【短編】SEVENTH HEAVEN⑤ -一つ目-
始まりは、母を祝う。子種を宿し、育て生む大地を讃える。
次に、父を祝う。子種をもたらす、雨の恵みに感謝を捧げ。
さらには祖と裔。受け継ぐ過去と、続く未来を想い、尊ぶ。
そして己。此処で鳴る心臓、脈打つ命、巡る心を是と捉え。
最後に祝うは、それら全てを創りし神。世の理を統べる者。
祓いをこの世の禊と捉え、穢れなき世界、それを象る者たちを祝福する。
「それが、祝詞」
あの子の声で、七代目が言う。混乱の中、いつの間にか外され床に落ちていた猿轡を拾い、軽く弄んだ後、つまらなそうに投げ捨てた。
「それを揺るがす行いは、我ら祓い師への冒涜に他ならない。『言主』は吉凶の証とは言うが、どちらに転ぼうが不愉快な存在だ」
故に排斥する。
故に制圧する。
彼女の制服、その胸元に手をやり、
「まだ多少の自我は残っておろうが、何、内側から食い潰し、消し去ってやる」
七代目は笑う。
見た目は制服姿の彼女。しかし口調、佇まい、放たれる威圧感は、先ほどまで大父様の身体を通じ知覚していたそれらと同様のもの。
その違和感が、ズレが。尚のこと絶望を煽ってくる。
取り憑かれた。取り憑かれてしまった。
七代目は彼女の手を開いたり閉じたりしながら、その作動を確かめるかのように、じっと見つめる。
「ふむ」閉じた掌に目を向けながら、「センゲ」呼ぶ。「はい」センゲが彼女の身体に並んだ。
「先ほどの小刀を寄越せ」
「汚れておりますが」
「構わん」
「此処に」
開かれた掌に、銀色の刃物が置かれる。
彼女の手がその柄を握る。
そして、
「が」
切先から根元まで、センゲの腹に押し込んだ。
「………………七代、目……?」
「何故貴様を選び、刺したか。それがわからぬという顔だな」
「か……は……」
「至極当然の理だ。馬鹿者」
貴様は混血だ。
差し込まれていた刃が引き抜かれ、鮮血が散る。
「準備運動だ。付き合え」
刃物が彼女の手の中でくるりと回り、今度は逆手に握られる。腕が上がり、センゲの身体を肩から腰へ、斜めに切り付け。センゲは咄嗟に身を捩るが、腹の痛みがあるのか、避けきれない。短い呻き。ジャケットの下、白いシャツに赤い血が滲む。
センゲが膝をつく。さらに一閃。今度は顔を狙って。咄嗟に庇った右腕に傷が。手の甲から血が噴き出る。
「うむ。大分馴染んだな」
こともなげにそう言って、刃物の血を払う七代目。センゲは呼吸を荒くし、腹を押さえて蹲っている。
七代目の眼光を宿した彼女の目が、私を捉える。普段は小動物のように丸々とした双眸が、今は鷹のように鋭い。
「屈辱ではあるのだぞ」彼女の口を通し、七代目。「祓いの血を持たぬ者、しかもこの様な小娘の身体を宿木として選ぶとは」
『相変わらずの純血至上主義ですね』
私の掌が震える。
吹き飛ばされ、駆けつけ、体当たり。そしてさらに蹴られてもなお持ち続けていた、スマートフォン。この絶望しかない地獄の中、唯一無二の生命線。
兄様。
「主義ではない。理だ」
彼女の目もまた、私の端末を見る。
「呪いを防ぎ、世を浄化する。使命を負う我々が、ただ人と並ぶ道理がない」
『前時代的だ』
「ぬかせ。貴様等は私より後に生まれた。無知ゆえ、我らを穢れの一族と忌み嫌い、迫害の歴史を重ねた愚かな民。彼奴等と一線を画すべく、時の為政者の引き立てを受け、祓いと清めの地位を固め、生涯のうちに一族隆盛の時を築いた、この私の後にな。不遇の時代を知らず、楽園に生まれ育った貴様等、その主義主張になど、聞く耳を持たぬ」
『楽園、ね。あんたにしてはポエティックな言い回しだ。余程、情がこもっていると見える』ため息がひとつ。『その楽園を守りたい一心で、死後もこの世に留まり、歴代の主に取り憑き、一族を栄えさせることに注力してきたのかい』
兄様の声が低くなる。
『老害が。いい加減、退がれよ』
七代目は、彼女の喉を鳴らして笑う。
