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秋は夕暮れ

世の中の出来事

11月20日 - 南アフリカ共和国で人種別三院制議会設置を中心とした憲法改正の是非を問う国民投票が実施され賛成過半数。これにより印僑およびカラードにも限定的な参政権が付与された。

プラザ合意前夜

1983年頃はモノが輝いた時代のように私個人的には感じる。
当時の豊かさとは、多くのモノを所有することを基本とし、物資の豊かさこそが人生の豊かさに大きく影響されていると考えられていたとも思う。
そんな時代に生活していると、執着というものが当たり前になる。
”執着”とは、一つの”モノ”や”事”に心を囚われて、そこから離れられないことである。
また、”執着心”とは何かを失うことを恐れ、しがみつきたい気持ちである。
そんな現代ではネガティブな印象がある”執着”ではあるが、1980年代当時の人々は逆に”執着”を生活の楽しみの一つとして積極的に取り入れていたようにも感じる。
”執着”を自分自身のライフワークにしていた感じだ。
例えば、オーディオ等の黒物家電や、自動車やバイク、カメラなどである。
みんなそれぞれ拘りがあり、それぞれの違いを自慢していた。
現代の若者には見られない特徴ではある。
現在の私は、必要最小限の衣料品と、iPhone、ノートPC、自動車、必要最小限の家財道具といったように、かなり持ち物を少なくしている。
”ミニマリスト”とまではいかないが、”モノ”を出来るだけ増やさないように努力している。
テクノロジーの進化で、多くのモノを所有しなくてもスマホ一つでなんでもこなせるようになったことも一つの理由だろう。
1983年10月、当時私は6歳だった。
土曜日の夕方父親が会社から帰宅した後、小諸市にあったジャスコ(現在AEON)に買い物に向かう。
国道141号をクルマで小諸方面へ向かう途中の佐久市と小諸市の境には、オレンジ色に染まった夕焼け空の絶景スポットがある。
その日は夕日に浮かび上がった黒い千切れ雲が印象的な空であった。
ジャスコに到着し、母親が食料品売り場で買い物をしている間、私と父親は家電売り場に行った。
オーディオやビデオカメラ、テレビ等、最新の家電製品はモノ以上の価値があるように見えた。
2年後の1985年9月にバブル景気の直接の引き金となるプラザ合意がある2年前である。
当時は今とは違う価値観の世界が確かに存在した。
帰り際にフードコートでいつもの鉄火巻きを買って祖父母の家に向かう。

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