりでも、たまにうっかりすると的を外して、褒めてる相手から怒られる、なんてこともある。

以前、細野晴臣さんの深夜ラジオをよく聴いていた。
細野さんはラジオの中で、コーナー化はされてなかったと思うが、よく「良いニュース」を取り上げてただ読み上げる、なんてことをされていた。
世の中悪いニュースばかりで、良いニュースを見つける方が難しいから、だそうだ
そう、継続して世の中を見つめ続けないと、「良いニュース」はなかなか目に入ってこない。
細野さんは意識して良いニュースを語り、世の中から良いエネルギーを引き出そうとしていたんだと思う。


サポートを下さった”その方”も、継続して粘り強く良いニュースをすくい上げている方だ
ASKAさんの活動を応援するブログを書いてらっしゃるが、ブログ上でもSNS上でもネガティブな噂や批評を一切取り上げない。
一貫して、「良いニュース」だけを取り上げている。
世の中に膨大に溢れるASKAさんに関する情報を、細やかに読み比べて吟味し記事にするのだから、その割いている時間は並大抵のものではないと思う。
そういう活動があるからこそ、私の記事もいち早く見つけて下さったのだと思う。

そして”その方”に的確に褒めて頂くことが、私のnote記事を書くエネルギーに変わっていたことは間違いない。

さあ次は何書こう、とこの一年で迷う時もあった。
情熱だけをエネルギーにして書こうと決めたのに、継続が目標になりそうな瞬間もあった。
以前記事でも取り上げさせて頂いた、岡野誠さんの『田原俊彦論』を読んでから、その対象に向ける細やかな愛情とデータ量に圧倒され、私自身の持ち物についてずっと考えさせられていた。

そうやって迷いながら書いてきた中で、記事を公開するたびにどの記事にも目を通してくださり、毎度的確な一文を抜き出し、リンクに添えて広めてくださる”その方”の細やかな動きに、何度救われたことか。
そんなことから自然に湧き出た感情が、「褒められると嬉しいんだ!」であった。

そこに気づいたことにより、いつからか記事の内容に迷った時は、ASKAさんの作品を「ちゃんと褒めているのか」を基軸に考えるようになった
自分の持ち物は圧倒的に少ないけど、でも「ちゃんと褒めよう」という意識と、褒めポイントを見つける嗅覚はあるんじゃないかと自負できるようになった。

これからのnoteに書く記事のクオリティは、自分の「褒め芸」をどこまで成長させられるかにかかってくるだろう。
そんな風に思えるように、ようやくなった。
褒めに徹しようと、腹を決められた。
なぜなら、褒められた人が他者を褒めるようになる時に生み出される良いエネルギーのループは、きっと色んな場所に愛情の種を撒き散らすことができるから

これからも全力で、色んなことを褒めちぎってまいります。

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