「聞く耳を持たん、と言っただろう。長きに渡る営みの中、貴様のような反乱分子もおるにはおった。が、いずれも退けてきた。今回もそれだけのこと。今後もこの座に、私は座り続ける」
『その身体で一族を仕切るのかい』
「如何にも」
『いくらあんたでも、一族の血が流れていない身体では祓えない。他の純血が納得するかな』
「させる」
『僕はしない』
「ハッ!」
豪快な笑い声。
「では貴様に何ができる。無駄話に興じるあたり、どうやら時間を稼いでいるようだが、先ほどのような巨大な一撃、その直後だ。今しばらく、もはや一点の光も宙に打つことは叶うまい」
私はスマートフォンを見る。「兄様」思わず呼びかけたが、しかし、返答はない。しばらく無音の間が空いて、
『ウツシ』
ようやく声がした。
「はい」
『お前が祓え』
「え?」
『そこの老害が言う通り、今の僕はガス欠だ。しばらくは祓いどころか、指一本動かすこともままならない』
目の前が真っ暗になる。
そんな。
『今そこに純血は、お前しかいない。祓えるのはお前だけだ』
「そんな……無理です!!」
『やるしかない』無情にも兄様は言い切る。『幸い、向こうは祓えない。さっきのように、六角形で対抗されることは無いだろう。また、向こうとて僕のあの一撃を弾いた直後だ。幾分、弱体化しているはず。今しかチャンスはない』
「ですが、私では……」
『やるんだ』
無理だ。
いくら対抗する力を持たないとは言え、いくら弱体化しているとは言え、相手は一族隆盛を極めた主、七代目。
人並み以下、掌に収まるほどの六角形しか描けぬ私に、祓えるわけがない。
私の強さは、側に彼女がいたからこそ。
彼女がいなければ、私は。
『何かないか。『言主』の子からあらかじめ授かっている祝詞が』
兄様が言う。
「え……」
『もしもの時に、と示し合わせて受け取った、そんな祝詞がありはしないか』
「そんなもの……」
ない。
いつもいつも、その場の思いつきで適当な言葉ばかりを吐いていたあの子だ。出会ってから、ずっとそう。美術室で『ニャー』と言わされ、公園では『美少女』と叫ばされ。挙げ句の果てに、この謁見の間では『ハッピーターン』。昨日、大父様に連れられ、別れを告げたその瞬間まで、ふざけ倒していた。こんな有事を見越して、準備よく用意された祝詞など、あるわけが……
……え。
「…………まさか」声が漏れる。
『あったか』
「…………はい、恐らく」
半信半疑のまま、頷く。
本当か、本当にあれがそうなのか。
『ならそれでいけ』
「ならぬ」
頭上から彼女の声が降る。顔を上げると、鋭く光る刃物の切先。咄嗟に身を躱し、振り下ろされてくるそれを避ける。空を切る彼女の腕。風切り音と共に、もともと付着していたセンゲの血が舞う。
愚かにも、この戦場で座ったままであったことにようやく気づく。慌てて床に手を付き、身体を起こした。そのまま数歩、後退。刃物を手にしたままの彼女の制服姿が、ゆらりとこちらを向く。首輪から伸びているままの鎖が、尻尾のようにそれに続く。
そしてまた、大きく腕を振らんと、身を反らした。
「易々と許すと思うか。祓いの像を結ぶ前に、その腕の腱、切り裂いてや……
七代目の台詞が途切れる。振りかぶっていた刃物を持つ腕を、震わせながら手前に。それを、もう一方の手が掴む。
「……え?」
眉根を険しく寄せながら、彼女の目が、私を見る。
先ほどまでの荒んだそれではない。見慣れた、澄んだ瞳。
「ショー、……ちゃん……」
そう。
私を『ショーちゃん』と呼ぶ、あの子の眼差し。
「…………あなた」
みちみちと音を立てながら、震える腕を、震える手で押さえつけ、あの子が言う。蘇ったのであろう、しかし十分に言葉を発するほどには回復していない、そんななけなしの自我で、必死に抗っている。
私を守ろうとしている。
弱い。この期に及んで、一人では何もできないほどに弱い、この私を。
「…………いいわ。そのまま押さえていて」
