見えない根を思う―『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(末永 幸歩)

私は、ここ2~3年ほどで「自分は今の状況に納得しているか」について敏感になったように思う。
若い頃は、大人に言われたことをしていれば間違いないとか、意見に賛成ではないけど面倒だから相手に良い顔をしておこうという発想で、とりあえずその場をやり過ごすことが多かった。
今思えば、若い女性だから責任をとらなくていいと思われていることを盾にした、相手への責任転嫁である。軽んじられることを不快に思いながらも、そのことを盾に使うという矛盾した行動をとっていた。

この責任転嫁は、世の中に対しても同様だ。
大多数と同じようにしていれば幸せになれるのではないか、努力していればそれが報われなくても悪いようにはならないのではと思っていた。
責任転嫁をしたとしても、自分の状況が良い方向に変わるわけではなく、変わらないことにイライラしたとしても、誰も責任なんか取ってくれないということに気づいたのが、ここ2~3年なのである。

私の思う「今の状況に納得している状態」というのは、「自分がしたいことをしている状態」「先を見据えつつ、自分を投げ出さず大事にしている状態」だ。
私にとって、納得感とは、自由と責任の上に生まれるもののようだ。
私の尊敬する石田ゆり子さんが「責任がないところに自由はない」と仰っていたが、この意味が身に染みて理解できたのも、やはり最近のことである。

このような状態を保つためにはどうすればいいのかについて、ひとつの答えを与えてくれたのが『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』だった。

この本によると、「アート思考」とは、
・「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
・「自分なりの答え」を生み出し、
・それによって「新たな問い」を生み出すという思考プロセス である。
「自分が主体となり、問いと答えを生み出す活動を繰り返しながら生きていくこと」は、「今の状況に納得しながら生きていくこと」とまさに同義だと思った。
この「アート思考」のプロセスを理解するにあたり、この本では、20世紀の現代アート6作品が題材となっている。
「アウトプット鑑賞法」などを用いながら作品を鑑賞し、作品の背景を知り、その背景についてさらに考えるというプロセスを体験するのは、とてもわくわくする時間であった。

そして「先を見据えつつ、自分を投げ出さず大事にしている状態」の実現に必要なことであり、世の中の大部分においてキーになる考え方だと思っている「点と点を線にする」という考え方も、『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』にはきちんと書かれていた。
この本では、アートを植物に例え、アートが生まれる過程を次のような流れで紹介している。
①「興味のタネ」ができる
②「探求の根」が無数に絡み合い、結合する
 ※地上を気にせず、地下世界の冒険に夢中な期間
③根たちが、あるときどこかで1つに繋がり、その瞬間「表現の花」が開花する

紹介されている現代アートの作品たちも、全てこの過程で私たちの目に見えるようになった花である。
花を観賞して根の部分を考えるという行為こそが「アート思考」だと考えると、本などの表現物(花)についての感想を書くことは、根の部分について考える行為であるといえるかもしれない。
そしてこの行為は、心を震わせる様々な作品の点(根)を結びつけながら、自分の軸となる線(花)を創り出していくことにも繋がっていく。

最後に、私がなるほどと思った「花職人」という概念について、書きとめておきたい。
花職人とは、根を伸ばすには相当な時間と労力がかかるため、それを諦め、表に出てくる花のみを技術的に咲かせることを指す。
表に出ている花は一見似ているようだが、内実は非なるものが「花職人」である。
私には、敬愛する表現者がたくさんいる。
なぜその方々を好きかというと、それまでの「根を伸ばす時間と労力」に感銘を受けているという理由であることが多い。
「自分と真摯に向き合い続ける」という激しい苦痛の伴う作業を経たうえで咲いた花の美しさを何度も見せてもらっているため、神髄はあくまで根なのだという考え方は、実感として、とても理解できるものだった。
そして「自分が今の状況に納得しているか」についても、「根を伸ばさずに花だけ咲かせようとしていないか」が明確な基準になりそうだと感じた。

今まで、アートという分野については「花の部分が好みかどうか」に主眼を置いていた私だが、他の表現物と同じように「根の部分について思いを馳せる」という楽しみ方を教えてもらえたことは、とても良い経験となった。
この本で学んだことを活用して、現代アートをどんどん楽しみたい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?