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「正しさ」は正しいか―『まじめに生きるって損ですか?』(雨宮まみ)

雨宮さんが亡くなってから、今日でちょうど4年になる。
読書の秋キャンペーンの間に、この本についてはどうしても書き留めておきたいと考えていたので、書かせて頂きます。

雨宮さんは、私が最も尊敬する女性の一人である。
誰よりも自分の内面と徹底的に向き合う覚悟と、他人の弱さを真摯に受け止め認めてくれる優しさを併せ持った方だと思っている。
その佇まいやセンスのかっこよさにも憧れていたし、大げさではなく、雨宮さんの文章のおかげで、私はどん底を乗り越えられた。

『まじめに生きるって損ですか?』は、ココロニプロロ(webサイト)で連載されていた『穴の底でお待ちしています』を書籍化したものだ。
この連載では、雨宮さんが投稿者からの愚痴をひたすら聞いている。
悩み相談とは異なるため、「正しい」回答を出すわけではないというところが最大のポイントである。
雨宮さんの愚痴への返答は、あまりにも優しくて、同じような経験をしたわけではない私も、読むたびに毎回心が温かくなり、前向きな気持ちになれた。

雨宮さんは、投稿者のちょっとした一言から、相手の本質や根っこにある悩みを優しく掬い上げる。
そして「こちらを選べばこうなるし、かといってあちらを選んでも上手くいくか心配ですよね」といったように相手の立場に寄り添う分析に基づく共感をしたうえで、辛い状況下での投稿者の努力を褒めたたえる。
そのうえで、こう考えれば楽になれるかもしれないという美しい信念を押しつけることなく公言し、一緒に自分らしく生きましょうと優しく鼓舞する。具体的な例は、『穴の底でお待ちしています』(webサイト)が残っているので、ぜひご覧いただきたい。

悩み相談や愚痴に対してどのように返答するかについては、その人の価値観が如実に出るものだなと常々思っている。
この本のあとがきで、雨宮さんは以下のように話している。

この連載では、あまり「正しさ」にこだわらないようにしたい、という気持ちがありました。
追い詰められている人が愚痴を吐きに来ているのに、「正しさ」はときに、そういう人をさらに追い詰めるのではないか、と思ったからです。何が正しいかなんて、だいたいみんなわかってて、でもどうにもならなかったり、どうにかするには多大な気力や犠牲が必要だったりして身動きが取れないというのが実情だったりするわけで、正しいことがなにかわかってないわけじゃないんです。

そうなんですよ!!!!!と激しく頷いてしまう。
この連載の投稿者しかり、追い詰められている人は、その悩みについて考えすぎるぐらい考え続けている。ゆえに回答者が思いつくような答えは、すでに頭の中に朧気にでもあるのではという前提に立っている時点で、この本は他の相談系の本と一線を画している。
「悩みや愚痴を話したら、モヤモヤした気分がかえって増えてしまった」ということは、多くの人が経験していると思う。
これは、相談した相手との価値観の違いによって、思っていたような答えが返ってこなかったということもあるかもしれない。
けれどもそれ以上に「わかってはいるけれど、できない」という事実それ自体に苦しめられていることに対する共感の有無が大きいのではないか。

雨宮さんが人の「正しさ」とは異なる部分を認めて寄り添ってくれるのは、優しいということはもちろん前提にあるけれど、自分の内面と徹底的に向きあってきた方だからという理由が大きいと思う。
自分の内面と徹底的に向き合うということは、弱い自分やずるい自分からも目を離さないということで、激しい痛みの伴う行為のはずだ。
そのようにして、雨宮さんにしか書くことのできない美しくて強い文章を私たちに見せてくれていた。

日常的に雨宮さんのweb連載やTwitterを楽しみにしていたため、面白いドラマを見た時や気になる社会的な出来事があった時など、今でも「雨宮さんなら何て言うかな?どう思うかな?」と考える。信じられないような辛くて悲しい出来事が起こり続ける2020年に雨宮さんがいてくれたら、と考える。
新しい言葉を聞けないことは、本当に悲しくて寂しい。
それでも幸いなことに、心身を削るようにして創り出してくれた作品の数々は残り続ける。
心が荒んだ時、奮い立たせたい時、これからも必要になるだろう多くの瞬間で、私は雨宮さんの文章を読み続けたいと思う。


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