私は唇を噛み、お守りのように握っていたスマートフォンを床に置く。そして、首に巻きつけた数珠を取る。
この激闘が続く中、ようやく自ら武器を手に、ここに立つ。
いや、自らではない。助けられ、守られ、術を授けられ。そこまでしてようやく、戦うことを決意した。
弱い。弱い。弱い。
もう、これが最後だ。
あの日、『アタワズ』を祓った日。あなたと祓い師として正面から向き合う覚悟を決めた。一連托生だと誓いを立てた。
だが、実際はどうだ。散々頼り、巻き込み、傷つけ。にも関わらずまだ守られているこの状況。さすがにもうこれ以上、一連托生などとは言っていられない。
あなたの分が悪すぎる。あなたの荷が重過ぎる。この先も私の弱さに付き合わせるなど、できるわけがない。ゆるされるわけがない。
だから、最後。
あなたの『祝詞』で祓うのは、これが最後。
私は構え、左手の指に光を灯し、そして唱える。
去り際の彼女が私に授けた、『祝詞』を。
「…………『バイバイ』」
光の点をひとつ打つ。そして、
「『バイバイ』」
大きく斜め下に、二つ目。線が繋がる。
思った通り。
いける。
「『バイバイ』」これで最後だ。これが最後だ。
「『バイバイ』」弱い私の、最後の不相応。
彼女を見る。腕を震わせながら、私を見返す強い眼差し。
ありがとう。私を強くしてくれて。
ありがとう。私を守ってくれて。
「『バイバイ』」
そして、ごめんなさい。あなたを守れなくて。
弱い私で…………
「きゃぁっ……!」
「………え?」
短い悲鳴が、彼女から上がる。
懸命に押さえつけていた、刃物を持つ腕。それが彼女自身の喉元に向かい、襲い掛かっている。すんでのところで押さえ込み、彼女の片腕がそれを阻止。五つの点、それを結ぶ光る四辺の向こう側、その危うい均衡を保ちつつ、苦悶の表情を浮かべている。
「ん……ぐぐぐ……んっ……」
呻きながら、耐えている。
七代目が再び、主導権を奪いかけているのだ。
落ち着け。身体を傷つけることはない。あれは脅しだ。最後の祝詞を唱えれば、終わる。
頭ではわかる。
だが、動けない。
私を守ろうと、自らを危険に晒し、恐怖に耐える彼女を前に、凍りついたようになる。
私は一体、何をしている。
これでは昨日と同じだ。これではこれまでと同じだ。
私は一体。
何のために、此処に来た。
「……兄様」
『どうした』
「できません」
『は?』
そうだ、私が此処に来たのは。弱小ながら、最強を引き連れ、恥を忍んでまた訪れたのは。
「あの子に『バイバイ』なんて、言うためじゃない。私はあの子を、私の友達を助けにきた」
腕を振る。目の前の光る四辺を払い除け、数珠をしかと握り直す。
息を吐いて、吸い、そして言った。
「兄様。回復するまでに何分かかりますか」
『何だって?』
「それまで、死力を尽くして粘ります」
『おい、ちょっと待て』
「絶対に来てください。頼みましたよ」私は言う。「私は弱いんですから」
『だが、門が……』
構う余裕はない。私は宙にまた、光る指先を掲げる。彼女と目が合う。
「行くわよ。しっかり押さえてなさい」
そして唱える。
「一つ目は母のため。
二つ目は父のため。
三つ目は祖のため。
四つ目は裔のため。
五つ目は己のため。
六つ目は神のため」
六角形が出来上がる。掌サイズ。極小。目一杯腕を振り、それを彼女の身体に向けて投げつける。
すぐさま、次。
「一つ目は母のため。
二つ目は父のため。
三つ目は祖のため。
四つ目は裔のため。
五つ目は己のため。
六つ目は神のため」
出来上がった掌サイズを、また投げる。ちょうどひとつ目が水風船のように、彼女の身体に当たって弾けた。おそらく、このふたつ目もそうなる。
構わない。次。
次、次、次。
次、次、次、次、次、次。
喉を掻き鳴らすように何度も祝詞を唱え、小さな六角形を量産しては、投げつける。どれひとつとして、効いている様子はない。それでも、続ける。続ける。
弱くても、戦う。
だって、あの子を取り返すために来た。
