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何もできなくても、私たちはそのままで、そこにいて良いのだ。

ずっと仕事を休みたいという願望を持っていた。休みたいがために「後ろから車が追突してくれれば良いのに。そしたら、怪我をして休めるのに。」というかなり危険な願望をもっていた。文字にすると強烈…。

うつになるまで、私は教育現場で働いていた。(今も休んでいるので、辞めてはないんだけれど)半年前までは「病気や自分以外にもたらされた理由がないと休んじゃいけない」と本気で思っていた。思い込みっておそろしい。


結婚してからは、人間4回目の夫と過ごして自分の固定概念をばりばりと壊され。とても息をしやすくなった。(人間4回目くらいじゃないと説明つかないくらい世の中を達観している年下夫)そんな夫は、仕事に行きたくなくて、どうしても辛くて朝泣き出す私を見ても慌てない。

「仕事に行きたくない」と朝、布団で亀になる私。
「行きたくないね。お休みしても良いんだよ。・・・・・どうしたい?

決して責めたり、急かしたりはしない。けれど私が1番言って欲しい「休みなさい」とは言ってくれない。「決定は自分自身でさせる」という彼の考え。楽をさせてはくれない。笑

30分のぐだぐだの末に、やっと「休みます。職場へ電話して下さい。」とお願いする私。そんなやりとりを半年ほど続けた。(よく続けた〜。今なら早く休みなよと思うのだけれど。)

  • 仕事関係の時間外連絡(電話やメール)にパニックになり始める。寝られない。

  • 毎晩悪夢にうなされて起きる。だから朝、もう身体中が疲れている。

  • 平日這いつくばって仕事に行くから、帰宅後は何もできずに横たわる。

  • そして、夜ご飯も食べる気力がなくなる。

  • 生徒が来るかも…とソワソワしてしまい、お昼ご飯も食べれなくて、間食で済ませる。

  • お弁当を持ち帰り始め、ついには持っていかなくなる。

  • 発語が困難になる。(言葉がうまくでてこない)

  • 物をどこに置いたかすぐ忘れてしまう。

ここに書ききれないくらいの症状が日に日に増えていった。今もすぐ脳と身体が疲れてしまうので、1日できることは2つくらい。今は、調子がいいとマフィンを焼いたり、買い物ついでに散歩を10分程度をする程度。頑張れる日は、noteを書いたりしている。だから今日は調子がいい日。(この後はまたお布団で横たわる。)

休みに入って1日目。1日横たわっていて出来たことは、「夕飯の白菜を切って煮たこと」この1つだけ。結構衝撃的だった。ただ、夫が言った言葉は、

「しょうがないよ、症状なんだから。」
「お休みなんだから、休むのが仕事なんだよ。」
「家事をしようと思わなくていいんだよ。」
「昼寝したの、えらいじゃん。夜も薬飲んでしっかり寝よう。」

文字にすると、なんとも愛されているなあと実感する。だけど、本当に毎日昼寝して横たわって、生きているだけ。ただそれだけ。休みに入った最初の頃は「休めた・・・ついに休みを手にしたぞ・・」と思っていた。けれど、だんだん脳が元気になるのに、身体がついてこなくて何もできない自分に不安が忍び寄ってきた。

「こんなに横になっているだけなのに、また働けるのかな」
「家事も全部夫に頼り切り・・・いいのかな」

そんな風に思うようになっていた。(これも症状)


そんな時に突然やってきたKさんからの電話。メンターと慕う大好きな先輩。「元気〜?」といつもの調子で。思わず笑ってしまった。夕方5時。薄暗くなった部屋。布団のなかで丸まっていたし、療養休暇中だし、うつだから「元気」な訳はないのだけど、Kさんの声を聞いたら不思議と元気になってしまうから不思議である。

しかも、私が現状やうつになったからわかったことを話すと全肯定。びっくりするくらい全部まるっと受け止めてくれる。話すたびに、「心の器が広くて深い人たちが私を大切にしてくれてるよなあ」となぜか客観的な自分がいる。その電話で、心に残ったのがタイトルの言葉。

仕事ができる人になりたい。がっかりされたくない。それって承認欲求じゃん。
誰かに「認めてもらいたい」ってことじゃん。

でも、それって僕らが生まれながらにしてもっているものなんだよ。誰かに認めてもらわなくても、そのままで良いんだよ。

僕らはそのままで認められる存在なんだから。

誰にでもそのままで、そこにいて良いっていう場所が必ずあるはずなんだよ。

「貴方のことを、そのままで、そこにいて良いと思って、貴方のそばにいるのは彼(夫)なんじゃないの。」そう言われた時に、涙がぶわっと溢れ出た。

そのままでそこにいていい。当たり前だから見えなくなりがちだけど、かけがえのないこと。

家事ができなくても
仕事ができなくても
なんにもできなくても

みんな一生懸命生きているんだ。生きていることほどかけがえのないことはない。

そういうことに気づけたかけがえのない、昨日の夕方5時でした。

ここまで読んでいただきありがとうございます。今日も好い日になりますように。