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なぜ私は今ここで、こんなことをしているのか。

私の初体験は、13歳の時だ。
「チャゲアスから電話よ」という母の呼び声が始まりだった。

慌ててかじりついた受話器から聞こえてきたのは、期待に反して女性の声。
LIVE UFO ’93の東京公演に、一席空きがあるのだという。
二つ返事で「行きます」と答えながら、新規のファンクラブ会員に一件ずつ電話をかけてくれていた女性スタッフを拝むような気持ちだった。

たった一人で向かった、国立代々木競技場。
宇宙遊泳のように浮ついた足取りのまま、席を探すと驚くほどステージに近い。
話しかける相手もなく、それでもただ、会場のざわめきの中で息を吸えるのが嬉しかった。

開演時刻が来て、そして周囲は暗転した。
息つく暇もなく別世界の扉は開き、夢のような音の洪水に包まれている。

ああ、たった今、あの二人が歌ってる。
CDで聴くより、なんて柔らかい声。
歌っている時の背中は、なんて生身の人なんだろう。
間近に迫る円形ステージで「MOON LIGHT BLUES」を歌うASKAさんの背中を、昨日のことのように思い出せる。

その夜から、全てが変わった。初めての、なりふりかまわぬ恋に溺れた。


時が経ち、やがて21世紀がやってきて、私はいつの日かチャゲアスを聴かなくなっていた。
現実の方が楽しく、忙しかった。
13歳だった少女は自分が少女であったことを思い出す間もなく、結婚し、やがて母になった。

だが30代も半ばになったある梅雨の日、不意にチャゲアスを聴いてみよう、と思い立ったのだ。
妻の顔と母の顔を交互に使い分ける生活で、ふと気づけば自分の顔が消えかけている。それは日々に静かにやってきた非常事態だった。

チャゲアスとはちょっと唐突すぎたが、自分を思い出す為のすがるような賭けだった。
記憶の扉を開け、ライブ映像をYoutubeで探す。驚くほど全ての曲を覚えている。
あの頃の風が途端に胸の中に吹き込み、そのリアルな肌触りと熱量に戸惑う。
歌詞だって、当時は写経のようにノートに写したほどで、全てスラスラと口をついて出る。CHAGEさんがカメラにおどけるタイミングも、そう全て、ずっと私の中にあったのだ。

いつのまにか私は少女に戻って、あの頃の懸命さで、音楽を飲み込んでいた。

それから数年経ち、私は今<note>という場に“チャゲアスの歌詞がいかに大人の心に刺さるか”という分析エッセイを書いている。
昔は聴き流していた歌詞の深みが、少女から大人になった分、妙に胸に響いてしょうがないのだ。
そうだよな。もう私はあの頃の二人の年齢を通り過ぎている。
こんな出戻り娘だけど、もう一度一緒にいてくれるかな。

なりふりかまわぬ恋を、もう一度。
初恋の相手に私はまた深く、恋をしてしまっている。

このエッセイは、2年前にとある冊子に向けて書いたものです。

自分自身がなぜ今こんなことをしているのかについて、最近よく考えます。
30代当時は辛かったけれど、自分の顔を無くした経験が、今の私を作っている。自分の進む方向を教えてくれている。
不思議ですね。負の経験が、確かさにつながっている。

そして、今もまだ先が見えずに不安だけれど、次に踏み出す一歩の場所は、前よりはわかるようになりました。
自分の人生を作り上げていく実感を、お恥ずかしながらようやくこの歳になって、感じる瞬間も多くなりました。

私と同じような悩み、中年と言われる時期に差し掛かってきたのに自分の顔がよくわからない…そんな悩みを抱える方が多いことを、noteの活動で繋がる人達の声を聴きながら、日々感じています。

自分の今、ここ。
ひとまず2年前の記事を、アップしてみました。近いうちに、また書き変えます。


<2021/03/11 追記>
「近いうちに、また書き変えます」と書きましたが、ようやく「自分の今、ここ」を納得する形で書けましたので、リンクを貼らせて下さい。


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