だって、あの子と居続けるために来た。
友を名乗り、隣に居ると言うのなら。
弱い弱いとただ嘆くだけの、惨めな自分を傍らに置かせるわけにはいかない。
友と呼び、情を交わすと言うのなら。
埋められぬ心の隙間に、それを注がせるわけにはいかない。
弱くても、ちゃんと誇って。
弱くても、ちゃんと愛して。
私は私を、成立させなくてはいけない。
「六つ目は神のた……」
何かが破裂する音と共に、彼女の身体から突風が巻き起こった。途中まで描いていた図形も、宙に散布していた六角形たちも、一瞬にして霧散する。数珠を持つ手で顔を庇い、隙間から彼女を見る。
刃物を持つ腕を自ら押さえつけていた彼女の身体は、今、その体勢を崩し、大きく肩で息をしている。口からだらしなく唾液を垂らし、血走る眼をこちらに向けて。
「…………調子に乗るなよ。弱小が」
急いで数珠を掲げ直す。
「馬鹿、何を引っ込んでいるの! ちゃんとあなたも粘りなさいよ!!」
一つ目は母のため。再び祝詞を唱え始める。二つ目は父のため。兄様はまだか。三つ目は祖のため。やっぱり無茶だったのか。四つ目は裔のため。彼女の祝詞で祓っておけば。五つ目は己のため。でも嫌だ。絶対嫌だ。
あんな祝詞で、あの子を取り戻したくはない。
「六つ目は神のためぇっ!」
「児戯だな」
また、突風。風圧に押しやられ、私の六角形は弾けて消える。すぐさま、床を蹴る音。彼女の身体が瞬く間にこちらに迫り、それまで刃物を持つ腕を押さえていた方の手が、私の口元へ伸びる。頬を掴まれると同時に、足払いをかけられ、床へ倒され。彼女の身体が私に覆いかぶさる。
「いつまでも付き合ってはやれんぞ」
顔の真上で、刃物が振り上げられる。来る。終わりを悟り目を瞑った、その時。
「一つ目は母のため」
一際大きな光と共に、声が。私も、彼女に取り憑いた七代目も、そちらを見る。
謁見の間、その入り口の戸が開け放たれ。四角く切り取られた外光の中央、宙に点を打つ兄様の姿。
「二つ目は父のため」
「センゲぇっ……!」彼女ではなく、七代目の声。「どういうことだ。誰が門を通した」
「俺しかいないでしょう」
組み伏せられたまま、頭を上げ、声のあった方を向く。脇腹を押さえながら、中腰になり、センゲが立ち上がる。
「三つ目は祖のため」
兄様の祝詞が続く。続くにつれ、空間の明度が跳ね上がる。
「どういうつもりだ、貴様。何故こんな真似をする」彼女の目がセンゲを睨む。
「弱いからです」
苦しげながら、センゲは答える。
「……なんだと」
「俺の洗脳は順調だった。その状態の『言主』に乗り移り、なおも自我を奪い切れぬほど弱体化したあなたに、もはや一族を統べる器は無い。そう判断しました」
「四つ目は裔のため」
「不届な。何をしているかわかっているのか。何のためにお前がいると思っている……!」口から泡を飛ばし、七代目。
「五つ目は己のため」
「無論、一族のため」センゲが答える。そして、兄様の方を見て、言った。「やれ。最強」
一メートル四方、いや、それ以上に巨大な図形を途中まで描き、
「了解」
兄様はそこでにやりと笑った。
「バイバイ。六つ目は君のため」
視界が白く染まる。私は身を起こし、彼女の身体を抱きしめる。彼女の顔は、迫り来る六角形に釘付けのまま。
「止めんか、おい! 何をしている!!」
「祓い」兄様が答える。
「わかっているのか。私を失い、誰がその祓いを存続させる。再び不遇の時代が訪れれば、かつてのように、幾度も呪いがこの世を焼くぞ!」
「誰が、か。まぁ、消去法で行くと……」
僕だろうな。兄様は呟く。
「舐めるなよ、若僧が。強さだけではどうにもならん。成り行き任せ、行き当たりばったりのお前に何ができる」
「僕は強くないさ。おっしゃる通りちゃらんぽらんだ。だが安心しろ、何とかやってやる」
「無責任な。変わらず私に任せておけばいいものを……!」
「さっきあんたも言っていた通りさ」
「何だと」
「いつまでも付き合ってはいられない。窮屈なんだよ、この楽園は」
「貴様……!」
「消えろ」
白は輝きを増し、目を射るほどに鋭く尖り。
堪らず私は目を瞑り、彼女の肩をひしと抱く。
七代目の断末魔は、もはや彼女の声帯を震わせることはなく、浄化する光の中で散り散りになり、空中に溶けて消え去った。
*
「はーい。裁判でーす」
人混みの中、いつもの調子で彼女が言う。
「なんで朝からそんなに元気なのよ」
早起きにより脳が起き切っていない私は、ボリューム過多なその音声にうんざりしながら答える。
場所は千葉県舞浜市。帰省時のいざこざを経て、期末テスト、終業式というイベントを通過した私たちは、ようやく突入した夏休みの初日、約束の制服姿で、約束のテーマパークへと足を運んでいた。
いや、約束した覚えなんかないけれど。
しかし、「この間の新幹線代、ショーちゃんが払ってくれたでしょ。でもお母さんからも実はお金を貰っていて。うふふ。その内緒でガメておいた分で、じゃーん! シーのチケット買っちゃいましたぁ!」と多分に罪深いお誘いをしてきた挙句、いやいや何を言っている、そんなことできるわけないと固辞した私に「あーそうなんだ、お家騒動のゴタゴタに巻き込んだ上に、栄えあるファーストキスまで奪われることになった私に、なんの埋め合わせもないまま夏を過ごそうというんだぁ」と罪滅ぼしを要求してくるものだから、断り切れずにこうして話に乗ることになった、というわけだ(もちろん、チケット代は後で払う)。
悪いとは思っているけれども。
特にファーストキスの件は、償い切れないけれども。
しかし、なんだ。現在、朝の七時である。であるというのに、すでにパーク外、エントランス前の広場には、無数とも言える人だかりができているのだから、驚きだ。彼女曰く「いや、お昼過ぎに間に合うぐらいで行きましょうとか、テーマパークなめてんでしょ。やる気あんの? ショーちゃん」とのこと。「開園と同時に入って、まずは買い物。耳買うよ、耳。それからね……」と当日のプランを力説されるが、よくわからないので、とりあえず言われるがままに従うことを決めている。
「何よ、裁判って」
私は問うた。
「ミノよ、ミノ」
指を振る彼女。
「ショーちゃんの話によれば、あの子、ショーちゃんの知らないところで、ショーちゃんの好きな人とデキちゃっていたんでしょう。ちょっとそれ、ゆるせなくない?」
『好きな人』、という単語に吹き出しそうになる。「ちょっと待って。好きってわけじゃあ、ないのよ。ただ兄様はこう、一族のアイドルっていうか、みんなの憧れの的であって」。しかも『デキる』とはまた下世話な。「確かに、その話はこの前したけれど、あくまであの日何があったかの報告よ。別に色恋沙汰の話をしたいわけでは……」
「はいはい。うるさい。静粛に」
かんかんかん。口でSEを入れつつ、見えない小槌を叩くジェスチャーで、彼女は私をいなす。
「ショーちゃんの言う『兄様』って、あの日あそこにいたテライケメンのことでしょ。いやもう、あんなのと密かに通じている時点で罪ですよ。ずばり、うらやましいでしょう」
「テライケメン……?」
「あれ。ショーちゃんの好みじゃない?」
そんなわけないじゃない無茶苦茶好みよどストライクよ。言い返したいが、きっと火に油だ。ぐ、と口を結んで堪える。
「と言うわけで、今からミノに電話をかけます」
「え? 今から?」早朝だぞ。
「あの小賢しい女に下手な言い訳はさせぬよう、寝起きに突撃、無防備なところを裁きます」
そんな裁判あってたまるか。
「開園までまだまだ時間あるからね。たっぷり搾ってやりますよ」
「ちょっと待って」
「ショーちゃんがかけて。私がかけると絶対あの子出ないから」
「話を聞きなさい」
「何? 気にならないの? あの子の知られざる恋愛事情」
「あなたが思うよりデリケートな問題なの。私とミノの関係性にも影響あるんだから」
「やだー知りたいー今日は特別に我儘ざんまいしたいー」
普段から割とそんな感じでしょうが、あなた。
いっそ、多少大人しくなるよう、センゲに洗脳されてしまえばよかったものを。
と、思ったところ、スマートフォンが震えた。表示を見ると、なんとそのセンゲからだ。彼女の洗脳が無事解かれているか、その経過観察のため、とあの日連絡先を交換していたが、かかってくるのはこれが初めてのことである。
それが、今? 何度も言うが、早朝だぞ。
「ミノ?」
「いや、違う。センゲさん」
「うっそ。あの塩顔イケメン?」
「ごめん、ちょっと黙っていて」
驚きのタイミングに困惑しながらも、私は通話ボタンを押す。「はい。もしもし」呼びかけると、『俺だ』と聞き覚えのある声。
『起きていたか』
「あ、はい」
『周りが騒がしいな』
「出先にいるもので」詳細を省き、答える。「あの、何かありましたか」
『あぁ』一度台詞を区切って、『今日、あいつの当主就任が正式に決まる』センゲは言った。
あいつ。兄様のことだ。
「本当ですか。その……兄様のお父様は」
『席をお譲りになられた。まぁ、あの方もあの方で、身勝手なお人だからな』
本当、あの血筋には手を焼かされる。
心底うんざりした様子で、センゲはぼやく。
まさか、本当にあの兄様が当主となるとは。まだ二十代であるばかりか、一族の在り方に疑問を持ち、あの家を出ていた筈の人間だ。そう簡単には周りは納得するまい。余程の根回しが必要だったものと見える。
『就任の決議は正午を予定している。あいつが主となった時点で、保留にしていたお前の追放処分も撤回となる。これから忙しくなるからな、時間があるうちにそれを伝えておこう、と電話した』
「それは……どうも」
具体的に何がどう変わるかはわからないが、とにかく丸く収まるらしい。首を絞められたり、蹴られたり、この男には苦い記憶しかないが、こうしてわざわざ連絡をくれる辺り、仕事にはマメな人種なのだろう。
『『言主』の様子はどうだ』
「あ、はい。変わりありません」今も横にいます、とは言わない。
『あいつについても、ひとまず一族のスタンスは”保留”となる。しばらくはお前の監視下で活動してもらい、様子を見る運びとなる』
「監視下」
『と、いう体だ。お前が学校へ行き続けるにしても、まだまだうるさ型が多くてな。体裁を整える必要がある。まぁ、変わらず仲良くやってろ』
じゃあな。通話が切られそうになるのを見てとり、「センゲさん」と呼び止める。
『何だ』
「えーっと、その」何だろう。考えていなかった。「怪我の具合は如何ですか」
『まだ塞がりきってはいないがな。あのワガママ王子のおかげで、痛がっている暇がない』
「その……差し出がましいようですが、兄様とは、再びうまくやれそうですか」
『安心しろ。もともとうまくはやっていない』そこで、ふ、とセンゲは笑う。『むしろ怒り倍増だ。あの野郎、せっかくうまく立ち回って、一族から離してやったのに。のこのこ自らやって来て、しかも当主になるなんざ、馬鹿にしているにも程がある』
どこか楽しげな声に、幾分安堵する。
しかし、続く言葉に身体を強張らせることになった。
『目一杯、苛めてやるさ。さしずめ、主なら早く嫁でも迎えろ、と迫ってやるかな』
「え」
『お前のところの世話役にも、今の話を入れておけ。きっと一波乱あるだろうよ』
頼んだぞ。
くくく、と笑い、通話が切られる。
無音のノイズが耳に残る。
私の世話役。ミノのことだ。以前、兄様との電話では、『名前も顔も覚えていない』と言っていた。それが今、本人を特定している。つまりわざわざ調べたということ。ならば嫁の話は、単なるこの場で持ち出された冗談ではなく……。
細やかな計算が頭を巡る。
「何。塩顔イケメン、なんて?」
「ねぇ」通話アプリをタスクキルしつつ、私は言う。「あなた今日これ終わったら、家に来られる?」
「え、どうしたの。ショーちゃん、顔怖い」
「裁判にかけるわよ。ミノを」
「うおおおおおおおお、心境の変化すげぇな。何があった」
合点承知、でもお母さんに了解とるね。と素早い動きで端末を取り出し、家に電話をかける彼女。騒がしい人混みの中、よく通る声で、もしもしお母さん、と呼びかける。
変わらず仲良くやってろ、か。
センゲは特に深い意味なく口にしたのだろう。しかし、重たい言葉だ。耳に残るその響きを、もう一度、味わうように頭の中で再生する。
純血でも混血でもない、普通の子。
普通ではおよそあり得ない、『言主』の子。
『言主』であるが故、巻き込み傷つけてしまった子。
そんなこの子と『変わらず仲良く』やっていくことは、きっと並大抵のことではない。ただの『友達』でいるには、いささかノイズが多過ぎる。
祓いの世界の外側で、対等であろうと言うのなら。
祓いの世界の内側でも、対等を保持しなくてはならない。
弱い私が、強いあなたと肩を並べる、そのために。
私は私が持つ絶望的な弱さを、認めてゆるさなくてはならない。
私は私が持つ僅かながらの強さを、信じて誇らなくてはならない。
こんな私を、愛せるようにならなくては、ならない。
あの日、『バイバイ』という祝詞を放棄し、我を貫いたように。これからも自分で自分を愛せる道を、選び、進み続けなくては。
「……結構厳しいわね」
思わず、ひとりごちる。彼女に聞こえたのではないか、と慌てて横目で見る。大丈夫、まだ電話をかけている。聞こえていない。
いや、別に聞こえていいのか。
「うん。ショーちゃんに代わるね」
「え」
彼女が電話の送話口を押さえ、身を寄せ、小声で話しかける。
「お母さん、手強い。なんか一緒にいるのが彼氏だと思っている節がある」
「はぁ?」
「頼むわ」
強引に電話を押し付けられる。アップも済ませぬままの選手交代。もしもし。お久しぶりです。はい、はい。そうなんです、ちょっと相談したいことがあって。できれば今日ウチに……はい、そうですね。遅くなるようなら、泊まって行かれても……はい。私一人です。はい。すみません、突然に。大丈夫でしょうか。
何をやっているんだ私は、とげんなりしつつも、どうやら本当に男の子と一緒なのでは、と疑惑を抱いているらしいお母様の気を宥める。家に着いたらまた私から電話をする、という約束をして、ようやく通話が終わる。
「どうだった?」
「とりあえず納得してもらえた」
ガッツポーズをする彼女に、ほら、とスマートフォンを返す。サンキュー、ショーちゃん。ありがとう、ありがとう。その喜びように、思わず顔が綻んだ。
「はぁ」
「え、何スかそのため息」
「いや、何でも」私は首を振る。「脱力しただけよ」
そう固くならずともよいのかもしれない。
私が私を完全に愛せなかったとしても。
こうして過ごすときを、好きだ、と思える。
またちゃんと、愛したい、と思い返せる。
それでいいのかもしれない。
「ねぇ」
私は呼びかける。首を傾げる彼女。
「写真を撮りましょう」
「え、何、どうしたの?」
「二人でいるところを写して送れば、お母さんも安心なさるんじゃないかしら」
「天才か。撮ろう撮ろう」
仕舞いかけたスマートフォンを再び起動させ、彼女が私に顔を近づけてくる。インナーカメラにした画面に、私たちの顔が並んで入る。
「ストレージやばいからね。一球入魂でいくよ、ショーちゃん」
「何よそれ」
「掛け声かけるから。ちゃんと笑ってね」
「え、笑わないと駄目?」
「では記念すべき本日一枚目。いきます」
「ちょっと」
「せーの」
一つ目は母のため。
所狭しと列をなす来場客の中、おそらく他の誰もしないであろう掛け声でもって、彼女はシャッターを切る。
あなたが言うと洒落にならない、と冷や汗をかいた私が映る。
何これ全然笑顔じゃない、と私の横であなたが拗ねる。
二人で顔を見合わせて。
どちらからともなく、私たちは吹き出し、笑った。
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